※風見家捏造あり
いつもなら待ち合わせの時間には遅れない男が、未だ連絡もなしに姿を見せない。
急な仕事でも入ってしまったのだろうか。
しかし真面目な男であるから連絡がないというのもおかしい。
「名前っ」
こちらから連絡を入れてもいいものか携帯と睨めっこをしていると後ろから声を掛けられて振り向く。
走ってきたのか少しばかり息を乱して頬に汗を流す風見に「遅い」と言おうとしていた口を一度閉じた。
「すまない、待たせた」
申し訳なさそうに眉尻を下げる風見に対して、名前はそれを視界に入れてから目を瞬かせて汗を流す男を見返す。
「驚いた。あんた子供いたのか」
「ご、誤解だ、僕の子じゃない」
焦ったように顔を横に振る風見の腕には5歳くらいの小さな女の子が抱っこされていた。
不安そうな表情を浮かべている子供に、名前は訝し気に顔を顰める。
「誘拐?」
「違うっ!」
首を傾げる名前にすぐさま否定し、抱っこしていた子供を下ろした。
恥ずかしさから風見の足にしがみつくようにして体を隠す女の子は、それでも気になるのかじっと名前を見上げている。
ばっちりと目が合ってしまい怖がらせるのもよくないと控えめに手を振ってみると、女の子は一瞬驚いたような表情を浮かべてから小さな手を振り返した。
そんな二人のやりとりに口元を緩めた風見は、訳を話せと目線を送ってくる名前に気づいてすぐ顔を引き締めた。
「実は今朝──」
──久々のデートに浮かれた気分で身形を整えていた風見は突然の訪問者に頭を抱えた。
「突然で悪いんだけど今日一日だけこの子預かってくれない?」
小さな子供と手を繋いでそう言ってのけたのは年の近い妹だ。
連絡は年に数回取っていたが実際に会うのは数年ぶりとなる兄に対しての第一声がこれとは、と少しだけ頭が痛くなる。
「いくらなんでも急すぎるぞ。僕はこれから出掛けるんだ」
「え、兄さん休日出掛けるの?彼女もいないのに?」
ひどい言われようだ。
恋人の有無をわざわざ妹に言いたいわけではないが、仕方がない。
「……恋人ならいる」
見るからに不本意だと言わんばかりに顔を顰める風見に対し驚きに目を見開いた彼女だったが、すぐに開き直ったような表情に変わった。
「なら子育ての練習だと思って今日だけお願い!」
「気持ちの切り替えが早すぎるぞ!」
その傍若無人っぷりに懐かしさを覚え、溜め息を吐く。
昔から妹には振り回されっぱなしだし、家を出てようやく解放されたかと思えば職場では上司に、プライベートでは年下の恋人に振り回されている。
もうそういう星の下に生まれてしまったのだと諦めるしかないのか。
「そもそもなんで僕に預けるんだ」
「どうしても外せない用事が米花町であるんだけど、兄さんが近くに住んでるの思い出して」
「だからってな……」
「ほら裕也おじさんだよー。覚えてない?」
呆れる風見を無視して、手を繋いでいた子供を抱きかかえた。
「覚えてるわけないだろ。前に会った時はまだ1歳だぞ」
恥ずかしそうに視線をうろうろさせる子供には申し訳ないが、風見の記憶にあるのはまだ言葉も覚束ない頃の姪っ子だ。
突然知らない男に預けられるなんて子供からしたら恐怖でしかないだろうに。
しかしそんな風見の心配に気づいているのかいないのか、彼女は腕時計を確認して表情を焦らせた。
「あ、もうこんな時間! じゃあよろしくね、兄さん!」
「おいまだ了承してな──」
抱っこしていた子供を無理やり押し付けてきて風見は落とさないように慌てて抱える。
嵐のように去っていった妹の背中を呆然と見つめ、抱えた子供を見下ろすとぱちくりさせる目とぶつかった。
お互いに困惑の様子で見つめ合っていると不安そうに風見の服を握りしめる子供に、仕方がない連れて行こうと思わず出そうになった溜め息を我慢した──
「──というわけで今日一日預かることになった」
「ふーん」
申し訳なさそうに視線を逸らす風見に同情の眼差しを向け、未だにじっと向けられる視線にもう一度女の子を見下ろす。
ぎゅっと風見の服を握る子供に目線を合わせるため膝を曲げ、目元を和らげる。
「名前は?」
じっと見つめられる視線に頬を染めた子供はゆっくりと口を開いた。
「……佳奈。お、おにいちゃんは?」
「俺は名前。この人のおトモダチだよ。佳奈はこれからどこに行きたい?」
「えっと……水族館、行きたい」
怖がらせないよう優しく語りかける声音なんて今まで一度も聞いたことがなく、名前の新たな一面に目を瞬かせる。
彼が時々面倒をみている少年探偵団に対してだって、こんな優しい声で話すところなんて聞いたことがない。
いつもと雰囲気の違う名前に少しだけ心臓がうるさい。
「水族館な、分かった」
目を細めて微笑みかけると視線を下に向けるように目を伏せた佳奈の頭を撫でてから立ち上がり、じっと珍しいものを見るような眼差しを向けてくる風見に眉を寄せる。
「なに?」
「い、いや、なんでもないっ。水族館だったな」
誤魔化すように話題を逸らし、携帯で一番近い水族館を探す。
スクロールしていた指がある項目で止まる。
距離で言えば今いるところから一番近いわけではないが、ここ以外を選ぶ気にはもうなれなかった。
電車とバスを乗り継いでやってきた水族館は休日のためか人が多い。
目を輝かせ大きな水槽に走り寄っていく姪っ子から目を離さないようにしながらゆっくりと歩く。
「思い出すよな」
隣を歩く名前の言葉にどうやら自分だけではなかったと安堵する。
「俺たちの初デート」
米花水族館。
風見が選んだのはここだった。
上司である降谷を騙すために以前二人で訪れた場所。
まだ、付き合う前の話だ。
「あれはデートに含まれるのか?」
「いいんじゃね?あんま思い出ないけど」
確かにあの時は楽しむ余裕なんてなかった。
だが、彼を気にし始めたのは、きっとあの日からだったような気がする。
「でも、今日のはいい思い出になりそう」
足を止め、水槽を眺める名前の横顔が淡い光に照らされて、綺麗だと思った。
触れたい。
すぐ隣にいるその温もりを感じたい。頬を撫でて、手を繋ぎたい。
ぐっと力を入れて握りしめた拳を小さな手が掴んだ。
「裕也おじちゃん、早く次行こう?」
「あ、あぁ分かった」
ハッとして、今日は彼と二人だけじゃないことを思い出す。
小さな手に導かれるまま歩き出せば後ろから小さな笑い声が聞こえた。
「ははっ、裕也おじさんは大変だな」
今度はまた二人で来よう。絶対来よう。風見は顔をむっとさせながらもそう心に誓う。
あちこちの水槽に手を引っ張られながら連れまわされる風見の後ろ姿が面白く、つい笑いが漏れてしまうのを抑えながら歩いていると視界に入ったのはイルカショーの看板だった。
そういえばあの時も二人でこれを見たな、と思い出しながら時間を確認し水槽の中を泳ぐ色鮮やかな魚に夢中の可愛らしい少女の元へ足を進める。
膝を曲げてかがめば、隣に来た名前に気づいた佳奈が水槽から視線を外す。
「イルカショー見たくない?」
「! ……見たいっ!」
一層キラキラと目を輝かせたその様子に思わず口元が緩んだ。
休日の人の多さに眉を寄せながら三人分の席を確保すると、ちょうど佳奈の目の前には大人の男が座ってしまいその視界を塞ぐ。
「見えない……」
いくら段差になっているとはいえ子供の座高では見えなくなってしまうのは当然だ。
先ほどの期待に満ちた目は何処へやら、悲しそうに俯く姿に席を替わってやろうかと思ったが生憎と名前と風見の前も大人が座っているのであまり意味がない。
不貞腐れたように座ったことで浮いた足をぶらぶらさせる佳奈を持ち上げ、風見は自分の膝の上に座らせた。
「これでどうだ?」
「あ、見えた!」
再び嬉しそうに目を輝かせる姪っ子に安堵の息を吐く。
そんな風見の様子を見つめ、空いた席を埋めるように隣に移動する。
ショーが始まりジャンプしたりボールを弾いたりするイルカの姿を食い入るように見つめる佳奈は、イルカが大きなアクションをする度に風見を見上げ「すごいね!」と声をあげた。
「あんたは、いい父親になりそうだな」
声をかけられる度にちゃんと返事をする二人のやりとりを見ながら、自分の知っている父親と比較してそう声をかけた。
「そうか?」
「よく考えたら、あんたにもこのくらいの子供がいたっておかしくないんだよな」
その可能性の選択をしなかったのは風見自身だが、これからもそうとは限らない。
そんな名前の心の内を知ってか知らずか、膝の上に置かれた手をそっと握られた。
「作るか、子供」
真顔でそんなことを言われ、思わず溜め息を吐き半目になって目の前の真面目な男を見る。
「いや無理だろ」
「……だな」
下手くそな冗談に呆れながら視線を風見の膝の上で前のめりになりながらショーを見つめる少女に移した。
子供が欲しいなんて思わない。
きっと大切にできないし、たった一人の妹ですら手放した男にはそんな資格ないのだから。
ショーが終わって人混みの中をはぐれないようにしっかりと風見の手を掴んでいた佳奈が何度も余所見をしては人とぶつかりそうになる。
「危ないから抱っこするか?」
「ううん、大丈夫!」
佳奈が何度も視線を向けていたほうを見た名前はそこにあるものに気づき納得した。
「わりぃ忘れ物したから先行ってて」
「待っててもいいが」
「いいよ。フードコートでジュースでも飲んでろよ」
そう言い残して背を向けた名前を暫く見つめ、姪っ子の手を引いて言われた通りフードコートへと向かうことにする。
好きな飲み物を選んで貰い落とさないように注意しながら冷えたカップを渡し、風見は両手に自分のものと名前の分を持って空いたテーブル席に足を進めた。
余程喉が渇いていたのか椅子に座った途端ストローを咥えた佳奈がごくごくとジュースを飲む様子に思わず笑みが漏れる。
数分してから戻ってきた名前が隣に座ったので買っておいた飲み物を渡す。
それを一口飲んだ後、隠すように持っていたものを大人しく座っている佳奈に向かって差し出した。
「ほら、これが欲しかったんだろ」
目の前に差し出されたものに目をいっぱいに見開いた佳奈は次第にキラキラとその瞳を輝かせてそれを受け取り抱きしめた。
「イルカのぬいぐるみ!どうして分かったの?」
「どうしてでしょう」
不思議そうにしながらも抱きしめたイルカのぬいぐるみに嬉しさが隠しきれず笑顔が溢れる。
ショーが終わった後、出口あたりにあった小さなショップに並んでいたこのぬいぐるみを気にしていたようだ。
素直にあれが欲しいと言えない気持ちがなんとなく分かって、内緒で買ってきた。
「ありがとうおにいちゃん!」
向けられる笑顔が記憶の中の妹と被って、名前は静かに微笑み返す。
嬉しそうにぬいぐるみを見つめる姪っ子から隣に座る名前へ視線を移した風見は、そっと顔を近づけて耳打ちした。
「気を遣わせてすまない。あとで金は払う」
「いいよ別に。あれくらい安いもんだし」
「だが……」
納得のいっていない顔する風見に平気だと視線を投げてストローを啜っていると、ぬいぐるみを大事そうに抱えた佳奈が椅子から降りて名前の手を引いた。
「あのねあのね、次はペンギンさんが見たい」
今度は恥ずかしがらずにじっと見つめてくる子供に懐かれたなと苦笑してその手を握り返す。
「いいよ、行こうか」
館内パンフレットを見ながらペンギンエリアまで向かえば、その可愛らしいペンギンの姿に思わず走り出した佳奈に手を引かれて小走りになる。
小さい子供の身長では水中を泳ぐ姿しか見えないのか水槽に張り付いて精一杯背伸びをする姪っ子に気づき、風見は声をかけて両手を伸ばした。
「抱っこするか?」
「佳奈、おにいちゃんがいい」
「え……」
断られるならまだしもまさかそんな答えが返ってくるとは想像していなかっただけに、驚きなのかショックなのかよく分からない衝撃が風見を襲う。
気の抜けた表情をする風見に笑って、名前は姿勢を低くして手を差し伸べた。
「おいで」
慣れた動作で佳奈を抱き上げ、見やすいように抱える。
夢中になってペンギンを見つめながら時々指さして「見て!」とはしゃぐ姪っ子の相手を嫌がりもせずにする名前を見ていると、先ほど受けた精神的ダメージが回復したような気がした。
不意に思い出した妹の「子育ての練習だと思って」という言葉に、脳裏で彼との未来のビジョンが思い浮かび、すぐにそれを打ち消す。
そんな未来を望んでも叶わないことは言われなくても分かっているし、彼が隣にいればそれでいいんだ。
多くは望まない。
「ねぇ裕也おじちゃんもちゃんと見て!」
急に声をかけられて思考の海から這い上がる。
むくれながら指差す方を見て「あぁ可愛いな」と返せば満足したのか、笑顔でまたペンギンに夢中になった。
「どうしたの?」
「いや、ちょっとな……僕は自分が思っていた以上に欲張りなんだな、と」
言っている意味がよく分かっていない名前に笑いかけ、姪っ子を抱っこしている彼を労わるようにその肩を撫でる。
「疲れないか?」
「平気」
側から見たら自分たちはどう映るんだろうか。
仲のいい家族だったなら、それはとても嬉しいことだ。
もし彼がそういう未来を望むなら、自分はそれを叶えるためになんだってしてあげたいと思う。
はしゃぎ疲れて寝てしまった姪っ子を抱えて待ち合わせ場所へと向かえばすでに妹の姿がそこにあり、名前に少し待っててもらうよう伝えた。
「あ、兄さん! 今日は本っ当にありがとうね!」
「今度からはちゃんと連絡しろよ?」
寝ている佳奈を妹に渡すと、起きてしまったのか目の前にいる母親に驚いた後嬉しそうに抱きつく。
そして風見に視線を向け、キョロキョロと周りを見渡した。
「おにいちゃんは?」
「お兄ちゃん?」
「あぁ……名前ならあっちにいる」
名前のいる方を指差すと佳奈は母親の腕から降りて走っていった。
その後ろ姿を追いかけるように視線を向けた妹が名前の姿を捉え、隣に立つ兄を見上げる。
「兄さんの恋人って、」
「それ以上なにも言うな」
「お母さんに孫は諦めろって言った方がいいんじゃない?」
「……怒られると思うか?」
「面白いことにはなりそう」
まるで他人事のように言う妹に呆れてそれ以上は口を開かなかった。
携帯を弄っていた名前は視界に入った女の子に気付いてポケットに携帯を仕舞う。
「おにいちゃんあのね」
「ん?」
ズボンの裾を引っ張られしゃがむと、頬に可愛らしい音を立ててキスをされた。
驚いて見返すと嬉しそうに頬を染めた佳奈が、名前から貰ったイルカのぬいぐるみを抱きしめてにっこりと笑顔を浮かべる。
「おにいちゃんは佳奈の王子様だからね!」
バイバイ、と言って恥ずかしそうに走っていく後ろ姿に、過去の妹の姿が被り笑みが漏れる。
王子様なんて柄じゃないのにな。
妹たちと別れて戻って来た風見が立ち上がった名前の頬を軽く摘んだ。
「なに?」
「にやにやしすぎだ」
「……ガキ相手に嫉妬なんかするなよ」
「してない」
名前は挑発的な笑みを浮かべて、頬に触れていた風見の手を指を絡めるように握る。
「俺たちのデート、まだ終わってねぇだろ」
それに困ったような嬉しいような表情を浮かべた風見はその手を握り返して、夜の街を名前の手を引いて歩き出した。