ある夜、数週間の遠征任務を終えたこの家の主が同僚を連れて帰ってきた。どうやらたまたま二人とも時間に余裕ができて一緒に飲むことになったらしい。強引で頑固でお世辞にも人付き合いが上手いとは言えないような男にも酒を飲みかわす友人がいることに驚いた。
同僚の男はボルサリーノと名乗り物腰は柔らかそうであったがニコニコしていて食えない奴という印象を受けた。それからやはりと言うべきか、身長が無駄にでかい。海軍大将っていうのはこうもでかくないと務まらないものなのか疑問を抱いてしまう。なんて馬鹿なことを考えているとさっそく二人は持ち帰った酒瓶を傾け始めた。
「あー……なんかつまみでも作ってやろうか」
そう口に出したのは手持ち無沙汰だったからだ。客間に引っ込むのは簡単だが生憎と今女の子が風呂に入っていて、何も知らずに出てきたら威圧感のある大男が二人もいるなんて状況はきっと驚いてしまうだろう。家主であるサカズキには慣れてきたとはいえ愛想のいい男ではないからフォローも期待できない。
「いいのかぁい? じゃあ、お願いしようかねェサカズキ〜」
「……好きにせェ」
一応家主に同意を求めているあたり同僚のほうは気遣いのできる人間のようだ。一方で酒の席でも素直でない無愛想な男に軽く笑みを零し、御猪口を手にした二人に背を向けて台所へと向かった。
娼婦の店で働いている時に姐さん方から教わった手軽で美味しいつまみのレシピを思い出しながら包丁を握る。本当ならここまでしなくてもいいのだが、使い切りたい食材もあったことだし部屋に籠るよりはマシだ。そうしていくつかつまみの用意ができたところで、浴室のドアが開閉される音が耳に届いた。軽い足取りで廊下を歩く足音がピタッと止まる。顔を覗かせれば予想通り、居間にいる図体のでかい二人の男に気付いた女の子は固まっていた。
「おォー……ごめんよォ……驚かせちまったねェ〜」
「おじさん、誰?」
「わっしはサカズキのお友達だよォ」
「何をふざけたこと言うちょる。ただの同僚じゃけぇ」
「冷たいねェ〜」
友人でも仕事上の付き合いでもどちらでも構わないが、答えがあやふやでは女の子はただ首を傾げて困惑するばかりだ。いい歳した大人たちがなにやってるんだと肩をすくめ、できあがったつまみを持って居間へと戻った。
テーブルに皿を適当に並べて、おろおろとする女の子の手を引いて縁側に腰を下ろす。頭に被さっていたタオルを退けると髪はまだ濡れたままだった。このまま放っておくと乾かさずに寝てしまうから困った子だ。小さな体を膝に乗せ、手にしたタオルで髪を撫でるようにして水分を吸い取っていく。
静かな夜だ。庭先から聞こえる虫の音に反応する女の子と話をしながら、居間から漏れる二人の会話に自然と耳を傾けた。会話のほとんどは間延びした声が一方的に語り掛けていて、あの人は相槌を打つばかり。けれど海賊が話題に上がるとかなり饒舌になった。皮肉混じりで盛り上がりを見せている話題はアラバスタ王国で起こった出来事について。クロコダイルがどうの、麦わらの一味がどうのと聞こえてくるその内容はおそらく先日新聞に載っていた事件のことだろう。新聞には海軍の活躍で王国は救われたと書かれていたが、二人の口振りから察するに活躍したのは憎き海賊のようだ。
タオルで拭かれているのが心地よかったのか女の子が眠そうに船を漕ぎ始めた。丁度いい。髪も充分に乾いたし、このままここで他言無用なまずい話を聞いてしまう前に退散しよう。
「俺らもう寝るから。あ、片付けはしなくていい。そのままにしておけ。俺が明日やる」
「うるさいのゥ分かっちょるわ」
居間に顔を出してそう伝えると男は眉間にシワを寄せながら酒を煽った。碌に家事をしたことのない人間に任せるとひどい目を見る、と学んだのは最近になってからだ。皿洗いくらいならと一度任せた時に何枚皿を真っ二つにされたことか。元々男の金で買われた食器だが、軽々と割られてしまっては他人としても口を出したくなる。
戸を閉めようとすると服の裾を掴んでついてきていた女の子が目元を擦りながら中を覗き込んだ。
「おやすみなさぁい」
「……風邪引かんようにの」
「いい夢ェ見るんだよォ〜」
すでに空になった酒瓶が転がっていたが二人はまだまだ酔っている様子はない。けれど酒も進めば口も緩くなってくるだろうから早々に退散するのは間違いなく正解だろう。そう思いながら戸を閉めて、今にも寝そうな女の子を抱き上げる。そして客間へ足を向けた時だ。
「まるで家族だねェ〜」
戸の向こうから聞こえた揶揄い混じりの言葉にサッと血の気が引いたような感覚が襲った。
守るべき少女がいるから暫くここにいることを決めたのは俺自身だ。世話になっているから飯も作るし家の掃除もする。でも、絆されるのは違う。例え冗談だとしても同僚の放った言葉にあの男がなんて答えを返したのか、知りたくなくてまるで逃げるようにその場を離れた。
薄暗い天井を見上げたまま、結局眠れずに朝を迎えてしまった。ゆっくりと起き上がりまだ深い眠りの中にいる女の子へ目を向ける。いろいろと考えた。もう自分の体を覆う包帯は一つもない。酷かった傷も充分に癒えた。ここに居なければならない理由はもうないはずだと、そうして考えて出した結論は自己中心的なものだ。
あの男は必ず早朝には家を出ていく。そんなことを把握してしまう程ここで生活していたのだと改めて実感し両手を握りしめた。ふと部屋の外に人の気配を感じてすぐに布団から抜け出した。客間を出て玄関のほうを振り返れば正義のコートを羽織った男が今まさに仕事へ向かおうとしている。
「話がある」
「もう行かにゃならん、後にせぇ」
「すぐに終わる」
次に男がここへ帰ってくる日がいつになるのか解らない。それに"次"ではもう遅い。
「近いうちにここを出ていく」
そう伝えると静かに振り返った男は目元を細めた。また怒るだろうかと軽く顎を引くがただ沈黙を返されるだけ。いっそ嫌味の一つでも言ってくれたら気分も楽になれただろう。あの時みたいに怒鳴ってくれたら反発もできて湿っぽくならずに済むのに。思い通りにならない人だ。
「あんたには世話になった。感謝するよ」
それじゃあ、と客間に戻るため背を向けると低い声で名前を呼ばれ足を止めた。
「おどれは弱い」
「そんなこと、解ってる」
「……つまらんことで命を粗末にしようもんならわしが始末しちゃるけぇの」
物騒な言葉と煙草の香りだけを残して男は去っていった。いや違う。ここから去るのは俺だ。居心地が良いと思う前に、離れがたくなる前に、早くここから離れたい。
それから数日後、俺は女の子を連れてとある春島へと向かう船に乗った。