客の出入りも少なくなった深夜。店の裏に置かれた木箱に腰かけ、煙草に火を点ける。あれから吸う頻度が増えた。というか、あいつの話を聞いてから、いつの間にか買っていた。自分で自分を笑ってしまうくらいに動揺していたらしい。たった一度寝た相手だと気持ちを処理するには、少しばかり思い出が濃すぎた。
肺に送り込んだ煙をゆっくりと吐き出す。元の世界で煙草を吸っていたのは、あの人を忘れないためだった。今はどうだろう。あいつとのキスを忘れるためだろうか。あれは惚れた女にするような優しいキスだった。
「邪魔するよい」
二度と味わえない思い出に浸りながら煙草を咥えていると、文字通り上から声が落ちてきた。次いで目の前に人が降りてくる。その両腕はまるで翼のように広がっていたが、そこにあるのは羽根ではなく青い炎。
あいつと同じ白ひげ海賊団の、不死鳥と呼ばれる男だった。話には聞いていたが、実際に見ると鮮やかで綺麗な色をしている。
「なんか用?」
「遅くなっちまったが、あんたに渡すものがあってねい」
男は肩にかけていた袋からワインボトルのような酒瓶を取り出し、こちらへ差し出してきた。見覚えのないそれに視線だけを向けると、困ったような笑みを返される。
「サッチがあんたのために用意してた酒だよい」
「俺に?」
「受け取ってくれよい。仲間に飲まれないよう必死に守ってたんだ。けど、あいつは────」
「言わなくていいよ。知ってるから」
「……そうかい」
受け取ったボトルのラベルに書かれた銘柄は、やはり初めて見るものだ。"次"の約束の時にでも、この酒に合った料理を作ってくれるつもりだったのか。全く酒だけ貰ってどうしろっていうんだ。料理人がいなければ本当の美味さだって解らないというのに。それとも、酔いに任せてまたやることやっちまおうとでも思っていたのか。
なぁ、俺はその答えが知りたいよ。
木箱に煙草を押し当て、火を揉み消してから立ち上がる。そして用は済んだとばかりに飛び去ろうとする男を呼び止めた。
「一緒に飲まねぇか」
「あんたのための酒だろい」
「気にしねぇだろ。もういないんだ」
裏口から店に入り、グラスを二つ持って戻れば男は複雑そうな面持ちで待っていた。
「一人じゃ酔えそうもねぇからさ。一杯だけ付き合ってくれよ」
「……あんたがいいんなら、構わねぇよい」
あいつの仲間らしく優しい奴だ。その上、市民からは略奪しない海賊団だというのだから、この世界での海賊の定義がなんなのか解らなくなってしまう。
酒を注いだグラスを片手に壁に寄りかかる。口元に近づけると華やかな香りが嗅覚を刺激した。アルコール特有の香りも強く、あの日に飲んだものよりも度数が高いことが判る。一口煽ればコクのある程よい苦みが舌に広がり、味わうようにもう一度喉を鳴らした。
「こりゃ美味いねい」
「うん……美味い」
積まれた木箱に片肘を乗せながらグラスを傾ける男の言葉に同調する。
それほどあいつの残していった酒は、俺が貰うには勿体ないくらいに良質なものだった。一緒に味わうことができたらどれだけ良かっただろうか。どれほど望んでも、もう意味がないのだと解っていながら想像してしまう。厨房に立つ姿を。美味そうに料理を食べる姿を。この酒に合うのはどんな料理なのかを。
グラスの酒が半分ほど減ったところで、なんて虚しいことを考えているのかと笑いが漏れる。それに気付いた男の視線に、俺は気付かないフリをしてグラスを小さく円を描くように揺らした。
「楽しかったんだ。あいつと一緒に飯食って、くだらない話をするのが」
「サッチも同じことを言ってたよい」
多分、居心地がよかったんだと思う。傍にいるのが苦にならないくらい、自分でも知らないうちに気を許してた。だから、抱かれてもいいと身を委ねることができたんだ。
この世界で初めてそう思えた相手が、サッチだった。
手元のグラスが歪んで見えたのは気のせいでもなくて、喉を締め付けるような苦しさは、きっと酒のせいではない。
「あいつを好きになってくれて、ありがとよい」
俺はいつも自分の感情を自覚するのが遅すぎた。