買い物から帰ってくると図体のでかい男が縁側に寝転んでいた。この家の主は他人に怠けた態度を見せるような人間では決してない。そんな家主と、まるで自分の家かのように寛いでいるこの男が同じ海軍大将なのだからやはりこの世界はシンプルだ。実力が全てというのは判り易い。
かと言ってこうも怠惰な姿を一般市民の前で晒されたらその実力を疑う者や不安に思う者も出てきそうだ。そんな心配を俺がする必要はないのだが、元の世界では警察の知り合いもいた手前彼らは存在するだけで抑止力になることを知っている。つまり海兵なら少しはそれらしい態度を示せってこと。
「堂々とサボりか」
「様子を見に来てあげてんの」
「その恰好で言われても説得力ねぇよ」
他人の家でよく寝れるな、と呆れるがアイマスクをしていても本気で寝ていたわけではないようだった。もしくは人の気配を察して目を覚ましていたか。どちらにしても現状が変わるわけではないが。
「まぁそう言いなさんなって。お土産も持ってきてやったからさ」
寝転がったままの体勢で器用に手渡されたのはマリンフォード内で一番美味しいと評判のケーキ屋の箱だった。傍らで様子を見ていた女の子が「あっ」と小さく声を上げる。それもそのはずだ。先ほども買い物中に物欲しげに店の中を覗いていたのだから。けれど家主から支給されているのはあくまで生活費。多めに渡されてはいるが余計な買い物は避けていた。女の子もそれを察しているのか我儘は一つも言わない。だから、欲しくても手に入らない物が目の前に出てきたらそりゃ喜ぶに決まっている。
目線を合わせるように床に膝をつき、女の子にも見えるようにして箱を開ける。中にはカラフルなホイップクリームの乗った数種類のカップケーキが入っていた。顔に似合わずオシャレなチョイスだと感心したが、多分店員にオススメを聞いたのだろう。
「食べるか?」
「いいの!?」
「手洗ってきな」
「はーい」
目を輝かせて箱の中を覗いていた女の子は嬉しそうに満面の笑みを浮かべて小走りで洗面所へと向かった。こんなにも喜ぶのなら次からは少しくらい贅沢をしてもいいのかもしれない。そう思いながら小さな背中を見送っていると、寝転がっていた男がゆったりと上体を起こした。長い脚を外に投げ出すようにして縁側に座りアイマスクをズラしながらこちらに顔を向けてくる。
「あらら、すっかり落ち着いちゃって。いっそこのままサカズキのとこで暮らしちまえば?」
「……あの子のためを思うなら、そうするのが一番なんだろうな」
「それでもお前さんはここに居たくねぇわけだ────情が移っちまうから」
ついでとばかりに付け足されたのは鋭い一言だった。無言で男の目を見返すと軽く溜め息を吐かれる。
「あの店の姉ちゃんたちにすら距離置いてたもんな」
「よく見てんね」
「注意深くないと海軍大将なんてやってらんねぇからさ」
「……ただ、面倒だから人と関わりたくないだけだ」
一定の距離を置いて男と同じように縁側に座り、滅多に帰宅しないと言っていたわりには充分に整った庭に目を向ける。嘘は言っていない。人と深く関わりたくないのは面倒なことを避けたいからだ。余計な感情を抱くのが苦しいと知っているから。元の世界で嫌というほど経験したのに、この世界に来ても同じことを繰り返した。だからこれ以上は踏み込みたくない。
「じゃあ、あの子は特別?」
またしても痛いところを突かれた。思わず眉を寄せて睨むように顔を向けてしまったのは、もうそれが答えだと言っているようなもの。不真面目そうな男のくせに、見透かすようにこちらを見る冷めた眼は真剣だ。
上手く隠しているつもりだった。そのために誰に対しても親しくなりすぎないようにしていたのだから。本当にこの男はよく見ている。多分、この世界で出会ってきた誰よりも俺という人間を理解しているはこの男だ。
深く息を吐いて、後ろ手で支えるように体の重心を少し後ろに倒した。
「妹がいるんだ。もう会えないけど」
この世界に来た事で二度と会うことは叶わなくなった妹が。最後に見たのはあの子がまだ七歳の時だ。顔も声も姿も、俺の中ではあの時間で全てが止まっている。生きていればいつか再会できると願っていた。どこにいるのかも分からないのにバイクであちこち走り回っては、きっとどこかで幸せに暮らしているのだと自分に言い聞かせていた。けれど、今はもうそれも過去のことだ。ここにあの子はおらず、俺にはあの子しかいない。
「あの子を代わりにしてるんなら、それは違うんじゃねーかなぁ」
「解ってる。でも、俺にはそれ以外に生きる意味が持てない」
「あー……なんとなく繋がった気がするわ」
一人で納得する男に何のことだと口を開きかけたタイミングで歩幅の狭い足音が聞こえた。ニコニコと笑顔を崩さないまま戻ってきた女の子を隣に座らせ、箱の中から好きなケーキを選ばせる。どれにしようかなぁと呟きながら悩んだ末に選んだのは、可愛らしいピンクのホイップクリームが乗ったカップケーキだった。
「おにいちゃんはどれにするの」
「俺は後で食べるよ」
「そう? じゃあ海兵さんは?」
「え、おれも食べていいの?」
「どうぞ!」
頷いた女の子の好意に甘えるように男は「実は気になってたんだよねー」と言いながら箱から一つカップケーキを取っていく。自分が食べたくてお土産に買ってくるタイプの人間だったか。つい呆れてしまいそうになったが美味しそうにケーキを頬張る子供の姿を見てしまえば、そんなことはどうでもよくなった。
飲み物が欲しくなるだろうと思いその場を離れると小さいけれど二人の会話が聞こえてきた。
「なぁお嬢ちゃん。あの兄ちゃんのこと好きか?」
「うん!」
迷いのない朗らかな声にカップを取ろうとした手が止まる。
「だっておにいちゃんは私のヒーローだもん!」
ふと思い浮かべたのは元の世界で俺を救ってくれたあの人の姿だった。そうか。あの子にとって自分はあの人のような存在になれたのか。今度こそ守り抜いてみせる。なにが起ころうが絶対に手放さない。絶対に。そう誓うよ。
純粋すぎる女の子の言葉は嬉しくもあり、なぜか悲しくもあった。