迷子のベポ


 眠気覚ましの散歩と軽い昼食をとるため中央街まで出てきた俺を捕まえたのは小さな手だった。片足にぎゅっと抱き着いて無邪気な笑顔でこちらを見上げてくるのはあの花屋の女の子。何度も顔を合わせているせいか随分と懐かれてしまったようだ。これから丘に咲いている花を摘みに行くらしく、一人で街を離れるよりはと手を引かれるままついて行くことにした。どうせ店の営業時間までは暇を持て余していたところだ。

「おにいちゃん見て、シロクマさん!」

 興奮したようにご機嫌な声が聞こえたのは丘に着いてから三十分ほど経った頃だろう。花摘みには興味がなかったから少しだけ横になろうと寝転がったのがいけなかった。気付けば眠りに落ちていたようで女の子の声で目が覚めた。重い瞼を持ち上げながら耳に届いた言葉を頭の中で反芻する。白熊と確かに言った。ここは年中気候が穏やかな暖かい春島。寒い地域に住む白熊がいるはずもない。
 きっとそれらしい花でも見つけて喜んでいるのだろうと思いながら上体を起こすと、キラキラと瞳を輝かせる女の子の隣にそれはいた。紛うことなき白熊が。しかも器用に二本足で立っている。いやそれよりも気になるのが────

「なんで白熊がつなぎなんか着てんだ」
「クマが服着ててすいません……」
「別に責めてるわけじゃ……今そいつ喋ったか?」
「おはなしできるシロクマさんだよ!」

 頭を抱えたくなる。本当にこの世界では驚くことばかりだ。言葉を離せる動物がいるなんて聞いてない。魚人族のことは知っているが、それとはまた別にそういう種族もいるのか。いや、この白熊が特別な個体なだけということだってある。それこそ悪魔の実の能力者の可能性も、とそこまで考えてどうせ答えを知っているわけではないからと思考を放棄した。
 白熊の着ているつなぎの胸元にはドクロマークがあった。明らかに海賊だが、見た目のせいかどうも警戒心が抱けない。女の子の作った花の冠を頭へ乗せている姿なんかは児童向けの絵本のキャラクターそのものだ。もしかしたらまだ夢の中なのかもしれないと思うほどにファンタジーな光景である。
 このまま現実逃避をしてもう一度寝てしまってもいいのだが、さすがに今ここにいるのが自分だけではないためそうもいかない。

「で? お前、仲間がいるんだろ」
「あ、そうだ。おれキャプテンたちを探さないといけないんだった」
「シロクマさん迷子なの?」
「迷子じゃないよ! 街まで行けばすぐに会える……と思う。多分」
「そこはもっと自信持てよ」

 人の大勢いる街に行けば白熊の存在は目立つしきっと仲間のほうから気付くだろうに。迫力ある熊の見た目なのに中身が一致していないことがおかしくて思わず笑いが零れた。
 その後、一緒に探してあげるねと笑顔を浮かべる女の子に手を握られた白熊を連れて中央街へと戻ってきた。物珍しそうな住民や観光客の視線を集めながら比較的人通りの多い広場へ向かう。下手に動き回るより人目の多い場所に留まっていた方が探す方も探される方も楽だ。それに広場で行われている大道芸を見つけて目を輝かせる一人と一匹は暫くここから動きそうもないから丁度いい。
 近くにあったベンチに腰を下ろし背もたれに体を預けて周囲を見渡す。子供連れの家族、若いカップル、商売人、地元住民。一見すると海賊らしい奴らは見当たらなかった。白熊曰く、船長以外の仲間は皆お揃いのつなぎを着ているらしい。けれどここは海軍も頻繁に立ち寄る島だ。海兵に見つからないよう服装は変えている可能性もある。となれば顔も知らない奴を見分けるのは難しい。真面目に探すのは阿呆の極みだ。
 もう少し具体的な特徴を聞いておけばよかったな、と適当に周囲へ向けていた眼がとある男を捉えた。物騒なほど長い刀を肩で支えるようにして持った男が街で一番大きな本屋の前にいる。あれは嘘でも一般市民とは呼べまい。関わると碌な事にはならなそうだ。本屋に入ろうとした男の体がピタリと止まったのと同時に俺は目線を外した。タイミング良く大道芸人の大技が決まったことで観客が沸き広場にいた鳩が飛び立った。おかげで男の視線はこちらまで届かずに済んだ。

「おもしろかったー!」
「よかったな」

 賑やかさが落ち着いた頃、満足そうな笑顔を浮かべた女の子が駆け寄ってきた。この様子ではもう目的は忘れてしまっているだろう。その後ろを歩く白熊も同様のようだが、こちらは口元に指を添えて物欲しそうに何かを見ていた。それを辿った先にあった露店にはカラフルに彩られたかき氷が並んでいる。

「食うか?」
「食べたい、けど……まだキャプテンからお小遣い貰ってないから我慢する」

 へぇ海賊って小遣い制なのか。なんて関心していると服の裾を引っ張られて顔を下げる。どうやらこの子も食べたくなってしまったらしく、ねだるようにこちらを見上げてきた。こうなってしまっては無視もできないのが俺の甘いところだ。仕方ないと軽く肩を竦め、ベンチから立ち上がり露店へ向かった。
 両手に持ったかき氷の片方を女の子へ渡し、もう片方を白熊へと差し出すとぱちくりと目を瞬かせ戸惑いを見せた。観光客向けの少々割高な価格だったのだから受け取ってくれなきゃ俺が困る。

「え、いいのか?」
「遠慮すんな」
「おまえ優しいな! 皆に会えたらおれ、ちゃんとお礼するから!」

 そう言って女の子と並んでベンチに座り、それはもう美味しそうにかき氷を食べる姿には笑うしかない。多分、ペットに餌付けするのってこういう気分なんだろうな。
 それから数分後、白熊を引き取りに来たのは同じ海賊の仲間だというつなぎを着た二人組の男だった。何か礼を、なんて海賊のくせに律儀なことを言うPENGUINと書かれた帽子を被る男には俺が働いている店の場所を教えておいた。それから夜に来いとも。どうせなら店に金を落としてもらったほうが給料にも直結する。
 しかしなぜかその日の夜に「うちのクルーが世話になった」と店へ現れたのはあの物騒な刀を持った男だった。