事件は解決した。
そう工藤から連絡をもらったあの日、もう一度だけ電話をかけてみた。
呼び出し音さえ鳴らず、無機質なアナウンスだけが聞こえる番号。
暫く携帯を眺めて電話帳からある人物の名前をタップし、操作を進める。
《削除しますか?》
迷うことなくyesのボタンを押した。
──繋がらない番号は、いらない。
肺一杯に吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出し、自分を呼び出した人物が来るのを待った。
その日の昼間、休憩中の名前を呼ぶためバックヤードに顔を出した安室は表情を曇らせた。
いつもならドアの開く音に気付き、安室の顔を見るだけで嫌な顔をするのにここ数日はそれがない。
嫌な顔をされないのは大変とても嬉しいことではあるが、今は喜べない。
「電話、してみたらどうです?」
伏し目がちに携帯を見つめている名前にそう声をかける。
事件は無事解決した。
だが後処理がまだ残っているため日々バタバタしているだろう部下を思い浮かべる。
彼の様子を見るにあいつはまだ連絡をしていないらしい。
「全て終わったら連絡する」とは聞いていたが、文字通り全て片付けてから連絡するつもりでいるのか。
上司としては部下の真面目な働きに感心するが、少し真面目すぎやしないか。
まったく仕方のない奴だ。
「繋がらねぇーんだよ」
返事が返ってくるとは思ってもいなかったので少し驚いた。
はて、繋がらないとはどういうことだろうか。
ずっと電波が入らない場所にいることは考え難いし、着信拒否するなんてありえないだろう。
そこで安室はハッとした。
たしか国際会議場での爆発で携帯を壊してしまったと言っていたな。
尚更、風見が行動を起こさないと意味はないということか。
「すみません」
突然の謝罪の言葉に名前は携帯から視線を外し安室を見た。
「今回の事件で、風見のやつ携帯を壊してしまったようで」
「……そう」
「もう少し早くお伝えできればよかったんですが……」
「別にいいよ」
ここで安室が番号を教えれば、名前はすぐに電話をかけるだろうか。
だが部下のプライベートな情報をたとえ恋人である彼に教えるのは憚られた。
「休憩、長く取りすぎた。戻るよ」
携帯をカバンに仕舞いパイプ椅子から立ち上がりバックヤードを出て行く名前を、歯がゆい思いで見つめる。
閉まったドアに溜め息を吐いて後ろ髪をかいた安室は自分の携帯を取り出して慣れた手つきで番号を入力していく。
「あいつ、あとで説教だな」
安室は電話口で用件だけ伝えるとすぐに電話を切り、バックヤードを出た。
バイト中いつも以上に名前を気遣っている安室に少しだけ申し訳なくなったのか、今夜食事でもどうですか? という誘いに乗ってしまった。
用事があって一度帰るという安室から待ち合わせの場所と時間を伝えられる。
「絶対に来てくださいね」
念を押すように言われ名前は無言で頷く。
それに満足した様子の安室が去っていく背中を見つめ、名前はゆっくりと歩き出した。
降谷に呼び出された場所に行くとそこに目的の人物は居らず、代わりに事件のため最近会えていなかった名前が居た。
ベンチには座らず背もたれ部分に寄りかかり、その口には煙草が咥えられてるのが分かった。
どこか遠くを見るような目をしている姿に既視感を覚え、戸惑いつつも煙草を口に咥えたままぼんやりとしている名前の口元からそれを奪い取る。
「こら、煙草はやめろとあれほど……」
正面から見た表情に風見は言葉を続けることができなかった。
睨むでもない、得意の笑みでもない、なんの感情も浮かべていない表情をしている。
無表情なそれが、まるで彼の心がどこかに行ってしまったかのように思えた。
名前はゆっくりと瞬きをして風見を見つめ、その頬に両手をゆっくりと伸ばし恐る恐る触れ、指で確かめるように撫でる。
「苗字、どうした?」
いつもと違う、彼の様子には覚えがある。
返事をすることはなく、視線はまっすぐ風見から逸らさず手を頬から首筋、そして胸の上へとなにかを確認するように止めながら滑らせていく。
「……生きてる」
ぽつりと漏れた名前の言葉とその頬に流れた涙に風見は目を見開いた。
無表情のまま静かに涙を流す姿に、初めて見る彼の姿に、体が動かずその涙を拭うことさえできない。
”生きてる”と確かに彼はそう言った。なぜそう言った? 答えは簡単だ。
「知って、いたのか」
名前は知っていたのだ。
自分が今回のテロ事件に関わっていたことを。
当日の警備を警視庁の捜査員が当たっていたことはニュースでも知れるが、公安が関わっていたことは公になっていないはずなのにだ。
ふと思い出すのは事件の合間に降谷と交わした会話だった。
『彼に連絡はしたのか?』
『いえ、今は事件を優先していますから。全て終わってから連絡します』
『…そうか。その選択が、間違いじゃなければいいんだがな』
あぁそうか。あの人は彼が知っていることに気づいて僕にあんなことを言ったのか。
声も漏らさず、顔も歪めず、ただ静かに頬を濡らす涙は紛れもなく自分のせいだ。
彼は自分が泣いていることさえ、気づいていないのかもしれない。
小さな声で「……ちゃんと、生きてる」と呟く名前を抱き寄せる。
「あぁ、生きてるよ。ちゃんと生きてる。すぐに連絡しなくて、すまなかった」
名前の後頭部を撫でると、背中に腕を回され力強く服を握られた。
「……よかった」
安心したような声音に後悔の念が押し寄せる。
泣かせるつもりはなかった。
泣きそうな顔を見たことはあっても彼が涙を流すのを見たのは初めてだった。
「……松田さん」
聞き覚えのない名前に、風見は撫でている手を止める。
まるで風見を離さないとばかりに抱きつく腕の力が強まった。
「松田さん、みたいに……ならないで」
「っ」
──僕は、彼の過去の記憶までも抉ってしまったのか。
選択を間違えた。
あの時すぐに、連絡の一つでも取っていればよかったんだ。
バイト中も携帯を気にしていた、と降谷から教えてもらっていたのに後で連絡すれば大丈夫だろうと思っていた。
降谷に番号を聞くなり、家に来るなり、すればいいのに彼はしなかった。
公安が事件に関わっているから自分は邪魔でしかない、そう思っていたに違いない。
自分勝手のようでいてそうじゃない彼に、知らずのうちに甘えていたのか。
あぁ情けない。彼に甘えて、泣かせて、苦しめた。
どうすればその涙を止めることができるだろうか。
その資格が自分にはあるのだろうか。
「あんたに、会うまで……信じられなかった」
少しだけ震えている声が耳元で聞こえる。
「安室さんはあんたが生きてるって言ってた……けど、声も聞けない、顔も見れない……どうやって信じればいいんだよ」
風見は胸が締め付けられる思いに目を細めた。いや、彼のほうが苦しんでいるんだ。
ちゃんとここにいる、そう伝わって欲しくて優しく髪を梳くように撫でる。
「二度と会えないのも……さよならさえ言えないのも、いやだ」
あの時、爆発の瞬間、脳裏に名前を浮かべた。
彼という存在が自分の中で知らずのうちに代え難いものであると気付かされたのはあの時だ。
「苗字、覚えてるか」
「……なに?」
「死ぬのは許さないと……言ったのは君だろう」
そっと体を離し名前が顔を上げる。
「僕は、君を置いていったりしない」
濡れた頬を拭うように撫でれば、無表情だった名前の表情が崩れた。
あぁ戻ってきた。
「約束だ、苗字」
額を合わせ、濡れた目を覗き込む。
「君を一人にはしない。だから、僕と一緒にいてくれるか?」
じっと見つめていた先の目が閉じられ、溢れた涙が頬を伝う。
ゆっくりと開かれた瞼の奥にある瞳が風見を見つめ、細められた。
「そこは『一緒にいてくれ』って言うべきじゃねーの」
その言葉に小さく笑って抱え込むように抱き締め、耳元に口を寄せる。
「一緒にいてくれ、名前」
「なんかプロポーズみたいだな」
「茶化すな。僕は真剣なんだ」
「……いいよ……あんたが嫌って言うまでいてやるよ」
風見の首元に擦り寄るように顔を寄せる仕草に愛おしさが込み上げた。
「……今夜は帰してやれそうもないな」
逆だよ。お前が嫌だと言っても手放してやれそうにない。