うっかりと侵入してくる海賊船もなく、来賓を招いてのお茶会もなく、たっぷりのスイーツを食べた万国の女王はホーミーズたちとお昼寝中だ。そんな優雅な昼下がり、ホールケーキ城の一室でペロスペローはニュース・クーの届けた新聞を手に、座り心地の良いソファに腰を落ち着かせていた。ちらりと窓際を見れば、今やチェス戎兵に大臣補佐とまで呼ばれるようになった飴細工の首飾りを着けた青年も日の当たる窓枠で微睡んでいる。なんとも緊張感のない光景だ。
しかしそれを咎める必要も今はないと持っていた新聞を広げ一面に目を通す。世間を騒がせるようなニュースと言えば麦わら海賊団だがマリンフォードでの一件以降は随分と大人しい。今回はママへ報告するような重要な情報はなさそうだ。
そうしてざっと全体を軽く読んでいると部屋のドアがノックされ、シャーロット家の末子がひょっこりと顔を覗かせた。
「やぁアナナ。一人でここへ来たのか?」
「うん。キャンディーアップルを作ったの。ペロスお兄ちゃんにあげるわ!」
「ありがとうな、ペロリン♪」
新聞を折り畳みながら小走りで寄ってきた幼い妹を迎えると、両手に一個ずつ持っていたキャンディーアップルの色鮮やかなシロップでコーティングされた方を差し出される。幼い弟妹たちがこうして作ったお菓子をプレゼントしてくるのはよくあることだった。まだまだ遊びの延長で作られたお菓子故にママへの献上は許されない。美味しいスイーツを作り上げるまでは我々年長の兄弟姉妹たちは先生役もとい実験台というわけだ。
「どれどれ……んー、いい香りだ」
持ち手の棒を指で摘まんで目の高さに合わせてからじっくりと観察していく。香りから察するにシロップはベリー系をいくつかブレンドしてあるようで、その影響か表面は不均等なマーブル模様になっている。色合いのバランスも改良の余地ありだろう。味はもちろんのことスイーツは見た目が大事だ。しかし末の妹はまだ幼い。クオリティを求めるのは苦というもの。
さて味のほうはどうだろうか、と長い舌でキャンディーアップルをひと舐め。万国が常に一流の食材を取り揃えているおかげか甘酸っぱいシロップは申し分ない美味さだ。一口齧れば新鮮な果実の爽やかな甘さとシロップとがハーモニーのように重なり思わず頬が緩んでしまう。
ワクワクと期待の瞳でこちらを見上げてくる末妹の頭に優しく手を置いた。
「良くできているじゃないか! これならママに作ってあげてもいい」
「ママ喜んでくれるかな?」
「もちろんだ! おっと、その手に持ってるキャンディーアップルでは形が悪い。もっと丸くて大きな林檎で作りなさい」
「はーい」
嬉しそうに笑顔を見せるアナナのもう片方の手に握られているキャンディーアップルは、ペロスペローに手渡されたものと比べても歪な形状であった。香りや味が問題なければママは食べてしまいそうだが、一人の飴細工職人として見た目の美を疎かにするのは耐えがたい。
親子ほど歳の離れた長兄の言葉に素直に頷いた末妹は手元の形の悪いキャンディーアップルをじっと見つめ、それからもう一度こちらを見上げてくる。何かを問うような表情のその意図を汲み取ったペロスペローが小さな頷きを返せば、アナナは瞳をキラリと輝かせて窓枠に座っている青年へと走り寄っていった。賑やかな来客に目は覚めていたようだ。
「ねぇ、これあなたが食べて」
「俺が? いいのか?」
「うん」
目線を合わせるために窓枠から降りた青年は床に片膝をついてキャンディーアップルを受け取った。子供に対して甘い態度を取るせいか、まだ幼い弟妹たちからは随分と懐かれている。元々妹がいることを顧みれば扱いには慣れているのだろう。とは言え、純粋さの中にある狂気に気付かないくらいにはまだ距離はある。いや、距離を置いていると言った方が正しいのかもしれない。
「食べて」
一歩引いた立場にいたいであろう青年ではあるが、目の前の子供におねだりされてしまえば断ることもできまい。
鮮やかなベリー系のシロップではなく、おそらくミルクチョコレートでコーティングされているキャンディーアップルに歯が立てられた。パキッと固まったチョコレートが割れる小気味良い音の後に果実が齧られる。ペロスペローは再び緩みそうになる頬をキャンディケインでそっと隠した。
とろけるような甘いベールに包まれた禁断の果実を口に含んだ青年は反射的とも言える反応速度で口元を片手で覆った。躊躇うようにゆっくりと咀嚼されていき、喉がゴクリと動く。表情を強張らせながら手にしたキャンディーアップルを凝視する様子にアナナは小首を傾げた。
「おいしい?」
「え? あぁ……美味しいよ。想像以上だったからちょっと驚いただけだ」
「よかった! ママにも作ってあげなきゃ!」
寄せられていた眉がスッと引いて自分にはまず向けられないであろう優しい表情が末妹へ向けられる。小さな子を傷つけまいとするその心意気は褒めてやってもいい。心の内でそう呟きつつ満足そうに軽い足取りで部屋を出ていく幼い背を見送った。嵐が過ぎ去ったような静けさに包まれる理由を知っていながら、それを気にかけることもなくペロスペローは残ったキャンディーアップルをぺろりと食べてしまう。
それから音もなくソファから立ち上がり、静かに浅い呼吸を繰り返しながら素手で果実からチョコレートのコーティングを剥がしていく青年の背後に歩み寄った。
「おや?」
わざとらしく肩に手を乗せ、覗き込むように腰を曲げる。すると触れた体がびくりと強張り思わず笑い声が漏れた。気配には敏感な男だが余程意識が手元に割かれていたのだろう。けれどそれも仕方のないことだ。なにせ青年が食べてしまった果実は新鮮で甘美なものなどではなく、表面に渦模様の浮かぶ恐ろしく不味いとても稀少な実。
そう、それは紛れもなく悪魔の実だったのだから。
血の気の失せた横顔のなんとそそることだろう。キャンディマンにして食べてしまいたい程に劣情を煽られる。そんな眼を向けられているとも知らない青年の強張った顔が僅かにこちらに傾けられた。
「不可抗力だったろ」
「なに、責めるつもりはない。私としても想定外のことだ、ペロリン」
悪魔の実で作られたキャンディーアップルから青年の手を覆うように掴んで引き剥がす。掌には体温で溶けてしまったチョコレートが付着しており、勿体ないと長い舌で舐めとった。嫌がる素振りもできないくらい実を口にしてしまったことに動揺しているようだ。
ペロスペローは深く笑みを浮かべて青年の耳元に顔を近づけ囁いた。
「だが、もしママが知ったらどうなるかはお前でも想像ができるだろう。最悪死が待ってるぜ。なにせ船長の許可なく貴重な悪魔の実を食べちまったんだからな」
「……そうなったら監督不行き届きであんたもお咎めなしってわけにはいかねぇだろ」
「それは脅しかね? 確かにママは自分の子供相手でも甘い判断は下さない。なら、こうしよう」
悪魔の実はビッグ・マム海賊団の戦力増強になるだけではなく取引の道具としても役に立つ。物事を円滑に進めるには優位な立場であることが肝心だ。だから例え青年の意思でなかったとしてもママにとってはただの言い訳にすぎない。すでに失われてしまったという事実だけが全てなのだ。然りとてここまでせっかく飼い慣らした手駒を手放すのはペロスペローとしても本意ではなかった。
腰を伸ばしキャンディケインをくるりと回しながら一歩二歩と離れてから振り返る。
「今ここで起きた事は他言無用だ。幸運にもお前が能力者になったことを知っているのは私だけ。その悪魔の実についてもまだママは現物を見ちゃいないしどんな能力かも知らない。つまりこのまま誰にも明かさなければお前が能力者だという事実はないも同然!」
両手を広げて仰々しく言えば青年は呆れたような表情を浮かべた。心配せずとも部屋の中にホーミーズがいないことは確認済みだ。
「うまくいくはずがない。必ず嗅ぎつけられるぞ」
「お前がママを見縊っていないことは評価しよう。もしこの先犯人捜しが始まるようなことがあれば代わりに誰かを差し出せばいい。この国に迷い込む海賊は少なくないからな」
そう告げると今度は厭そうに眉を顰められてしまい、つくづく海賊には向かない男だと喉を鳴らして笑う。けれど青年のその懸念は無駄に終わるだろう。離れた分また近づいて一口だけ齧られたキャンディーアップルを掴み取り顔を寄せた。
「お前のことを想っての提案だぜ。ペロリン♪」
優しく諭すように言葉をかければ、まだ納得はしていない様子であったが小さな頷きが返された。
さて、ここで種明かしの時間だ。末妹のアナナがお菓子を作ってきたのは偶然ではない。歪な形の果実を選んだのは好奇心からではない。ここで起こった出来事をペロスペローは最初から全て知っていた。そもそもこの悪魔の実の存在をママは把握していない。もっと正確に言えば自分と青年以外は知らぬ存ぜぬだ。先日偶然にも悪魔の実を見つけた青年から回収した日より今日に至るまで、誰にも報告をしないまま隠し持っていたのはこの日のため。水飴のように練り上げた企みは見事成功を収めたのだ。
なぜビッグ・マム海賊団の利益にもならない行動をしているのかと歳の近い弟妹たちが知ったら困惑するだろうか。自分でもらしくないと自覚している。けれどあの時、泳げないと困ると言われたことがどうにも気に入らなかった。能力者がどうしても敵わない相手は海そのものだ。海中に潜られてそのまま姿を消されては追うこともままならない。だから逃げる手段を一つ減らしておきたかった。広大な海を単身で泳ぐなど無謀だと理解していながらも逃げる選択肢すら与えたくはない。
これは所謂一つの独占欲なのだとドロドロの飴に包まれていくキャンディーアップルを見つめながら無益な感情に思い至った。