同情するカタクリ


 本拠地を離れるのは大抵がママの希望を叶えるべく稀少な食材を探す時か、ナワバリの島に建設した製造工場からお菓子を回収する時か、珍しい種族の生け捕りにしに行く時か、だ。まだ兄弟が少なくママも若い頃は世界中を航海して回ったが万国という一つの国を築いてからは招かれざる客を相手にすることの方が多い。
 今回は珍しく愚かにもママに喧嘩を売った憐れな海賊たちに制裁を下すための遠出だった。格下相手でも容赦はしないことを示すため暇を持て余していた弟妹たちも一緒だ。おかげで敵が拠点としている小さな島に攻め入ったもののオーブンに入れたスポンジケーキが焼きあがるよりも早く事が片付いてしまった。これには普段万国から出る事の少ない年若い弟妹たちがもっと遊んでから帰りたいと不満の声を上げるのも仕方のないことだろう。
 そこで指揮を執っている長兄の提案で帰路にある観光地ともなっている島へ寄ることになった。

「いいかお前ら、ママには内緒だ。はしゃぎすぎるなよ? ペロリン♪」

 ほぼ父親代わりとなっているペロスペローの言葉に弟妹たちは素直に返事をして意気揚々と船を降りていく。ペロス兄さんは甘い。この場にスムージーがいたのならそう言うだろうが、実のところこの島はビッグ・マム海賊団のナワバリの一つであり、観光エリアとは離れた場所にはしっかりとお菓子工場もある。おそらく海賊たちへの制裁は事のついででお菓子の回収が本命だったのだろう。目障りな海賊を潰した上に甘いスイーツを手土産にしたとなればママのご機嫌も上々だ。
 やるべき仕事はすでに終えているカタクリは合理的な兄の手伝いでもするかと寄りかかっていた壁から背を離す。だが、ペットから大臣補佐にまで昇格した青年が一人で船を降りていくことに気付いて視線で追った。本人は一歩引いた立場にいるつもりのようだが、もう随分とこの一味に馴染んでしまっている。その証拠に放し飼いにされることも増えてきた。逃げることはないという信頼を持たれているからか。それとも莫迦なことを考えるほど愚かではないというだけなのか。
 あの時、殺されてもおかしくない状況にも関わらず笑みを浮かべた青年に対して未だに理解が及んでいない。それならそれで構わないと頭では解かっているつもりだ。

「……くだらない」

 口に出した言葉とは裏腹にカタクリは人混みの中に紛れていく背中を追うようにして船から飛び降りた。その姿をペロスペローに見られていたとは露知らずに。
 何を確かめたいのか、何を知りたいのか、目的が定まらないままに人の多い観光地へと足を踏み入れる。巨人族とまでは及ばずとも周囲と一線を画す長身があれば目的の人物を見つけるのは造作もない。青年は宝石を扱う店の前で展示されているアクセサリーを手に取り、装飾の宝石を透かすように太陽に向けていた。ここで声を掛けるのは簡単なことだ。
 けれど、宝石を通して屈折した太陽の光を顔に落とした青年の横顔から目が離せなかった。まただ。また、その瞳だ。一体どこを視ている。誰を想っている。何故自分は憂いとも呼べる印象を抱かねばならない。カタクリはその場で歩みを止めて不快感に顔を顰めた。一人では救える者も救えず、抗うこともできず、強者に従うしかない弱者にどうして気分を害されなければならないのか。目を背けてしまえばいいのにそれもできず、名残惜しみながらもアクセサリーを手放した青年が店を後にするまで結局動くことはできなかった。
 次に向かったのはどうやら雑貨を取り扱う店のようだ。先ほどの湿度を帯びた雰囲気が嘘のように青年は軽やかな顔つきで雑多に並ぶ品々を吟味していた。釈然としない。そんな気持ちで半ば睨むように様子を伺っているとこちらの存在に気付いたのか顔を向けらる。が、また何事もなかったかのように視線は商品へと戻されてしまった。ビッグ・マム海賊団に於いてカタクリと目が合って無視をする者はそうそういない。文句があるわけではないが声を掛けるにはいいタイミングだろうと歩み寄った。

「おい」
「言っとくけどサボりじゃねぇから。ペロスペローには適当にしてろってお達し受けてる」
「そうか。別に聞いていないが」
「先手打っとかねぇと嫌味言うだろ、あんた」

 世間話に興じる間柄でもない。確かにカタクリが青年に対して投げかける言葉のほとんどがペロスペロー絡みであり、本心とは言え嫌味と捉えられても仕方のない内容ばかりだ。その自覚はあるのか売り言葉に買い言葉はせず眉を寄せるだけに留めた。

「……何をしている?」

 話題を逸らすため店先の商品を見下ろせば子供向けのオモチャが並んでいた。キャンディ島にいるとされている少女のためだろうかと考えたが明らかに対象年齢が合わない。青年が手にしているのは子供向けというよりは赤子向けと見た方が正しいだろうか。暇つぶしに眺めていたにしては吟味している時の表情はどこか楽し気だった。まさか趣味だとは言うまい。そう思うよりも先に答えは返された。

「シフォンに出産祝いでもと思って。あんたら兄弟は何かあげねぇの? 食いモン以外で」
「特別なことはしない」
「そ。なら聞いても無駄か」

 なるほど、とカタクリは一人納得した。つい先日のことになるが妹はカポネ・ベッジとの子を産んだ。家族が増えるのは喜ばしいことだが、祝言は述べても贈り物はしない。シャーロット家の人間が結婚をするのも出産をするのも全てはママが決めることであり、全てはママの夢のためなのだ。つまり祝いのプレゼントは万国の女王宛てにのみあればそれでいい。兄弟姉妹の多くも同じ認識だ。だからとその思想を家族でもなんでもない青年に押し付けるつもりはなかった。
 あれこれと商品を物色していた青年は小さなピストルのオモチャを見つけると少しだけ思案してから購入を決めたのか店の奥へと入っていく。暫くすると店員に頼んだのか、それとも善意を押し通されたのか、ご丁寧にラッピングのされた可愛らしい箱を小脇に抱えて戻って来た。外で出迎えれば、まだいたのかと言わんばかりの呆れた目を向けられる。青年からすれば一緒に買い物に来ているわけではないのだから当然の反応だろう。それでも特に嫌なわけではないのか、歩き出すのに合わせてカタクリが後ろをついて行くことに苦言はなく異論もないようだった。
 どうやら用事は出産祝いのプレゼントを買うことだけらしく、その他の土産店や観光地に欠かせない飲食店などに立ち寄ることはなかった。面白味もない街並みを眺め、時折行き交う人々を目で追い、そしてまた目的もなく歩き続ける。なんてことはない、これはただの散歩だ。
 これ以上一緒にいても得られるものは何もないだろう。そう思い始めた時だった。

「俺さ、この世界の人間じゃないんだ」

 それは市場を抜けて人気が少なくなってきた頃合いに何の脈略もなく告げられた。まるで世間話をするかのような声音で、けれども内容は突拍子もなく聞き間違えかと疑うほど。感情に大きな変化もないのか見聞色での予知すらできなかった。例え予知できていたとしても返す言葉はおそらくなかっただろうが。

「元の世界で多分死んで、こっちに来たんだろうな」
「……バカバカしい話だ」
「俺もそう思う。本当に馬鹿げた夢だよ。さっさと目を覚ませばいいのにな」

 随分と他人事のような言い様だ。だが、自嘲気味に笑う青年がここで嘘を吐くメリットはない。冗談を言い合えるほど二人の距離は近くはなく、お互いにそんな親密な会話は望んでいないと知らないほど遠くもない。だからこそカタクリは足を止めて静かに見下ろした。

「もしお前の話に偽りがないと仮定して、なぜおれに話した」
「フェアじゃないだろ?」

 こちらを振り返った青年が言っているのは以前偶然にもカタクリの顔を目睹してしまったことについてだ。せっかく目を瞑ってやっているのに、黙っていれば、蒸し返さずにいればいいものをなんて愚かな奴なのだろうか。相手がただの部下の一人なら、パティシエの一人なら、名も知らぬ島民ならば助命を乞う隙も与えずに今頃はその体に風穴が空いている。しかし青年を軽蔑はすれど何故か怒りは湧いてこない。
 あの時、隠された裂けた口元を目にしても些細な問題だとでも思っているのか、怯えもしなければ笑いもしなかったのだ。それどこか異形とすら認識していないのかもしれない。もしその理由が”この世界はこういうものだ”と己に言い聞かせているのであれば納得できてしまう。

「悪いと思ってる。許さなくたっていい。ご覧の通り俺はこの世界に未練なんかねぇしな……だから、あの時終わらせてくれてもよかったんだ」

 石造りの柵に片腕を乗せて寄りかかり眼前に広がる果てのない海を眺めながらそう口にした。最後の方はまるで自分に言い聞かせているようで、諦めにも似た笑みが僅かに零される。

「でもあんたはそうしなかった。ペロスペローの話じゃ、これまで無事でいた奴はいなかったんだろ?」
「当然だ。お前が公言しようものなら望み通りにしてやろう。だが、お前はそんなくだらないことはしない」
「あぁ、残念ながら他人の事情を言いふらす程落ちぶれちゃいねぇもんで」

 律儀な男だと思うと同時に憐みを抱いてしまう。暴かれたくない事柄でなかったとしても誰かに告げることはないし聞くこともしないのだろう、と。ほんの小さな同情心が芽生え始めたカタクリに対し、青年は水面が穏やかに揺れる海から視線を外し今度は挑発的な笑みを浮かべた。

「俺の秘密なんてあんたにとっては価値なんかねぇだろ。俺にとってもあんたの隠し事なんてどうでもいい。な? これでフェアだ」

 不思議な気分だった。青年がこの世界で諦め否定する他者との交流の在り方に、お互いの秘め事を共有することは反している行為だ。ならばこれは優越感だろうか。いや、もっと違う何かだとカタクリは目を細める。羨望でも畏怖でも好意でも嫌悪でもない視線。こちらのことに何の興味も持っていない瞳。ありのままの、そこにあるものをただ見ているだけの感情。両手に収まる程の小さな体を握り潰さんとしたあの時も同様だった。なんてことだろう。何故か自分はそれを好ましいと感じてしまった。
 そこで太陽の光を受けてキラキラと光る飴細工の枷が青年の首元に嵌められていることを思い出す。それは所有物の証だ。これを外したらどんな視線が自分に向けられるのだろうか。瞳にどんな色を宿す。どんな感情を抱く。喜びか、それとも────ふと疑問が浮かんだ。首輪とも呼べる飴細工に伸ばしかけた手が中途半端な位置で止められたまま思考を巡らせた。
 青年が長兄の元にいるのは護るべき少女がいるからだ。少女の存在があるからこそ目立った反抗もせず、大人しく従っている。しかし先ほど青年はなんと口にしただろうか。未練はないと、終わらせたいと、そう言わなかったか。
 カタクリは眉を寄せてゆっくりと手を下ろした。

「お前、あの島に少女はいないと気付いていたのか。最初から、ペロス兄が保護していなかったと知っていたのか」

 観光の盛んな島であるのに喧騒は遠ざかり静寂が二人を包み込んだ。肌で感じる明らかに変わった空気の中でようやく露わになった瞳の感情は怒りではなく、怯えであった。青年はそれを悟られまいと顔を伏せる。

「お前ら海賊には優しさの欠片もねぇのかよ。なんで、馬鹿正直にそれを言うんだ」
「どういう意味だ」
「知らないままいれば……認めなくて済んだのに」

 吐き捨てるようにそう言って顔を上げることなく青年は背を向けて去っていった。
 その場に残されたカタクリは遠ざかる背中から目を逸らし踵を返して市場へと引き返す。言葉の意味も一瞬だけ見えた本音も察せないほど愚かではない。そして追いかける程の情もなく、慰めの言葉を贈ってやる優しさを向ける相手でもないのだ。そう理解していながら雑踏の中で目に留まったのは青年が立ち止まっていた宝石店だった。
 このまま船に戻る気も起きず深く考えることなく店に歩み寄ると数時間前に青年が手にしていたアクセサリーを摘まみ上げ視線の高さまで腕を上げた。装飾された宝石の色を見ては鮮やかで派手な服を身に纏うペロスペローを思い起こす。長兄にたまにはペットに優しくしてはどうかと言ったのは、危うく殺してしまうところだったことに対してのティースプーン一杯分の詫びのつもりだった。だが、あの時には既に同情していたのだろうか。
 柄にもないことを胸の内で吐露しながら青年と同じように宝石を太陽に透かしてみる。彼を引き留めているのは長兄の存在があるからか。だから少女のことも知らないフリをしているのか。宝石を通して一体誰を見て、何を想っていたのだろう。
 よく見ればマリーゴールドの花のような色だ。兄を、ペロスペローを想うならばもっと鮮やかなレモンイエローのほうがいいだろうに。