時間があるなら来てくれないか? と電話を受け訪ねてみれば、出迎えてくれたのはいつだったか一緒に水族館へと行った風見の姪っ子ではないか。
満面の笑みで嬉しそうに足元へと駆け寄ってくる子供を身を屈めて受け止め、その後を追うように出迎えに来てくれた風見を見上げる。
「だから俺を呼んだわけだ」
「悪いな……忙しくなかったか?」
「平気」
今日は午前中のバイトだけで午後からはフリーだ。
そのことを伝えればホッとしたように顔を和らげた風見に少し笑って子供を抱き上げたままリビングへと向かう。
いつも片付いているリビングの床には女の子が好みそうなオモチャや絵本などが可愛らしいリュックから飛び出していて、この家では見ることのない新鮮な光景と記憶の中にある懐かしい映像が重なって思わず顔が緩みそうになった。
ソファの上にはあの日プレゼントしたイルカのぬいぐるみが転がっていて、持ち歩く程気に入ってくれたのかと嬉しくなる。
「どうしても君に会いたいと訊かなくてな」
名前に抱き抱えられている姪っ子──佳奈の嬉しそうな表情に苦笑しながら風見はキッチンへと向かい冷蔵庫を開けた。
「昼、今から?」
「あぁ。食べてきたか?」
「バイト先から直接来たからまだ」
風見の後ろから冷蔵庫を覗き見れば珍しく食材が揃っている。どうやら佳奈を預かる手前買い物は済ませたらしい。
当の本人はといえば適当に必要そうなものを買ったはいいものの何を作るかまでは考えていなかったようで、困ったような表情を浮かべて振り返った。
それに仕方ないと少し笑って抱えていた佳奈を降ろす。
「三人分作るんだから手伝ってくれよ」
もちろん佳奈もな、と言えば目をキラキラさせながら大きく頷く姿に幼い頃の妹の姿が重なって自然とその頭を優しく撫でていた。
三人並んでキッチンに立ってから十数分。
フライパンで食材を炒めながらちらりと横を見れば、台の上に立ちながら一生懸命料理の手伝いに励む姪っ子とその後ろに立って作業をフォローしている名前。
本当に面倒見がいいんだな。というよりも子供の扱いが上手い、と言えばいいのだろうか。
「慣れてるな」
「いつも小学生に纏わり付かれてるから」
料理も出来て子供にも好かれて少し愛想が悪いときもあるがちゃんと人に優しくもできて、そして一人になることを嫌う。
不良ということを抜きにしてこれが女性だったなら放っておく男はいないだろうな。本当に、男でよかった。
「おにいちゃん見て!」
「すごいな。上手にできてる」
「ほんとっ? おにいちゃんとおじちゃんの分も作ってあげるね!」
何気ない日常の一コマに過ぎないのだろう今のこの風景を、もっと見ていたいと思ってしまったのは欲深いものなのか。
普通の家族というのはこういうものなんだろう、と改めて認識したような気がする。
昼に作ってあげた特製お子様ランチは佳奈を大いに喜ばせることができたし、一緒に料理をするのも悪くないと思えた。
──探偵団相手ではハプニングが付き物なのであいつらはノーカウントだ。
自分の子ではないにしても小さい子を交えて生活感溢れる空間で風見と食卓を囲むのは不思議な感覚であった。
今まで自分が経験した家族の形はどれも特殊だという自覚はある。特殊だったから、きっと失くしてしまったのだ。
「どうした?」
昼食を終え、リビングのテーブルでお絵描きを始めた姪っ子に付き合っていた名前がぼうっとしているのに気付いた風見が声をかけ る。
ちらりと視線を風見に向けてすぐに逸らした。
「……家族って、こういうもんなのかなって」
小さく呟かれたそれは確かに風見の耳にも届いていた。
どういう意味でそんなことを口にしたのか聞こうとしたが携帯の着信音に遮られてしまう。
携帯を手に立ち上がった風見はリビングを出て寝室へと向かい通話ボタンをタップした。
「はい風見です」
『僕だ。すまないがこれから署のほうに来てくれないか』
「今から、ですか?」
『あぁ。都合が悪いか?』
「いえ……」
どう切り出せばいいか迷っていると控えめに寝室のドアが叩かれる音に振り返る。
そこには名前が開いたドアに寄りかかるように立っていた。
「俺が子守しとくから、行ってこいよ」
その申し出に若干渋った風見だったが上司からの呼び出しを断れるわけもなく素直に甘えることにする。
「大丈夫です。すぐに向かいます」
リビングへと戻っていった名前に視線を向けながら通話を切り、溜息を一つ。
クローゼットからスーツを取り出して部屋着から着替え玄関に向かうとリビングから姪っ子が駆け寄ってきた。
「裕也おじちゃんお仕事頑張ってね!」
無邪気な笑顔に少しだけ元気を貰い、姪っ子の後ろに立った名前を見る。
「すまない。あまり遅くはならないと思うが……」
「いいから気にしないで行ってこいよ」
スッと首元に伸ばされた手が急いで結んだネクタイを整えた。
まるでドラマのワンシーンのようで少しだけ気恥ずかしいと思いながらも口元は緩んでしまう。
もしこの場に彼と二人だけだったなら手を引いていたかもしれない。
整えられたネクタイに礼を言い、ドアノブに手をかけた。
「いってらっしゃい、裕也おじちゃん!」
「気をつけてな」
「いってきます」
世の働く父親はこうして毎日送り出されるのかと思うと少しだけ羨ましい。
「家族、か……」
風見はポツリとそう呟いてから上司を待たせまいと早足で駐車場へと足を進めた。
閉まった玄関の鍵をかけようとしたところ服を引っ張られて視線を下に向ける。
どうした?とこちらを見上げてくる佳奈の目線に合わせるようにしゃがむと頬をちょっとだけ赤らめた。
「パパとママみたいだった」
「え……?」
「あのね、パパがお仕事行くときにねママもさっきみたいにパパのお洋服直してあげるの」
まるで物語に出てくるような理想の夫婦像の話を聞いているみたいな感覚だ。
本当に、そんな家庭があるんだな。
ニコニコと嬉しそうに話す佳奈の頭を撫でてやるとまた頬を赤らめる。
「佳奈のパパとママは仲が良いんだな」
「うん! 仲良しさんだよ!」
「そっか。俺と裕也おじさんも仲良しさんだよ」
「パパとママみたいに?」
撫でていた手を止め目を瞬かせた。
自分は、それを望んでいるのか分からない。望まれて、応えられるかも分からない。
でも──
「そう、だといいな」
名前は少しだけ困ったように笑って見せ立ち上がった。
「これからなにしたい?」
「えーっと……お外行きたい!」
「じゃあデートするか」
「うん!」
さすがにバイクに乗せるなんてことはできないので近場を散策することにした名前は佳奈と手を繋いで適当にぶらぶらとしていた。
途中で野良猫を見つけたりいろいろなものに興味を示す佳奈の相手をしながら歩いていると、前方から見覚えのある女子高生の姿が見えて思わず顔を顰めそうになる。
「あ、苗字さんじゃないか」
「よぉ」
「名前さん、今日はバイトじゃないんですね」
「私達これからケーキバイキング行くんですけど一緒にどうですか?」
最初に声をかけた、というよりも最初にこちらに気付いたのはやはり世良だった。
工藤と同じように探偵のようなことをする彼女はなかなかに目敏い。だからというわけではないが彼女は少し苦手だ。
「悪いけど、行けねぇわ」
別に彼女が苦手だから断っているわけではない。今は一人ではないからだ。
まぁ一人だったとしても女三人の中に入っていくのは遠慮したい。
「あれ? その子……」
名前の足にしがみ付いて隠れている子供に気付いたのは蘭だった。
「え、子供!? も、もしかして苗字さんの隠し子…?」
「おい、ガキがいるように見えるってのか」
「冗談よ、冗談!」
「もー園子ったら」
態とらしく驚愕の表情を浮かべる園子に呆れた目を向けると楽しそうに笑われた。
これ以上冷やかされるのはごめんだと思い、風見の名は伏せ知り合いの子を預かっているだけだと伝える。
「名前さんって小さい子の面倒見いいですよね」
「不良のくせして世話好きなんて、ギャップ萌えでも狙ってるとしか思えないわね」
「別に狙ってねぇよ」
そんなこと言って本当はそうなんでしょ? と聞いてくる園子を適当にあしらっていると、世良がキョロキョロと周りを見渡しているのに気付いた。
「小さい子と言えば、今日はコナンくんとは一緒じゃないのか?」
「なんで俺と江戸川がいつでも一緒にいるみたいに思ってんだよ」
「え? だってよく一緒にいるだろ?」
とても迷惑な誤解だ。好き好んで事件に巻き込まれに行く奴と一緒にいるわけがないだろう。
世良はどうも工藤もとい江戸川のことを好んでいるようで、ポアロでもぐいぐい絡んでいる姿をよく見かける。
誤解されたままも嫌なので文句の一つでも言ってやろうとしたが、服を引っ張られ下を見ると佳奈が不貞腐れていた。
「んじゃ、俺はデート中だから。お前ら事件に巻き込まれるなよ」
「ちょ、不吉なこと言って去らないでくださいよ!」
元気のいい女子高生組と別れて散策を再開する。
斜めになった機嫌を直すためにソフトクリームを買ってあげれば一瞬でご機嫌になったのを見て少し笑ってしまった。
「夕飯なに食べたい?」
「カレーライス!」
風見宅の冷蔵庫の中身を思い出して追加の買い物はしなくても問題ないだろうと判断し、佳奈の手を繋いでそのまま帰路に立つ。
「ねぇねぇ、佳奈も作るの手伝っていい?」
「あぁ、いいよ」
「やった!」
あまり遅くはならないと言っていた風見は何時くらいに帰ってくるのだろう。
夕飯に間に合えば、また、あの不思議な感覚を味わうことができるだろうか。
署内にある自販機で缶コーヒーを2本買った降谷は片方をデスクに向かう風見へと渡した。
「急に呼び出して悪かったな」
「いえ、気にしないでください」
パソコンから目を離した風見は差し出された缶コーヒーを受け取りありがたく頂いた。
降谷もコーヒーを口にしながらまとめられた書類に目を通す。
「電話越しに声が聞こえた。一緒にいたんだろ?」
「……はい」
名前のことだから心配はしていないが好意に甘えて世話を押し付けてしまったのは申し訳なく思っている。
こういう仕事柄だから仕方がないとお互いに割り切っている分、余計に心苦しい。
貰ったコーヒーを一口飲んで息を吐く。
「実は姪っ子を預かってて、今は彼に見ていてもらっているんです」
「そうか。なら早く帰ってやらないとな」
そう言った降谷を見るともう書類を確認してしまったのかファイルに挟んで帰り仕度をしていた。
「必要な書類は揃ったし、今日はもう呼び出すことはないだろう」
「分かりました」
足早に出て行く降谷を見送り、静かになったフロアで一息吐いた。
──相変わらず忙しい人だ。
自分も早く帰ろうと残ったコーヒーを飲み干しパソコンの電源を落とした。
すっかり遅くなってしまった帰宅に重い気持ちのまま玄関のドアを開ける。
「おかえり」
靴を脱いでネクタイを緩めていると名前がわざわざ玄関まで出迎えてくれて、久々に聞く”おかえり"の言葉になんだか胸が温かくなったような気がした。
一人暮らしが長い分身に沁みる。
「ただいま」
「飯は? 食ってきた?」
「いや、まだだ」
「そ。んじゃ温めるからその間に着替えてきなよ」
その言葉に頷いて寝室のドアを開けるとベッドには姪っ子が寝かされていた。
イルカのぬいぐるみを大事そうに抱えてすやすやと眠っている。
妹には仕事が割り込んで佳奈を送って行くのはこれからになるとメッセージを送り、スーツを脱いだ。
部屋着に着替えてリビングに入れば漂う食欲をそそる香りに誘われるままキッチンへと足を進めた。
「カレーか」
「そう。あ、ベッド勝手に借りたけどよかったよな?」
「あぁ、大丈夫だ。寝ちゃったのか」
「あんたが帰ってくるまで起きてるって頑張ってたけどな」
「……そうか」
鍋をかき回す名前の近くに寄り頬に触れる。
「悪かったな」
「だから気にしなくていいって」
コンロの火を弱めて鍋に蓋をした名前が頬に触れている風見の手を握った。
「それに……こういうのもいいなって思えたし」
口元を緩めながら伏し目がちにそう言われて胸が跳ねる。
それは、そういう意味だろうか。それとも、ただ子守をするのも悪くないと思っているだけなのだろうか。
「名前」
握られた手を引いて無防備に見上げてきた顔を寄せて、半開きの唇を塞いだ。
触れるだけのそれをゆっくりと離して瞳をじっと見つめる。
「その……また、言ってくれないか?」
「なにを?」
「……僕に……おかえり、って」
目を瞬かせた名前の瞳が次第に細められていき小さく笑われた。
「俺も、いつか裕也さんに”ただいま"って言ってみたいんだけど、ダメ?」
離された手で頬を撫でられ誘われるようにもう一度唇を重ね、空いた両手で名前の体を抱きしめた。
ダメなんて、そんなことあるわけない。むしろ言ってほしいし言わせたい。
大人気ないと分かってはいるが、”いつか”なんて待てそうにないな。