大海賊時代とはよく言ったものだ。次から次へとそれこそ蛆のように湧いて出てくる。生まれてからずっと戦争とは無縁の秩序と平穏のある国で育ったという記憶はすでに遥か昔のもののように思う。それほどまでにこの世界は目まぐるしく、安寧の地はほんの一握りしかなかった。
穏やかな人々が多く、こじんまりとした村が点々とする春島には不釣り合いな音が島中に響いていた。破裂するような発砲音。下品な笑い声。困惑と痛みを訴える悲痛な叫び。まるでたった数か月前に起こった悲劇を繰り返しているかのような最悪な光景だった。あと何度、この光景を見ればいい。答えのない問いはただ目の前の現実から目を反らしているだけだ。軽く手を引かれ傍らに立つ女の子を見下ろせば、その小さな体の中心には風穴が空き赤黒いモヤが広がっていった。
黒く塗りつぶされた視界に光が入り込み、鮮明さを取り戻していった瞳が見つめているのは借家の天井だった。いつ寝たのか記憶が曖昧だ。気分の悪い夢を見た、と体を起こせば途端に全身に走る痛みに思わず泣きそうになる。体から香る消毒液と拭いきれていない鉄の匂いが嫌でも現実を突き付けてきた。
──守れなかった。たった一人の女の子すら、俺は、守ることができなかった。
ベッドから降りて家を出れば、外は穏やかな時間が流れていた。腹立たしいくらいに快晴で髪を撫でる風は優しく温かい。靴も履かずにそのまま海の方へと歩き出す。壊れた建物が、道に転がり潰れた果実が、まだ微かに残る火薬の匂いが、奴らがここに存在していたことを証明した。
細かな砂に足を取られながらも波打ち際へと進んでいき、そのまま立ち止まることなく打ち寄せる波に逆らう。海水が傷に染みて刺すような痛みが体を走ったが、あの子が感じた痛みや恐怖に比べれば大したことはない。悪夢だ。いや、夢であったならどれだけよかったか。現実だ。これは逃れようのない現実だった。なぜならあの子は俺の腕の中で死んだのだから。
『おに……ちゃ……』
か細く、今にも消えてしまいそうな声。
一瞬だった。海賊共が無作為に放っていたピストルの流れ弾が小さな体を貫いたのだ。崩れるように倒れるその姿をこの世界にはいない妹の姿と無意識に重ねてしまった。
そこからの記憶は曖昧で、しかしひどく鮮明に残っている。全身の感覚が研ぎ澄まされていき、周りの音が、動きが、やけに遅くゆっくりと感じた。自分でも驚く程に脳は冴えきっていて体はこれまで経験したことのないくらいに軽い。海賊から奪ったカットラスもやけに手に馴染んだ。止める者は誰もいない。俺自身ですらブレーキは壊れていた。でも仕方ない。壊したのは俺じゃなく、目の前にいる海賊だ。なら自業自得ってやつだろう。
静かな、小さな声に呼ばれて右手からカットラスが滑り落ちた。残念ながらその音に反応する人間はもう周りにはいない。遠ざかっていた音が帰ってきて、いつの間にか淡く色褪せていた視界が鮮やかになり、俺は地に伏せる女の子の傍で膝を着いた。震える小さな体を抱き上げる。痛いだろう。怖いだろう。それなのに少女は必至に笑顔を浮かべていた。
『やっぱり……おにい、ちゃ…は……わた、しの……ヒーロー、だね』
その表情が、声が、言葉が、まるで呪いのようにじんわりと体の芯まで沁み込んでいくのを確かに感じた。血に濡れた手で柔らかな頬を撫でると嬉しそうに瞼を閉じる。そして二度と純粋な瞳が俺を映すことはなくなった。小さな体から流れた血液がどれほど地面に染み込んでいっただろう。それなのに腕に抱いた体が重みを増す。
『独りぼっちにはさせねぇから。俺が一緒に逝ってやる』
この世界で生きていく理由を失くしてしまった俺にとって、地面に転がる血濡れのカットラスはとても軽かった。
一際強い波に足を取られバランスを崩し両腕を海の中へと突っ込んだ。濡れた包帯の下からはじわりと血液が滲み出る。現実は非道で非情だ。立ち上がり足を進める。一歩。また一歩と。すると急激な気温の低下が襲ってきた。
「あー驚いた。心臓に悪いからそういうのやめてくれねぇかな」
そんな間の抜けた声とともにそれ以上進むことは許さないとばかりに目の前の海面が凍っていく。振り向かずとも解る。どうしてここにいるかと疑問に思うこともない。マリンフォードを出る時、この男にだけは行き先を伝えておいたからだ。けれど今は教えたことを後悔している。
「なんで俺は生きてるんだ」
「そりゃ、助けたからでしょうが」
「放っておいてくれてよかった……」
「ただ黙って見殺しにできるほど、おれの正義は腐ってねぇの」
どれだけ職務怠慢な男でも結局は正義に心を燃やしているらしい。なんて鬱陶しい。
包帯の上から腹部に触れる。傷が浅かったのか。いや、違う。覚悟が足りなかった。守ると決めても守れない。一緒にあの世に逝ってやることもままならない。いつだって中途半端だ。強い言葉だけ吐いて結局なにもできやしない。だから母さんも、あの人も、あの子だって、俺を置いて遠くへ行ってしまう。いっそのこと俺も連れて行ってくれたらいいのに、なんてまた逃げることを考えている。
足元が見えるほど透明で綺麗な海水が赤く濁り、波にさらわれていく。
「頼むからこっち戻ってきてくれない?」
振り返ると砂浜に突っ立ったまま困ったように後ろ髪をかいている男と目が合った。そんな瞳を向けないで欲しい。心配なんてしないで欲しい。どうせあんたも同じだろう。いつかいなくなってしまう。それとも、悪魔の実の能力者は強いからそう簡単に死ぬことはないって笑うか。海に入ることすらできないのに。
皮肉を込めて笑えば男は焦ったように表情を崩した。ぐらりと視界が揺れて押し寄せた波に体は海の中へと沈んだ。血を流しすぎたせいか力が入らない。けれど、このまま逝けるのならそれはそれで構わない。
「ったく……困った奴だよ、ほんと」
遠のく意識の中で抱え込むようにして海水から体を持ち上げられた感覚がした。