シュライヤと神出鬼没


 気前のいい露店のご婦人から島の名産だという果実をいくつか購入したナマエは町の中央通りを歩きながらさっそくそれに噛り付いた。最初にレモンのような酸っぱさを感じて思わず眉を寄せるが、次第に口いっぱいに広がる甘い香りに表情が和らいでいく。味は申し分なく美味い。二口目にはもう酸っぱさにも慣れて一個をぺろりと食べてしまった。
 暫くしてから町を離れて海へと続く道を歩きながら最後の果実を頬張る。目線の先にある港には多くの商船が停まっており、自分の船を持たないナマエはそれら商船に潜り込んでは海を渡り旅をしていた。もちろん帰るべき船はちゃんとあるのだが、とある目的のため今は別行動中なので戻ることはしない。

「さて、次はどの船にお邪魔しようかな」

 そう暢気に果実を齧りながら歩いていると音もなく背後から迫りくる気配を感じとった。そのまま振り向かず身体を捻るようにして軸を反らせば、紙一重の距離に鋭い得物が迫っていたではないか。躊躇いのないその一振りに目を見開いた。

「あっぶなー」
「チッ。だから避けるんじゃねーよ」
「いやいや、今のは避けないと死んじゃうでしょうが」
「簡単に死ぬようなタマかよ」

 タップを踏むようにして数歩後ろへと下がる。襲い掛かってきたのは以前立ち寄った島で遭遇した賞金稼ぎだった。ちらりと振り下ろされた得物を見れば農作業で使われる鍬のようだ。刃は見事に地面を抉っている。なんだかあの時のナイフが可愛く思えるな、とナマエは苦笑いを浮かべた。

「まったく。急に襲いかかってくるのは心臓に悪いよ、シュライヤ・バスクード」
「あ? なんでおれの名前……」
「君も賞金稼ぎとして名を挙げているってことだね」
「そうかよ。そりゃありがたい、ねっ!」

 目の前を鍬が横切る。頭を後ろにズラしていなければ両目ごと抉り取られていただろう。怖い怖い。風圧で脱げそうになったバケットハットを抑えながら軽やかにシュライヤからの攻撃を避けていく。

「どうやって俺の居場所を知ったのかな」
「おまえ、自分が賞金首だって忘れてねぇか。噂なんてのはすぐに出回るもんだ」
「自分の噂なんてなかなか自分には届かないものだろう」

 地面に刺さった鍬に足を乗せたナマエはそのまま細い木の柄に乗り上げる。バランスを崩すことなくその場で膝を曲げ、帽子の鍔の陰になっている目元を覗き込めば二人の視線が交わった。

「海賊処刑人。君は自分がそう呼ばれているのを知っているかな」
「……興味ねぇな」
「ほら。自分じゃ気付かないだろ?」 

 確かにシュライヤは己に大層な異名がついていることを知らなかった。だが今はそんなことどうでもいい。目の前にいる海賊を捕まえて海軍に引き渡す。それだけだ。たったそれだけのことなのだが、攻撃は容易に避けられまともに相手にすらされていない。その上ナマエは背負っている自分の得物を一度も抜いてはいなかった。最初に出会った時も一方的に攻撃を仕掛けただけ。まるで本気なのはおまえだけだと言われているような気がした。
 そう理解した途端、急に気分が下がっていくのを感じて握っていた鍬の柄から手を離した。その行動は予測していなかったのかバランスを崩したナマエが「うわっ」と情けない声を上げて前方に転んだ。あれほどまでに隙を見せなかった男がこうも簡単に油断した姿を晒すのかと顔を顰める。

「今日はやめだ。気分が乗らねぇ」
「今日は、って……また次があるの?」
「当り前だ。いつまでも余裕なツラさせとくわけねーだろ」

 そう言って踵を返すシュライヤの背中を見上げながら、俺は平和主義なんだけどなぁとナマエは困ったように言葉を漏らした。しかしその口元にはうっすらと笑みが浮かんでいたのを本人は知らない。


 太陽が海へと沈み町に人口の明かりが灯った頃、賑わい始めた酒場のテーブルには酒や料理が忙しなく運ばれている。量やスピードを重視しているのか、それとも酒を提供するのが目的の店だからなのか、味は少々いまいちだ。だが腹が満たされるのなら問題ないとシュライヤは運ばれてくる料理を次々に胃の中へ流し込んでいく。そして食べかすの残る皿をテーブルへ置いてから口いっぱいに頬張った料理を飲み込んだ後、ゆっくりと顔を上げて目の前の男を睨みつけた。

「だからなんで一緒に飯食ってんだてめぇは!」

 男は昼間に殺し合い──殺意は一方的だったが──をした相手、海賊のナマエだ。神出鬼没と呼ばれるだけあって一人で食事をしていたはずだったのが気付けば同じテーブルで料理を囲んでいた。しかも注文した覚えのない酒や料理まであっていつの間に手配したのかと驚き呆れる。
 そんな不機嫌な態度を隠さないシュライヤを前にナマエはのんびりと酒の入った木製のジョッキを傾けた。

「いいじゃないか。せっかくだから親睦を深めよう」
「海賊と慣れ合うつもりはねぇ!」
「頭が固いなぁ君は。もっと柔軟に考えないと疲れてしまうよ?」
「てめぇのせいでな!?」
「あ、これ美味しい。シュライヤも食べてごらん」
「お、おう……こりゃ美味いな。おいもっとくれよ」
「気に入ったのなら追加を頼もう。すいませーん」

 ずいっと差し出された料理は他の味気ないものより数段も美味しさが上回っていた。独り占めするかのように皿を奪い取ったシュライヤは甘酸っぱいソースのかかったステーキを次々に口へ運んでいく。その様子をにこやかな表情で眺められていることにも気付かずに。
 ナマエは追加で運ばれてきた同じ料理を受け取るとスライスされたステーキをふた切れだけ別皿に移した。残りは無意識に伸ばされたであろうシュライヤの手に渡し、自身もソースをたっぷりつけたソースを頬張る。舌に広がる甘味と鼻から抜ける香りは昼間に食べた果実を思い起こした。

「この島名産の果実を使ったソースみたいだね」
「へぇーそうなのか────って、そうじゃねーよ!!」
「え? 味が似てるから確かだと思うけど」
「いやメシの話じゃなくて!」

 勢いに任せて立ち上がってしまったシュライヤは座ったままの男を顔を見下ろして口を閉じた。危機感も緊張感もない澄ました表情にどうにも調子が狂ってしまう。深く息を吐き周囲から向けられる視線に冷静さを取り戻すと再度イスに腰を落ち着かせた。

「なんでこんなところを一人でうろちょろしてやがる」

 背もたれに体を預けながら、料理をつまみにして酒を飲むナマエへ問いかける。最初に出会った時、男がどこかの海賊の一味であることが判明した。これはまだ海軍ですら把握していない。基本、海賊というのは群れて行動をする輩たちだ。少しの間別行動をとるというのは珍しくもないが、この男のように噂の一つも出さないほど船を離れているのは異例だろう。賞金稼ぎとしては邪魔が入らない分、やりやすくはあるが。

「探し物をしているんだよ」

 案外答えはあっさりと返ってきた。ナマエは傾けていたジョッキをテーブルに置いて頬杖をつくと伏し目がちに視線を下げる。

「個人的な理由だからね。仲間の旅路は邪魔できない」
「よく許されてるな」
「いや? 怒られてるよ」
「は? ならとっとと帰れ」

 尤もな反応だと声を出して笑うナマエに眉を寄せる。シュライヤは別に親切心からそう言ったのではなかった。自分の首を狙う賞金稼ぎを相手に妙に馴れ馴れしく絡んでくる厄介者を野放しにするなと間接的に船長とやらに伝えたかっただけだ。そもそも海賊の事情なんて知った事ではない、と尋ねたのが自分だというこをすっかり忘れて中身が半分ほど減っているジョッキを掴んで酒を大きく煽った。全部飲み干すまでいかなかったのは、対面から向けられた目線が先ほどとは違って真剣味を帯びていたからだ。

「君にだって譲れないものはあるんじゃないかな」

 笑ったせいで少し出てしまった涙を拭ったその瞳はシュライヤを見ているようでいて、どこか別の場所へと向けられているようにも思えた。そして落ち着いた口調から発せられた言葉を受けて脳裏に浮かべるのは、とある男によって焼かれた故郷と幼い妹の姿。燃え立つ復讐心に掴んだジョッキの持ち手がギシッと音を立てて軋んだ。
 賑わう酒場には似合わない雰囲気を感じ取ったナマエが困ったように笑みを浮かべる。それに気付いたシュライヤは己の失態を誤魔化す様に「さぁな」と視線を外して酒を飲み干した。
 触れてほしくないことは誰にでもある。踏み込むにはまだ早すぎる、と。それを理解している二人はそれ以上この件について話すことを辞めた。

「ま、それに面白い出会いもあったし暫く遊ぶのも悪くない」
「おい。こっちは遊びでやってんじゃねーんだぞ」
「じゃあ俺はそろそろ失礼するよ」
「聞けよ。おまえ、なんつーか本当自由だな」
「海賊だからね」

 ポケットから金貨を数枚取り出してテーブルに置いたナマエは「またね」と片手を上げて店を出ていく。酒場を離れればとても静かな町を一人歩きながら、次はどこの島で出会えるのだろうかと夜空を見上げ思う。そして懐に仕舞っている電伝虫を服の上から撫で、今も海中を進む船の皆にまだ帰れそうにないとそっと謝罪の言葉を贈った。