忙しいことを理由にペロスペローから押し付けられたのは、稀少な食材が手に入る島の詳細が記載された羊皮紙の束だった。これを調達を担当する大臣たちに渡してこいという頼み事態は実にシンプルである。だが、シャーロット家の兄弟姉妹たちにはそれぞれが統治する島を持っており基本的にそこを活動拠点としていた。わざわざ各島へ届けに行けと言うのか。それはあまりにも面倒だ。あぁ、だから俺に押し付けたのか。本当いい性格してるよあの飴野郎。
しかし幸運にも羊皮紙を手渡すべき大臣たちがホールケーキ城に出向いていたようで、俺はホールケーキアイランドのみを訪れることで仕事を完遂できてしまった。
「兄貴ならまだ城にいるはずだ。ガレットたちの分はおれが渡しておく」
「はぁ……あんたを親切だと思う日が来るなんて」
「てめェのためじゃねェ! 効率重視だ。さっさと寄越せ」
正確にはまだ終えていないのだが、用事が一か所で済むことは確定していると言っていいだろう。比較的居心地の良さを感じる図書館を後にしたところで残された羊皮紙は一枚となった。最後に向かう先はカタクリの部屋だ。
下手をすれば日が暮れても島を転々とするはめになるところだった。そんな最悪の事態を回避できた今、部屋までの道のりが遠いだなんて文句は言っていられない。胸の内でそう言葉を吐きながら長い廊下を歩いていると、何やら慌てた様子のパティシエたちが視界に入った。傍らにはワゴンに乗せられた大きなドーナツの入ったバスケットがある。聞き耳を立てずとも聞こえる焦りを含んだ会話によれば、どうやら急遽ビッグマムがとろけるプリンの乗ったクリームたっぷりフルーツパフェが食べたいと言い出し、城内全てのパティシエたちが緊急で徴集されているらしい。その一方でドーナツをカタクリに届けなければならないという仕事も残されており板挟みになっているようだった。
優先すべきはこの国の女王の命令で一秒たりとも無駄にすることは許されない。やたらと大きく広い城だ。ここからカタクリの部屋までは決してすぐに行ける距離じゃないのは明白。それは彼らも分かっているだろうに良心を捨てることはできない。懸命に働いているパティシエたちがたった一人の我儘で命を脅かされるなんて理不尽な話だ。
「俺が代わりに届けてやろうか?」
見かねて声をかけてしまったのは俺がまだこの世界の狂った倫理観に染まり切っていない証拠だろうか。それとも、どこぞの書司と同じように効率を重視したか。
「よろしいのですか!?」
「これから用事を済ませに行くところだったし、事のついでだ」
「感謝します! ではこちら……一つ目はもっちりとした生地を──」
「説明してる場合じゃねーだろ」
悠長にドーナツの説明をし始めようとするパティシエたちを厨房へと急かし、バスケットの乗ったワゴンを押しながら目的の部屋へと向かった。
体の大きいビッグマムを基準にして建てられた城は廊下の長さも階段の多さもドアの大きさも桁違いだ。普通に歩いて行けばそれなりに時間はかかる。走って届けるくらいの体力は余裕にあるがそこまでする義理は残念ながら持ち合わせていない。遅いと文句を言われたなら原因はお前の母親だと突き返せばいい。嘘はついていないのだから俺が謝ることじゃないだろう?
そうこう考えているうちにカタクリの部屋の前に到着した。ノックをしようと手をかざすも手首を動かす前に大きなドアが内側から開かれる。視線を上げればペロスペローを軽く超えるほどの長身の男がこちらを見下ろしていた。偶然、ではなく俺が訪れることを見聞色の覇気で視たのだろう。わざわざドアを開けてくれたのは親切心からではなく、きっとドーナツが待ち遠しかったからに違いない。
「お前はこう言う……『パティシエの代わりに届けに来た』と」
「パティシエの代わりに届けに来た。わざわざ代弁してくれてどうも」
「理由は話さなくていい。全て把握している」
「はいはい。説明の手間が省けて助かるよ」
極めた見聞色は便利なものだ。まぁ、それでなくとも城内が騒がしければ察しもついているのかもしれない。運んできたドーナツをワゴンごと押し付けて用は済んだとばかりに背を向ければ、引き留める声も謝礼の言葉もなく背後でドアの閉まる音がした。最初から期待はしていないし労って欲しいわけでもない。むしろ礼など言われた日には偽物かどうかを疑ってしまう。この海賊団は身内にだけ甘くて素直に礼すら言えない奴が多すぎるからな、と後ろ髪をかきながら暫く廊下を進んだ後、ふと足を止めた。邪魔にならないようにと折り畳んで仕舞っていた羊皮紙の存在を思い出し、上着のポケットに手を突っ込むと指先が紙に触れる。危うく本来の目的を忘れてキャンディ島へ戻ってしまうところだった。
他人の世話焼いて自分の用事を疎かにするなんて我ながら阿呆だな、と呆れたように肩を竦める。踵を返して今度は足早にカタクリの部屋へと向かった。
「悪い、伝え忘れてたことがあったわ」
ノックをしてすぐにドアを開けるという、まるでノックの意味を成さない行動に「あ」と声を上げたのは果たしてどちらだったか。お互いに驚きに目を見開いたまま視線が合う。だって仕方がないだろう。普段は一切の隙も見せず、心の内も読み取らせず、冷静さや威厳を保っている男が床に寝転びながらドーナツを貪っているのだから。まさかこんな怠惰な姿を見せられるとは予想できるはずもない。
「あー……出直した方がいいよな?」
「……まずはドアを閉めろ」
腹の底に響きそうな声でそう言いながら立ち上がり口元をファーで覆い隠した男の表情はいつにも増して険しかった。肌を刺すほどの殺気も感じる。こんなにも露骨に殺意を向けられたのは久しぶりだ。引き返せそうもない雰囲気に大人しく部屋へ足を踏み入れて後ろ手でドアを閉めた。
すると、ゆっくりだが広い歩幅で男が静かに歩み寄ってくる。
「おれの、真の姿を見たな……!」
「見たっつーか見えたっつーか」
「何か言うことがあるだろう」
「は? 別にねぇけど」
「言え。最期の言葉くらいは聞いてやる」
ないものを言えと脅されても困る。たかが菓子を食べているところを目撃したというだけで謝れとでも。言動から察するにあの怠惰な姿を見られたことが問題らしいが、誰だって気を抜く時くらいあるだろう。それとも他に気にすべき点はあったか。そもそも怒るくらいなら鍵でもかけておけと言ってやりたいし、不可抗力で目にしてしまって命を奪われるなんて堪ったものではない。
そういえばペロスペローからおやつの時間にはカタクリに近づくなと拾われた当初に言われた気がする。無駄に関わるつもりもなかったから聞き流していたがこういうことだったのか。
「おれの顔を見て、何を思った」
「顔……?」
どうやら素顔を目撃したことがお気に召さなかったようだ。けれど正直この国には多種多様な生き物が多すぎてどこがおかしいのか全く理解が追い付かない。強いてあげるなら随分と口が大きい印象を受けたくらいだが、首が痛くなるほど見上げなければならない大男を前にしたらそんなことは俺にとっては些細なこと。したがって何を思ったという問いの答えはとくになし、だ。
残念なことに目の前で立ち止まった男に素直にそう伝えたところで溢れ出る殺気はきっと収まらないだろう。鋭い眼光がじっとこちらを見下ろし、徐に腕が伸ばされた。そして大きな手に胴体を掴まれ男の目線の高さまで持ち上げられる。
「安心しろ。ペロス兄にはおれが詫びておく。うっかり殺してしまったと」
指に力が込められて内蔵が圧迫された。このまま握り潰されるなんて冗談じゃない。あの子の無事を確かめるまで俺は死んではいけないのだから。とはいえこの状況をどう脱するべきか。少しずつ強まる握力に趣味が悪いなと顔を歪めながら思考を巡らせていると、男の後ろにある食べかけのドーナツが視界に入った。
顔を見て何を思うかだって? いい歳した大男が甘いドーナツを頬張る姿だぞ。ふと、そこで脳裏に浮かんだのは一等好きな味のキャンディを頬を緩ませながら舐めるペロスペローだった。さすが兄弟、よく似ているな。つい口角を上げてしまったその時、なぜか胴体を掴んでいる手の力が僅かに弱まった。
「あんたがどんな答えを望んでるのか知らねぇけど……俺は、子供みてぇだなって思ったよ」
視線を男に戻せば殺気を含んだ鋭い瞳はなくなり目を見開いている。
「兄弟そっくりだ。ペロスペローの奴もあんたみたいに美味そうに食うんだよな」
続けてそう伝えれば男はぐっと眉間にしわを寄せて探るように俺の目を見つめてくる。そこには疑いと戸惑いの色が見て取れて、初めてカタクリの心の内を覗いたような気分だった。
それから暫く無言が続きそのまま声を発することなく不意に手が離される。突然の浮遊感に焦ることなく難なく着地をし、ひとまず万事休すの状況は脱せたことに安堵の息を吐く。
「もういい、出ていけ」
邪魔をして悪かったと声をかけようとしたが、遮るように男は言い放ち背を向けてしまった。こちらとしてもさすがにこれ以上深入りするのは避けたいから有難く部屋を出てさっさとその場を離れる。楽に終わるはずだったのにまさかこんな事が起こるなんて本当に退屈しない世界だ。当たり前だがこれは嫌味に他ならない。それほどに変に疲れてしまった。今日はもう困ってる奴がいても関わらないようにしようと心に決めてキャンディ島に戻る船へと乗り込んだ。
上着のポケットに残された羊皮紙の存在を思い出しては頭を抱え、それをペロスペローに押し付けたのはその日の夜のことだった。