上官からの呼び出しに緊張の面持ちで向かえば、一言もなしに冊子を渡される。
反射的に受け取ったそれは高級感のある手触りで、確かめるように上官へ視線を向ければ中を見るよう目で促された。
冊子を開いた先にあったのは写真だった。
「え……」
ただの写真ならばここまで動揺はしなかっただろう。
そこに写っていたのは見目麗しいという言葉がまさにぴったりな着物を着た若い女性だった。
これがなにを意味しているのか、分からないはずがない。
「お見合い、ですか」
「あぁ」
「私に、ですか……?」
「そうだ」
よくある話だ。
こういった組織に属していれば珍しいことではない。
だが、まさか自分が当事者になるなんて予想できるか?
「局長の娘さんでな。おまえに興味を持ったようだ」
「はぁ……」
こんなに綺麗な女性がなぜ自分なんかに興味を持ったのか、理解できない。
会ったことすらない相手だ。しかし局長の娘だ。どうする。
いやどうする、じゃない。はっきりと断るべきだ。
自分には恋人がいる。年下の、しかも高校生で男の。
「あのっ」
「風見、おまえももういい歳なんだ」
口を開いた風見の言葉を遮るように、上官──黒田は続けた。
「これを機に家庭を持つのも悪くないだろう」
「ですが……私は」
「すぐに返事をしろというわけじゃない。考えてみてくれないか」
黒田にも立場があるのは重々承知している。
上官の顔に泥を塗ってしまっていいのか?
自分一人が局長に嫌味を言われるならまだ構わない。だがこれはもう自分一人の問題ではないんじゃないか?
「どうだ?」
「……考えさせて、ください」
──私はなんて意志が弱いんだ。
風見は自分のデスクに持っていた冊子を置いて溜め息を吐いた。
隣に座っていた部下が顔を覗かせ、視界に入った冊子に目を瞬かせる。
「風見さん、お見合いするんですか」
「断りきれなくてな」
冊子を手に取り部下へと渡せば、躊躇せずに受け取られた。
「見てもいいんですか?」
「構わない」
風見の返事と同時に冊子が開かれ、部下に対して眉を潜める。
今の聞いた意味あるのか?自分が渡さなくても見る気満々だったんじゃないか、こいつ。
写真を見た部下からは「うわぁ」と感嘆の声が漏れた。
「めちゃくちゃ美人じゃないですか!」
興奮気味に声を上げる部下に気付いた他の部下や同僚が集まってくる。
「こんな綺麗な人を嫁さんにできるなんて羨ましいですね」
「風見には勿体ないな」
「仕事から帰ったら美人の奥さんが出迎えてくれるんですよ」
「本当、風見には勿体ない」
言いたい放題の周りに思わず額を押さえた。
そんな好き勝手言えるのは今だけだ。
「局長の娘さんだぞ」
風見の一言で静寂が生まれた。
先ほどの勢いはなくなり、顔を引き攣らせている者もいる。
いくら美人とはいえお偉いさんの娘ともなると話は別だ。
「……それは断れないですね」
「あぁ……」
「あ、でも風見さんって恋人いますよね?」
部下の言葉にその場の全員がそういえば、といった顔をする。
待て。なんで全員そんな顔をするんだ。
「手作りのお菓子をよく持ってくるんですから気付きますよ」
「いいですよねー。俺も可愛い彼女にお菓子作ってもらいたいです」
確かに、甘党ということがバレてからはなにかとお菓子を貰っているが、それだけでなぜ恋人がいると分かるんだ。
普通分からないだろう?
「部署内の人間は皆知ってますよ」
「は……はっ?!」
「管理官は知らないみたいですけどね」
当たり前だ。管理官が知っていたらお見合いの話なんて持ってこなかったはずだ。
それよりも部署内全員が知っているという状況はなんなんだ?
「風見さんって仕事以外だと隠し事下手ですよね」なんて部下からのありがたい言葉には、報告書の山を返しておいた。
知らん! 文句を言うな! 私は今それどころじゃないんだ!
名前には一体どう説明すればいいだろうか。
知られずに何事もなく事が済んでしまえば一番いいのだが、この状況はまずい。
「なにこれ」
署に置いておくのもあれだろうと持ち帰ってきていたお見合い写真の冊子をリビングのテーブルに放置したままだったこと忘れ、名前を迎え入れてしまった。
「あっ! いや、それは」
冊子を手にした彼に慌てて近づき、その手から奪おうとするがスルリと躱されてしまう。
なにも持っていないほうの手で胸元を押されて強制的にソファへ座らされた。
立ち上がれないように肩を押さえられ、名前は器用に片手で冊子を開き中にある写真を見る。
一瞬だけ、肩に触れられた手に力が込められたのを感じた。
「へぇ……結構美人じゃん。こういうのがタイプなの?」
「違うっ、これは、その……」
「あんたってもっと可愛い系が好きなのかと思ってた」
いつもと変わらない表情に、少しだけ胸が締め付けられるような思いだ。
触れられていた手が離れ、隣に腰を下ろす名前を見つめる。
彼はただ、じっと、写真の女性を見ていた。
「で?」
「え?」
不意に顔を向けられたが、意図が分からず聞き返してしまう。
「いつこの人と会うの?」
「いや、まだ会うと決まったわけじゃ、ない」
まるで大したことじゃないとでも言うように投げかけられる声音に、思わずこちらがたじろいでしまう。
君が聞きたいのは本当にそんなことなのか。
目を細められ視線が逸らされる。
「断らなかったんだ」
「というより……断れなかったというべきか……」
「ふーん……」
彼は再度写真の女性を見つめ、パタンと冊子を閉じた。
「警察も大変だな」
ソファから立ち上がり、冊子を差し出される。
なんでそう、普通でいられるんだ。
受け取れないままでいると、小さく息を吐いてからソファに放られる。
「ま、頑張れよ」
そう言ってポケットから携帯を出した名前は時間を確認しただけなのかすぐに仕舞った。
「俺この後バイトだからそろそろ帰る」
「っ、今日はバイトないって言ってただろう」
歩き出した名前の腕を咄嗟に掴んで引き止めれば、思った以上に強く掴んでしまったのか痛みに少し顔を顰めさせたので慌てて緩める。
いつも通りの変わらない態度にこっちが焦ってしまう。
君は、僕が結婚してしまっても構わないのか。
「ヘルプ頼まれたから行くことにしたんだよ」
顔を逸らしながらぶっきらぼうに言う名前の頬に手を添え、無理矢理に視線を合わせる。
「なんでそんなに平気でいられるんだ」
目の前の瞳に写る自分の顔があまりにも悲痛な面持ちで、それでも名前はいつもと変わらなくて、その差に心がひどく痛んだ。
してほしくない、と。一言あれば今すぐに断るのに。
立場もなにも気にすることはなく、僕には君がいれば、それだけでいいと。だけど、君は違うのか?
彼の頬に添えた手を握られ、ゆっくりと顔から離される。
「あんたには、平気に見えるんだな」
そう言い残して名前は出て行った。
平気じゃないのなら、なんで言わない。なんで言ってくれない。
僕には言えないのか? 僕じゃダメなのか?
君の全てを受け止める覚悟くらい、もうとっくに出来てるのに、君は分かってないんだな。
ポアロの開店準備をしながらテーブルを拭いている名前に視線を向けていると、それに気づいたのか不機嫌な顔で睨まれる。
今日はいつも以上に機嫌が悪いようだ。
つまり、問題は解決に至っていないことが分かる。
「風見、お見合いするらしいですよ」
もちろん、名前がすでに知っていることは承知の上だ。
でなければこんなに機嫌が悪いはずがない。いつもなら安室の視線などないかのように無視をするはずなのに。
「だから?」
それがなに、と言わんばかりに雑に返される。
「嫌じゃないんですか?」
「嫌だけど」
おかしい。
確かに風見は仕事に対して真面目で立場や状況などを考えすぎる男ではあるが、名前がこうも嫌がっていると分かればたとえ相手がお偉いさんだろうとすぐ断るはずだ。
「それ言いました?」
「なんで?」
「なんでって……」
安室は無意識に眉を潜めた。
まさか、言っていないとは予想していなかった。
テーブルを拭く手を止め、安室と向き合った名前は少しだけ目を合わせてからすぐに逸らした。
「俺が嫌だって言えばあの人お見合いやめんの?」
「やめるでしょうね」
当然だろう。
恋人がいながらそんなバカなことをするやつが自分の部下なんて冗談じゃない。
「それ、風見に伝えたほうが──」
「じゃあ言わない」
「……はい?」
思わず間の抜けな声が出てしまった安室は、再び開店の準備に取り掛かる名前に詰め寄って布巾を握る手を掴んだ。
「どうして言わないんですか」
いつもなら振り払われるはずなのに、名前は大人しく顔を俯けたままでいた。
そして静かに、口を開く。
「俺の我が儘で、あの人の人生潰せないだろ」
安室は目を瞬かせてからそっと細めた。
──この子は本当に、風見が好きなんだな。
それくらいの我が儘なら、あいつは大歓迎だろう。
けど、名前にとっては”それくらい”じゃないのだろうな。