意識しなければ口に含んだキャンディを噛み砕いてしまいそうになるほどペロスペローは苛立っていた。ママの我儘のおかげでスイートで優雅なティータイムを過ごせなかったせいか。いや違う。この国の女王の気まぐれなどいつものことだ。では迫るお茶会の準備のために食材を調達しに行った弟妹たちからの報告が遅いからか。これも違う。家族贔屓と言われようが弟妹たちは優秀で失敗することはないと信じている。もし問題が発生したとして、わざわざ自分が名乗り出なくともモンドールが上手いこと解決するだろう。
ならば何故こうも腹の底が煮え立つ思いをしなければならないのか。その答えは確かに目の前にあった。視線の先では兄弟の中でも一際警戒心が強く無敗を誇る自慢の弟と、こちらはいつまでも主人への警戒心が抜けないペットもとい部下である青年が言葉を交わしている。もちろん雑談をしているのではなく、ペロスペローの指示があっての仕事の一環で話しをしているだけだ。情報の伝達と共有が今となっては彼の業務の一部であった。そうと理解しているのに、青年の耳元へ手を寄せるカタクリの姿にシワが刻み込まれるほど眉を寄せてしまう。だがその理由を、明瞭な答えを、導き出せずにいた。
とはいえ個人的な感情を家族のいる場で晒すことはしない。長男として立ち居振る舞いは皆の手本とならなければいけないのだ。それにビッグ・マム海賊団にとって、ママにとって重要で大事なお茶会に比べてしまえば誰もがくだらないことだと一蹴するだろうと自覚している。よって青年の首を掴み、鬱陶しげに歪んだ表情を見下ろしたのは自室へと戻ってからだった。
「随分とカタクリに懐いているじゃないか」
表面上は揶揄うように、しかし咎める色を隠すことなく含めた声音で語り掛ける。ここにホーミーズはいない。三面鏡の鑑は閉じられている。誰の目も耳も声も届かない完全なプライベートな空間が存在していた。
まともに酸素を吸うことも出来ず息苦しさにこちらを睨みつける青年の瞳に薄っすらと水の膜が張っていく。指に伝わるか細く抜ける呼吸の感触に情けをかけて手の力を緩めた。うっかり手加減をし忘れてしまったせいで飴細工の首飾りにはいくつかヒビが入ってしまったようだ。躾を終えたら作り直さなければならない。そう考えていると手が雑に払い除けられた。
「ッただ、話していただけ、だろ」
「気安く触らせるくらいには絆されてるようだがな」
「ハッ、俺が海賊を相手に?」
ペロスペローは口角を上げたまま目を細める。無自覚とはまた厄介だ。自覚でもしていれば言葉で躾けられたものを、と。再び喉元に手をかけ青年の身体をティーテーブルの上に座らせて顔を近づける。忌まわしいほどに目障りなのは耳元で揺れる長方形にカットされた宝石のついたピアス。選んだ宝石の種類はいい趣味をしている。けれど照明の灯りを受けて光を反射するそれがカタクリからの贈り物となれば褒める気すら起こり得ないのだ。
海賊に襲われた島で瀕死の状態の青年を拾ってから数年が経った。最初は見下していた周囲も今では自然と仲間として受け入れつつある。本人は否定するだろうが少なからず友人のように思っている弟妹もいるだろう。それは構わない。そこまで自由は奪わない。自分の認知している範囲であれば許そう。しかし、あのカタクリが家族以外に気を許しているという事実は問題だ。
黒髪に映えるマリーゴールド色のピアスを贈ることにどのような意図がある。一体何を確かめるために耳元に触れようとした。いつ、どこで、何があったというのか。知らぬ間に起こった二人の関係の変化に対してペロスペローは言葉では到底説明のできない苛立ちを覚えてしまう。そうしてアメのように練り込まれる感情を反映するかのように青年の自由を縛り付ける首飾りがギリギリと絞まっていく。
「ぐっ、ァ……本気でそう思ってるのか。俺が、あいつに懐いてるだって? 笑わせんな」
喉元を締められながらも青年は馬鹿にしたようにそう言って鼻で笑った。
「てめぇら海賊に生温い感情持つわけねぇだろ。喜べよご主人様、あんたはその筆頭だ」
表情こそ余裕のある笑みを浮かべているが見上げてくる瞳には熱さえも込められていない。冷たく、鋭く、感情を隠した獣だ。唇の間から覗く発達した八重歯がそれを裏付けているようで、ぞくりとした興奮がペロスペローの身体を駆けた。
「……くく……くくくく、それでいい。その調子で歯向かっていればいいんだ。誰に対してもな。でなきゃ面白くねェ」
喜びに似た笑いが抑えきれずに肩を震わせ、大袈裟に両手を広げてから紳士然とした滑らかな動きで胸元に片手を当てる。
「そうさ、お前のご主人様はこのおれ! その身も、心も、弄んでいいのはおれだけだ」
「クズ野郎が」
味のしなくなったチューインガムを吐き捨てるように言葉を放った青年の頭を掴んでティーテーブルへと押し倒す。そのまま撫でつけた髪は出会った頃に比べて伸びており、さらりと細長い指を擽った。さて、この生意気で退屈しない自分だけの愛玩動物をどう教育してあげようか。躾の基本は恐怖だ。そして言葉。この二つは既に実行済みである。ならば次なる手は身体に教え込むことだろうか。どうやら呼吸を奪うだけでは足らないようだから。
ペロスペローは手にしていたキャンディケインを使って青年の服を捲し上げ、鍛えられた腹筋に、晒された肌に触れた。
「今日は散々な一日だったぜ。熱い紅茶を嗜む時間もおやつを楽しむ時間もありゃしなかった」
骨ばった大きな手からどろりと溶けたキャンディが溢れ出す。能力によって生み出されたそれはまるで意思を持った生き物の如く青年の身体を這っていった。ゆっくり、じわじわと、逃げることのできない死地へと追い込むように。
「おれ以外に尻尾を振った罰だ。今日はお前をナメちゃうぜ、ペロリン♪」
纏わりついた甘くべたつくキャンディに眉を寄せて不快感を示すも抵抗を見せない青年の腹を長い舌でぺろりと舐める。
意外にもこれまで一度としてキャンディマンにしたことはなかった。どれだけ反抗されようともだ。それほどにペロスペローは拾ってあげたペットに対して甘い罰しか与えていなかった。ならば丁度いいではないか。これを機に今一度主従関係をはっきりさせよう。身体の隅々までキャンディでコーティングして、綺麗に舐めて、青年にとって誰が絶対かを解らせる。曖昧な認識は罪だ。でなければ己の命よりも大切な少女がどうなるのかを植え付けるように耳元で言い聞かせた。
その結果が生んだものは何か。
ママの絶叫に耳を塞ぐことで精一杯なペロスペローのよろけた体に突き付けられたのは硬く冷たい裏切りだった。背中に宛がわれたのは鉄の肌を持つと言われるヴィンスモークをも撃ち抜ける弾が込められた特注品の銃だ。それは本来、今回のお茶会に招いたジェルマの王族に向けられるべきもの。なぜそれが自分に向けられているのか。非常に悪い状況に立たされている。一度腹に風穴を空けられてしまえばいくら能力者だとしても臓物をキャンディで代用できるはずもない。
「バカな真似を……!」
計画の段階から配置は決まっていた。だから後ろを振り向かずとも誰がそこに立っているのかは解っている。裏切るのか、このおれを。裏切れるのか、お前は。少女はどうする。何よりも護りたいモノなのだろう。どうして投げ捨てられる。まさかこの騒ぎに便乗して少女を助けられるとでも期待しているのか。ありもしない望みに縋っているのか。
「──────」
しかし周囲の騒動とは乖離したかのように青年は何かを呟くと徐に銃を下ろし真横を通り過ぎていく。そしてヴィンスモーク家の長男に耳栓をして、回収したはずの手荷物をテーブルに置いた。その行動だけで麦わらの一味に加担しているのだと確信できてしまう。ただの裏切りであれば自分一人でどうにか処理をした。よりにもよってママに喧嘩を売った相手につくとは愚かで莫迦な野郎だ。大人しく従っていれば苦しまずに生きていられたというのに。
頭ではそうと理解しているのにヴィンスモーク家の長男に連れ去られていく青年を追いかけたのはペロスペローではなくカタクリだった。見聞色を極めた弟ならではの行動の速さには追いつくことはできない。そうでなくとも状況は混乱を極めている。麦わらの乱入、ベッジの裏切り、ママの怒り。部下一人に拘っている場合ではないのだ。
ならば何故、落ち着かない。
胸に湧き上がるのは怒りか、それとも虚しさか。唯一得られたものはペロスペローにとって青年の裏切りは予想外の動揺を生んだことだろう。