シフォンと日常


 今日はシフォンケーキが食べたい気分だ。などと宣った張本人は飴で作られた城に駐在するコックへそれを伝えることなく、ビッグマムに呼ばれスイートシティにあるホールケーキ城へと出向いてしまった。午後のティータイムまでには戻ってくるらしい。つまり、遠回しに大人しく留守番なんかしてるなとお遣いを申し付けられたわけだ。単独行動が許されるようになったのはいいが、あの男はキャンディ島から遠ざけるような雑用ばかりを俺に与えてきた。どうしても少女と会わせたくないようで、今でも一人でペロリタウンへ行くことは禁じられている。機嫌が悪ければ城から出ることだって許されない。

「あんたのとこの長男は監禁癖でもあるのか?」
「どうかしら。慎重な人ではあるけれど、そういった話は聞かないわ」

 あれだけ兄弟姉妹が多ければ知らないことがあっても当然か。そんな俺の愚痴ともクレームともとれる不満に嫌な顔もせずに答えてくれた彼女はペロスペローの妹のうちの一人であり、此処ふんわり島を統治している大臣だ。シフォンケーキ作りのエキスパートでもある彼女は他の大臣たちと比べても横暴な態度はなく初対面の時から友好的であった。
 こうしておやつの時間までにケーキを作って欲しいと頼みにくれば快く引き受けてくれる寛大さもあり、あの母親からよく彼女のような娘が生まれたものだと少なからず驚いたものだ。だからと言って特別親しくしているつもりはないが、制限のある暮らしをしていれば気を抜きたい時だってある。必然的に足を運ぶ回数が多くなるのもやむなしだろう。

「丁度プリンからチョコレートを貰ったの。マーブルシフォンにでもしようかしら」
「細かい指定はされなかったから任せるよ。あ、でも俺のは──」
「”甘さ控えめ”でしょ? 言われなくても覚えてるわよ。あなたのはチョコレートじゃなくてコーヒーにしておくわ」

 そんなわけで有難いことに俺がそこまで甘党ではないことも把握されている。
 わざわざ二種類ものケーキを作ることになって面倒だろうにキッチンに立つ彼女は随分と楽しそうだった。手際よく材料をかき混ぜて生地を作り、卵白もあっという間に柔らかいメレンゲに仕上げ、丁寧にその二つが混ぜ合わされる。流れるような工程に毎度のことながら感心してしまう。
 お菓子作りは繊細だ。一グラム違うだけで味は変わってしまう。この世界に来る前に喫茶店でバイトをしていた経験があるから、どれだけ手間がかかるかは知っている。その懐かしい記憶があるせいか時々考えてしまう。海賊なんてやめてしまってパティシエとしての腕を生業として生きていくほうが幸せなんじゃないのか、と。けれどこの世界を知ってしまったら、この国に身を置いてしまったら、叶うはずもない愚かな希望であると願うことすら否定される。口に出して伝えないのは彼女もそれを充分に理解しているからだ。あの母親からは、ビックマムからは逃げることができないのだと。
 型に生地を流し込んでいる後ろ姿から窓の外へと目を向ける。そこには多種多様な住民がいて、争いもいがみ合いもなく平和な時間が流れていた。まるでおとぎ話のような家に、甘い香りに満たされた空間。殺伐とは程遠いけれど確かにそれは身近にある。

「さ、焼きあがるまでお茶にしましょ」

 考え込んでいたつもりはなかったから時間もそれほど経っていないだろうに、オーブンの中にはすでに二つの型が並べられていた。日頃からビッグマムの食い煩いに付き合ってるだけあって作業が早い。ミトンを外してティーセットを用意する彼女に、そういえば手土産があったのだと思い出す。持ち込んだ紙袋から正方形の可愛らしいお菓子箱を取り出し、テーブルに置いて蓋を開けた。

「余りもんで悪いんだけどビスケットを持ってきた」
「あらいいわね! もしかしてクラッカー兄さんから?」
「そ。食ってると飽きるから何枚もいらねぇって話したのをどっからか聞きつけたらしい。鬼の形相で箱一杯のビスケットを押し付けられたよ」

 おかげでここ数日間のティータイムのおやつはビスケット一色だ。一人だけで食べきれないことは受け取った瞬間に重量で察しがついたし、弟が寄越した面倒事だ兄が責任を取れとばかりにペロスペローを巻き込んでやった。さすがのあいつも弟の手作りビスケットを無下にはできなかったらしく、いろいろアレンジを加えながらも食べてくれたのは助かった。
 それもあって突然シフォンケーキが食べたいと遣いに出されても反抗する気は起きなかった。注がれた紅茶に礼を言ってカップに口をつけると対面から僅かに空気の揺れを感じて視線を向ける。どこか微笑ましそうにこちらを見ている彼女の言わんとしていることを悟ってしまい顔を顰めた。

「食い物を粗末にはできねぇだろ」
「ふふっ、まだなにも言ってないじゃない」
「顔に出てるんだよ」

 捨てるのは簡単だ。いらないからと誰かに譲ることも出来た。それをしなかったのは言葉の通り食い物に罪はないからで、どこぞのビスケット野郎のためだなんて微塵たりとも考えていない。次押し付けられようものなら突き返すつもりだ。そう心に決めながらカップをソーサーの上に戻しビスケットを一枚口に放り込む。やはり一、二枚食べるくらいが丁度いい。
 しかし問題はなにもクラッカーだけではなかった。

「ったくなんなんだ。あんたの家族に絡まれることが増えてきたんだが」
「皆あなたに興味があるのよ。ほら、最近は一人で行動することも増えたじゃない?」
「あー……あれでも一応人避けにはなってたのか」
「ペロス兄さんをそういう扱いとして見れるのは、きっとあなただけね」

 なるほど確かに。振り返ればやたらと声を掛けられるようになったのは単独行動を許されるようになってからだ。単純に俺みたいな拾われ者は眼中にないだけかと思っていたが、ピエロのような見た目のあの男は案山子の役割も担っていたらしい。面倒事を避けたければあの男の傍にいなければいけないとは皮肉なものだ。
 そうこうしているうちにふんわりとしたシフォンケーキが焼き上がり、柔らかな甘い香りを閉じ込めるように洒落た紙箱に包装されたケーキを二つ受け取った。

「そうだ、あなたには伝えておかなきゃ。私、結婚するのよ」
「知ってるよ。“ギャング”ベッジだろ。ペロスペローから聞いてる」
「兄さんってばお喋りね。私が驚かせたかったわ」
「式はあげないんだってな」
「ローラと瓜二つの私のウエディングドレス姿なんて見たら今度こそママに殺されちゃう」
「……つくづく俺には理解できない母親だな」

 自分が生んだ子供を己の願望のために利用し蔑ろにする。挙句に命を奪うことさえ躊躇わない。そんな奴を果たして親と呼べるのか。俺の父親だった男も最低な野郎だったが比べるのが可哀想なくらいこの国の女王は異常だ。あまりにも倫理観が違いすぎていっそ呆れてしまう程に。

「あんたのこと、大事にしてくれる人だといいな」
「ありがとう」

 家族を捨てることは叶わないかもしれないけれど、せめてこれから家族になる相手が幸せをくれるだろうと願うことくらいはしてもいいだろう。相手は海賊で非道だとしてもそれに屈するほど彼女はやわじゃない。もしかしたら幸福を与える側にだってなるのかもしれない。いや、むしろそうであって欲しいと祈るばかりだ。
 それに海賊の中にも暖かい人がいることを俺は忘れてはいない。