ほぼ真上から見下ろしたクザンだからこそ、それが見えた。興味なさそうに新聞に目を通す青年の後襟に指を差し込んで服を軽く引っ張る。するとはっきりと解るそれは明らかに情事の痕跡だった。キスマークなんて可愛いものではなく、綺麗な肌を痛々しく赤く滲ませた歯形のマーキングだ。
「あららら……随分激しい子と楽しんだみたいじゃない」
「そうでもねぇよ。意外と紳士的な人だった」
鬱陶しそうに払いのけられた手をゆっくりと下ろしながら返された言葉を咀嚼する。紳士的、つまり相手は男。彼が"人"という他称を使うところからおそらく年上。あんな噛み痕を残しても不機嫌ではないあたり余程上手い相手だったのだろう。そう考えると少し面白くない。
「ふぅん。そいつはお前さんのタイプだったわけだ」
「全然。むしろ俺とは馬が合わない人だろうな」
「えぇ……そんな相手とヤったの……」
あれだけ好みを強調してこちらの誘いを断っていたのにそれはあんまりではないか。クザンは美人な女性に騙された時と同じくらいのショックを受けた。
「まぁ、もう二度とヤる相手じゃねーから」
「なるほど。一夜限りの関係ってわけね」
納得しながら短く息を吐いて、なんで安堵しているんだと顔を顰める。別に彼が誰と寝ようが自分には関係ないじゃないか。そりゃあ目の前にいい男がいるというのに他の男の話をされるのはつまらないことではあるが、それだけだ。
そこでふと隣にいる青年を改めて見下ろす。今日は天気が良く気温も春らしい陽気だ。長袖で動くと少し熱いくらいである。彼はどちらかといえば動きやすい恰好を好んでいる傾向があった。それこそ今日みたいな日には半袖でいるくらいに。しかしどうしてか長袖の上着を着ていて、その理由を確かめたくてクザンは新聞を持っている腕を掴んだ。
突然のことに驚いたように目を瞬いた青年を尻目に袖を捲れば、うなじにあったものが腕にもつけられていた。これだけはっきりと痕が残っているのだから行為中は食われる勢いで噛まれたのだろう。これが本当に紳士的な男のすることか。服を脱がさなければ見えないようなところにもきっと同じものがあるはずだ。
「なんだよさっきから」
「なぁ……おれにもチャンスはある? 優しくするよ」
「うわ……」
「いやその反応はひどくない?」
嫌悪感を隠す気すらないほど表情に出す青年は掴まれた腕を引いて袖を元に戻した。それから深い溜め息を吐いて広げていた新聞を丁寧に畳むと脇に挟んで腕を組んだ。
「あんたとはしないよ」
随分とはっきり言われたことに驚く。別にケツが軽そうな子だと思っているわけではないが、一夜限りの関係を他者と結ぶくらいには貞操観念は緩いだろう。娼婦の店に雇われているくらいだ、そっち方面の知識だって持ち合わせている。だから気軽に冗談半分でも誘いをかけることだってできるわけだ。
青年がこちらを見上げながら困ったような、しかしどこか皮肉っぽい笑みを浮かべる。その表情を受けて「お、いい顔」と思うくらいにクザンにとって彼の整った顔は好みであった。
「あんたは一回じゃ終われねぇだろ」
「そりゃー良かったらまた体験したくなるのが男ってもんだしね」
「しつこい男は嫌いだ」
「あー……でも、お前さんだって気持ちいいことは好きなんじゃないの」
何食わぬ顔で男を受け入れているのだから。そう思いながら青年の頬に触れると今度は振り払われなかった。それをいいことに頬から首筋を撫でて、服の下に手を入れて肩を撫でる。すると指先が歪な円を描いたような例の痕に触れた。
「でけぇ奴とヤるのは疲れるんだよ」
青年のその言葉に引っかかりを覚えて眉を寄せると、呆れたように視線を外され「飯当番だからあんたの相手はおしまい」と言って店内へと姿を消していってしまう。だが最後の最後で彼の行為の相手が自分と同じような高身長だったということが判り、もしかしたら可能性があるのではないかと淡い希望を抱いた。
しかし後々に娼婦たちから仕入れた情報によると青年と夜を過ごした相手が苛烈な正義極まる堅物な同僚だと知り、クザンは困惑と落胆で頭を抱えながら部下の懇願も虚しく不貞寝した。