カタクリは忠告する


 ビッグ・マム海賊団の大臣はお菓子作りに必要な食材を調達するため万国を離れることが多々ある。スイート3将星と称えられるカタクリも例外ではない。ママに命ぜられるまま食材を手に入れるため、とある島へと来ていた。交渉事は同行していた兄の方が優れているため現在は船で待機中だ。
 穏やかな波に揺られる船の上から探るように島を見渡してから暫く経ち、今頃交渉という名の脅しに島民が屈し始めた頃合いだろうと背を向ける。そこで、ふと一人の青年の後ろ姿を視界に捉えた。普段であれば気に掛ける必要もない存在なのだが、ビッグ・マム海賊団のナワバリの外で単独行動をしていることにはやや疑問を抱く。兄であるペロスペローは常に青年を帯同しているからだ。よもや忘れていったわけではあるまい。
 不審に思い視線を向けすぎていたせいか青年がこちらを振り返り、不快そうに眉を寄せた。何か用でもあるのかと露骨に表情で物語っている。

「ペロス兄の走狗が働きもせず黄昏ているとは、随分と偉くなったものだな。ここで何をしている」

 船の手摺りに寄りかかり何もない海原へ身体を向けている青年に歩み寄りながら声をかけるも、既に返答は視えていた。したがってカタクリは相手が口を開き声を発するよりも前に、返された答えに軽い嘲笑を添えて言葉を続ける。

「フン、忠犬だな」
「ここで待っ……チッ、分かってるのに聞いてくんなよ」

 こちらを見上げるのが面倒なのか顔を逸らしながら青年は呆れたように小言を零した。
 先行する会話に戸惑いを見せるか、そもそも理解することができない察しの悪い人間のほうが世の中には多い。極めた見聞色がどのようなものか知っていても実際に目の当たりにした時、動揺せずに対応できるのは同じく見聞色を極めた者くらいだろう。冷静に対処できるだけでも大したものだ。
 さすが兄が手元に置くだけのことはあり、青年の頭は悪くはなかった。ついでに、大人しく船で待つようにと言われたらその通りにしているのだから無駄な愚かさもない。そこだけは好印象だと思いつつも、賢く手のかからないそれこそ狗のようだと見下げてしまう。

「あんたこそ行かなくていいのかよ」
「相手は力を持たない島民。おれの出る幕ではない」
「ふーん? なら結局俺と同じサボりってことだろ」
「一緒にするな。お前はペロス兄の命令がなければこの船から降りることも許されない鎖に繋がれた狗と同じだ」

 そうだろう、となぜか心の中で自分に問いかける。
 海風に遊ばれる髪を耳に掛けたせいか青年の横顔がよく見えるようになって、それに不愉快さを感じた。珍しい種族というわけでもなく、特別力を持っているわけでもない。だというのに、どこか異質さを感じる不思議な存在だと認識してしまう。どうして脳がそう判断したのか理解できない。相手は取るに足らないただの人間で、兄のオモチャなのだ。気にも留めるような存在ではない。
 そうと解っているのに目を逸らすことができなかった。海を眺める眼は何処を見ている。なにを視ようとしている。誰を想ってここにいる。いくら見聞色を鍛えようともそれを推し量ることはできないというのに、無意味なことばかり考えてしまう。その不快さに思わず顔を顰めると微かに笑った気配を感じた。

「憐れんでくれてんだ? お優しいねぇビッグ・マム海賊団は」

 こちらの気など知った事ではないのか暢気に皮肉なことを言ってくれる。ママのご機嫌を伺い、ママの夢を叶えるために働き、ママのために生きている。そんなお前たちと飼われている狗とでどこが違うのかと、青年の口舌にはそんな意味が含まれているような気がした。ああ、なんて苛立たしい男なのか。
 一方的な力で抑えつけられる屈辱や置かれた立場に少しでも抗う姿を見せていれば、いくらでも黙らせる方法はある。実際に兄の前では反抗的な態度を見せていたと聞いた。だがそれ以外はどうだ。ビッグ・マム海賊団を恐れる訳でもなく、力を求めているわけでもなく、ただ従順であるのみ。そこに自我があるわけではないのだ。おそらく己の弱さを認め、自由を諦めたのだろう。

「お前は、つまらない男だ。少しでも牙を見せて噛みついてくれば躾のし甲斐もあるんだがな」
「そりゃ残念だったな。俺は主人にしか噛みつかない駄犬なんでね」
「……反抗するだけ無駄だ。お前に絡んだ飴は抗う分だけ自分を締め付けるだけだろう」

 言葉ではそう言うが、カタクリには青年が何者にも縛られていないように思えた。その喉元には確かに鮮やかな飴細工が飾られているのに、枷を失くしてしまえばするりと手元から去ってしまいそうな予感さえする。
 だが、そんなものは錯覚だろう。ようやくそこで視線を逸らすことができた。兄が船に戻って来た気配を感じたせいではない。最初から自分が手にしたものではないと解っているからだ。

「ご忠告どうも」

 カタクリにだけ聞こえるような声でそう呟いた青年は、甲板に降り立った兄の元へとまるでそれが当然のように戻っていった。目で見なくとも判る。兄もそれを当然のように迎えるのだろうと。
 兄弟の中でも一番ビッグ・マム海賊団のために、ママのためにと行動してきた長兄がどうして使い道のなさそうな男を傍に置きたがるのか。それが理解できていなかった。しかし、まともに言葉を交わしたことで、その存在を認識したことで、僅か一歩だけ理解に近づけたような気がした。