サッチと二人の晩餐


 街灯が灯り、遊郭街が賑わいを見せ始めたいつも通りの夜。
 久々にこの島を訪れたサッチが仲間を連れて店へとやってきた。店先で客引きをしていた姐さんたちを一人、また一人と口説き落としては店内へと姿を消していく海賊たち。おかげで店先は随分と静かになり、女将はご満悦な顔で受け取った銭を数え始めた。金払いが良く、威勢のありすぎない客は用心棒の俺としても大歓迎だ。
 そうして壁に寄りかかりながら客を見送っていると、一人の男が寄ってくる。

「ちょっと時間くれよ」

 声をかけてきたのは女好きのサッチだ。てっきりこの男も夜の遊びに興じるものだと考えていたが、楽しんで来いよと仲間を送り出すだけに留まっていた。この店へやってくる目的は当然、女を求めてだ。けれど、それにしては態度がさっぱりとしすぎている気がしたのは、どうも思い過ごしではなかったようだ。
 その言動から、なるほど、最初から俺に用があったわけかと企みを察してしまう。

「考えたな」
「まぁな。店は儲かって、お前は手持ち無沙汰になる。そしておれはそんなお前をディナーに誘えるってこった」

 単純だが、客が白ひげ海賊団だからこそできる作戦だろう。他の海賊たちと比べても節度を弁えている連中だ。問題を起こされる心配はしなくていいだろう。それは女将も解っているのか、少し休憩をしてくると伝えればあっさりと許可が下りた。これはこれで危機感が薄いんじゃないかとは思ったが、人のことは言えないので敢えて口を閉じることにする。
 まぁ、何か問題が起きたらサッチに責任を取らせればいい。
 遊郭街を出て、どこかのレストランにでも行くのだろうかと無警戒にサッチの後について行く。やがて辿り着いたのは、賑わう街から離れた場所にある入り江だった。そこにはまるで白鯨のような大きな船が停まっている。

「モビー・ディック号だ」
「でかいな」
「うちは大所帯だからな」

 騒がしいけど気にすんなよ。そう言いながら手を引かれ船に乗り込むと、確かに甲板では大勢の船員たちが飲めや歌えやの宴会状態で賑やかだった。もしこの中に放り込まれようものなら、海に飛び込んで速攻で帰る選択をするに違いない。だが、幸運にもサッチは仲間からかけられる声に笑って返しながらも足を止めなかった。
 連れて来られたのはおそらく食堂だろう。厨房の見えるカウンター席に案内され、腰に白いエプロンを巻きながらキッチンに入っていくサッチから視線を外して部屋を見渡す。長机や椅子が多く並ぶ広い部屋には、船員の姿はなくガランとしている。船内に入ったからか外の騒然さも遠くに感じた。

「さ、今夜はサッチ様が特別に腕を振るって美味いもんを食わせてやる。なんでも作ってやるぞー」

 カウンター越しに声をかけられ視線を戻す。なんでも、と急に言われても困ってしまう。余程レパートリーの多さに自信があるのだろうか。ならば元の世界の料理名でも出してみて反応を楽しむのもいいかもしれない。と、そこまで考えて根掘り葉掘り聞かれるのも鬱陶しいから辞めた。
 ならばと少し思考を巡らせる。どうせなら、そう、サッチが作る一番美味い料理を食べてみたい。

「じゃあ……あんたの得意料理で」

 すると驚いたようにサッチは目を瞬かせた。それからなぜか眉尻を下げて困ったように笑い、何かを言いかける様子を見せる。けれど言葉は飲み込んで「任せろ」と背を向けてしまった。
 厨房に立ち包丁を握る男の姿を目に捉えながら、カウンターに片肘をついて口元を手で覆う。もしかしたら俺は間違えたのかもしれない。もっと気軽に、自分の好みの料理を言えばよかったのかもしれない。あの反応は、良くないものだ。目線を僅かに伏せ、なるべく厨房に立つのが似合いすぎる男から意識を逸らした。
 暫くすると、海賊船の食堂には似合わない程の上品な香りがふわりと広がった。この香りは赤ワインを使ったソースだろうか。ならステーキやハンバーグなどを作っているのかもしれない。

「お待ち遠様。これがおれの、一番の得意料理だ」

 肉料理と予想していた俺の目の前に出されたのは、レストラン顔負けの綺麗に盛り付けされた魚料理だった。
 そりゃそうだ。サッチは海賊なのだから海での生活が長い。魚料理が得意なのも当然と言えよう。赤ワインを使うソースなら肉だという浅はかな知識しかない自分がなんとも馬鹿らしい。冷めないうちに食えよ、と言いながら隣の席にサッチが座った。その手には同じ料理の乗った皿が持たれている。
 ナイフの重みだけで解れる身をソースと絡めてから口へと運ぶ。元の世界の常識は、やはりこの世界では通じないらしい。白身の魚でも赤ワインとの相性は抜群だ。

「……美味い」
「そいつはよかった」

 嬉しそうな笑顔を浮かべたサッチは、グラスを二つ用意し、どこからか持ってきたボトルの酒を注ごうとした。俺は咄嗟に片方のグラスを手で覆う。

「なんだ酒は嫌いか?」
「まだ勤務中」
「そう固いこと言うなって。あ、そうだ。ちょっと待ってろ」

 この世界には未成年という概念はない。だから俺が飲んでも問題はないのだが、さすがに酒が入った状態で店に戻るのは気が引けた。前後不覚になるほど弱くはない──どちらかと言えば酒には強いほうだ──が、判断を鈍らせるには充分効果はある。まだまだ夜は長く、何が起こるか解らないのがこの世界での現実だ。
 突然、海賊が襲ってくることだってあるのだから。

「これはどうだ? 度数は高くねぇから、よっぽど酒に弱くなけりゃ大丈夫だろ」
「あ、おい、だから飲むなんて言ってねぇ」
「いいから飲んでみろって」

 戻ってきたサッチの手に握られていたのは先ほどとは違うボトルだ。考え事をしていたせいか止める間もなく注がれてしまい、こうなっては断るのも不躾だろうと仕方なくグラスを引き寄せる。一口煽った酒はすっきりとしていて、香りも仄かに鼻に抜ける程度。料理の風味も濁すことなく、後味は爽やかなものだった。食材に合わせて酒を選ぶのもさすがは料理人である。
 それから他愛ない話をしながら追加された料理を食べ、ボトルを空にするまで酒を飲みんだ。そのせいで、俺はきっと気が緩んでいたのかもしれない。

「あんたの料理はどれも美味いな」
「そりゃあこの白ひげ海賊団の厨房を預かる男だからな!」
「また食わせてよ」
「任せろ! 今度は珍しいもん食わせてやる」
「ゲテモノは食わねぇからな」

 呆れた視線を向けるとサッチは高らかに笑った。
 さて、そうして約束した次は果たしていつ訪れるのだろうか。明日か、それとも数年後か。白ひげ海賊団が頻繁にこの島に訪れているのは、近辺の海を航海中だからなのは知っている。海賊は自由な奴らだから、どこへ行こうが何をしようが誰にも止められない。自由だからこそ、この先二度と約束が果たされない可能性も充分にあり得る。
 期待は、するだけ無駄だ。
 ソースの残った皿に指を滑らせ、指先についた濃厚なそれを舌で舐める。口内に広がるコクの深いソースは、元の世界でも味わったことのない初めてのものだった。

「あんたの味、忘れないようにしないとな」

 次はないのかもしれないから。
 そう思いながら小さく笑みを浮かべると、首筋に暖かな感触が伝った。見なくても解る。それはサッチの手だ。指の皮が厚いのは重い鍋を振るっているからか、それとも海の上で命のやり取りをしているからか。目を合わせるわけにはいかないと解っているのに、首筋から伝わってくる熱を無視することはできなかった。
 交わった視線は火傷しそうなほど熱く、怖いほどに惹かれた。

「料理だけじゃなくて、おれのことも覚えてみるのはどう?」

 小さな音を立てて離れた唇から放たれた安い口説き文句。食後のデザートだとでも言うような挑発に乗ったのは、美味い料理を食べさせてくれた礼だと自分に言い聞かせた。