仲間だと思ったことは一度もない。海賊になったつもりも。奪われる痛みも虚しさも知っているからこそ、奪う側になど立ちたくはなかった。ペロスペローの側にいたのは少女を救うためだ。元の世界に戻れる望みもない以上せめてその小さな命だけは護りたかった。いや、そうと言い聞かせなければ一体何のためにこの世界で生きていかなければならないのか途方に暮れてしまいそうで、かつて生き別れてしまった妹と重ねることでしか自分を保てなかったのかもしれない。
けれど、心の奥底では最初から気付いていた。ここに少女はいないのだと。身内にだけ甘いあの男が利益もなく無力な子供を善意で助けることなどないと。俺はその現実から目を逸らしていただけだ。この世界の命は確かに重くて、あっさりと奪われてしまうほどに軽い。また失ってしまったと自覚したくはなかった。何度経験しても喪失感に慣れることはなく、結局瞼を閉じてしまうことが一番楽な道なのだ。
「本当、馬鹿なことしてるよな」
未だ外れることなく首元を飾る飴細工を撫でながら自嘲気味に笑う。
いざ現実を突き付けられてしまえば崩れるのは意図も容易く、自分の意思も曖昧になってしまう。ベッジの計画に乗ったのはそんな時だった。面倒なことだと分かり切っていても俺はペロスペローにとっての裏切りの道を選んだ。全て計画通りとはいかなかったものの多大な混乱を招くことのできた作戦は概ね成功。ホールケーキ城からも囮となったジェルマのおかげで運よく逃げ出せた。だが万国から出られた時こそが逃亡達成と言えよう。とはいえ一時的に手を組んだファイアタンク海賊団と麦わらの一味の計画もここまでだ。
本来ならばお茶会の場に残るつもりであった俺にこの先の目的はない。
「待って」
ベッジの城の中から追い出される麦わらの一味たちの後に続こうとしたところでシフォンに呼び止められた。
「あなたさえ良ければこのまま一緒に来るのはどうかしら。ねぇベッジ、いいでしょう?」
「しかしなぁシフォン。こいつはペロスペローの補佐役だ。これ以上厄介事を背負うつもりは──」
「忘れたの? ビッグ・マム海賊団の中で誰よりもペッツの誕生を喜んでくれたのは彼よ。私とあんたの結婚を素直に祝ってくれたのもそう。それを見捨てるなんて男が廃るってもんよ!」
「っ、確かにそうだったな……こいつには今回の借りもある。よし、好きにしな!」
「ありがとうベッジ。さ、あなたも自由になるのよ」
自由。果たして俺はそれを欲しているのか。本当に望んでいたのならヴィンスモーク家を終わらせるための銃をあの男の背中に向けた時に引き金を引けばよかった。奪う側に回ってでも勝ち取ればよかった。それができなかったのが答えだろう。ただ一つだけ明瞭としているのは何かを抱えるのはもう無理だということだろう。海賊にしておくには勿体ないほどにシフォンは思いやりの心を持っている女性だ。こんな状況でなければ、こんな世界でなければ、友人にでもなれたかもしれない。もしくは少女が生きていて無事にどこかで暮らしているというのなら、遠くから幸せを願いながら彼女の情けを受けてファミリーの一員になることを選んだかもしれない。
だからこそ差し伸べられた手に応えることはできなかった。
「誘ってくれるのは素直に嬉しいよ。でも俺は良い奴とは一緒にいたくない。悪いな」
断る理由の意図が掴めないのか困惑の表情を浮かべるシフォンの横を通り過ぎて外へと飛び出せばベッジから問いかけるような視線を投げられる。
「いいんだな?」
「あぁ。端から海賊になるつもりもねぇよ」
「……ペロスペローは必ずお前を追ってくるだろう。どんな策があるのか知らねぇが、うまく逃げ延びるんだな」
そう言うとすぐにベッジは体をタンクモードに変形させてこの場を去っていった。万国からの脱出を目指すのならばいつまでもホールケーキアイランドに留まるのはよろしくない。統率の取れたビッグ・マム海賊団ならば今この瞬間にも追撃の編成を整えているはずだ。陸で追いつかれるよりも先に海へ出てしまったほうがいい。もちろん海上でも油断はできないが。
「おい、お前はあいつらと行かなくてよかったのか?」
いまいち緊張感の欠ける麦わらのルフィはこの状況を解っているのだろうか。どうやら二手に別れて船へと戻るようだが、ホーミーズで溢れかえる万国においては監視の目が届かない場所のほうが少ないくらいだ。船の位置も今この場にいることも、これからの移動のルートでさえも相手には筒抜けになる。お茶会を滅茶苦茶にされ、己の家族よりも大事にしているマザーの写真を割られ、怒りに狂ったこの国の女王に捕らわれてしまえば今度こそ脱出は不可能だろう。そして命をもまるで野花を摘むように容易く奪ってくる。
最悪の世代だと世間が謳うこの海賊は、それでもきっと歯向かうのだろうか。だとしたら羨ましい限りだ、と思わず緩く口角が上がった。
「俺のことは気にするな。お前らも無事に逃げ切れよ」
だが、それは俺には関係のないこと。正直、これ以上の面倒事はごめんだった。作戦に加担した身ではあるがペロスペローへの意趣返しが目的のようなものだったせいか今はただ、楽になりたいという気持ちしか残っていない。情けないことに生きるための抗う理由は消えてしまった。
なのに現実はふわりとした砂糖菓子のように甘くはないから困ったものだ。
「チョッパー、ブルック。こいつも連れていけ」
「は?」
もう二度と関わるつもりはないと暗にそう告げたつもりだったのだが、麦わら帽子を被った海賊には通じなかったようだ。去ろうと背を向けたにも関わらず肩まで掴まれてしまい仕方なしに眉を寄せて振り返る。こちらに向けられる迷いのない真っ直ぐな黒い瞳にどこか居心地の悪さを感じて視線をそっと外した。
「ジンベエから聞いたぞ。おれたちが捕まった時にも手を貸してくれたんだってな」
それは囚人図書室でのことを言っているのだろう。
これまでビッグ・マム海賊団に挑む無謀な海賊たちを何人も見てきた。勇敢と恐れ知らずを履き違えた海賊たちはその全てが最後にはひれ伏し、降伏の旗を掲げ、命乞いをする。化け物じみた驚異的な強さの前では屈強な男でさえも地を這い甘いケーキに群がる蟻と同じだ。けれどもあの時、本の檻に囚われた麦わらは仲間を助けるために誰もが脅威とする相手に牙を向け続けた。成す術もない状況下でも諦めず、必ず自分がビッグ・マムを倒すのだと信じて疑わない。その姿にペロスペローたちは虚勢を張っているのだと笑っていたが、あの瞳を前にしてどうして笑える。助かる道は素直に従うことだけだ。利口であればその選択をする。それ以外に望みなんてあるはずないのだと。
なのに俺は、何故だか羨ましいなどと思ってしまった。
だから麦わらの一味が図書室に捕まっていること、警備が手薄になりオペラしかいないことをジンベエに告げた。それはベッジの計画とは関係のない個人的な、これもペロスペローへの意趣返しのつもりだった。助けたかったから協力したわけではない。
「……たまたまだ」
「そうか、たまたまか。でもおかげで助かった! サンジも戻って来たしみんなも無事だ」
にしし、と白い歯を見せて笑う麦わらの手はまだ肩を掴んだまま。
「だからよ、死のうとなんかするな」
「えっ、ちょっと、ルフィどういうこと!?」
「本当なのかお前! 死ぬなんて絶対にダメだぞ!」
あぁ、違う。こいつは解った上で呼び止めた。カタクリのように未来が視えているわけではなさそうだが直感が鋭いのだろうか。うまく隠していたつもりだったのに、出会ったばかりの奴に見透かされるなんて厄介なことこの上ない。おまけに麦わらが頑固だというのは嫌と言うほど見せつけられたばかりで、その一味の連中も海賊らしくないほどにお人好しだ。声にこそ出さないがジンベエからの視線も厳しい。
拒否を許さない一味の面々を前に諦めたように肩を竦めた。ここで言い合いをするだけの時間も彼らには残されていないのも確かだ。
「お前らの船長は随分と大袈裟にものを言うな……分かったよ。ついて行く」
海賊というのはどうして自分勝手な奴が多いのか。いや逆か。自由に生きたいから海賊になる。それはこの世界にやってきた俺には程遠い生き方だ。