ルッチと管理者代理


 ごつごつとした、皮の厚い、職人の手が右脚を這っている。今日は雨が降っていないのになぜか僕の家にはルッチの姿あった。仕事はどうしたんだ、とか。どうして不機嫌そうに眉を寄せているんだ、とか。たくさん聞きたいことがあるのに彼はそれを許してはくれない。彼の言葉を代弁する白いハトもコートのかけられたポールハンガーに大人しくとまっている。
 ソファに座る僕の前に跪き、外気に晒された右脚を両手で支える男。内出血を起こしてしまった脛に触れ、擦り傷ができてしまった太ももに触れ、古い傷痕に触れていく。痛みはなく、ただただ胸がざわついた。足首は軽く捻ってしまったのだろうか熱を持っている。早く冷やさないと。けれど触れた手の体温が熱くてひどく恋しい。柔らかいクッションに寄りかかりながら、太陽の光がわずかしか届いていない薄暗い部屋の天井を見上げる。掌で脹脛を撫でられる感触にそっと目を閉じた。
 運が悪かった。たまたま市長である兄弟子へ定期連絡をしに行った帰り道、たまたま気性の荒いカンパニーの客と遭遇し、たまたま絡まれただけ。杖をついた男はさぞ弱い生き物に見えたことだろう。実際にそうだから否定もなにもできない。僕にできるのはただ受け流すことだった。けれどそれが気に障ったのだろう。気付けば杖は手元になく、視界には青空が広がり、坂道を転がったせいで服は汚れた。

「ナマエさん、大丈夫ですか」

 そうだ。なぜもなにも怪我をした僕を家まで連れて帰ってくれたのが彼だった。雨も降っていないのにどうして見つけられた。その手が血で汚れているのは。それくらいなら聞いても答えてはくれないだろうか。そもそも僕は、その答えを知りたいと思っているのか。晴れている日に彼が傍にいるのは変な気分だ。
 ぬるりとした感触が右脚を這っている。ゆっくりと目を開けて見慣れた天井から視線を下げていった。肉厚の生暖かい柔らかな舌が古傷を撫でるように舐めていく。彼はいったい、何をしているのだろう。こちらを見上げるように鋭い瞳が向けられて思考がうまく回らなった。
 もしも、雨が降っていたら、僕はこのまま身を委ねていたかもしれない。古傷が痛むからと、気を紛らわせる行為を望んだかもしれない。太陽が雲に隠れたのか薄暗い部屋がより暗くなった。それでもルッチの瞳は獣のように光を放っていた。肉が抉られせいで肌の色が違うそこを、骨にしゃぶりつく野生動物のように舌が這う。あぁ、もしかしたら、きっと。

「僕の脚は、まだ壊れてないよ」

 ぴたりと止まった体に思わず笑みが漏れた。少しだけ解った気がする。どんな理由を抱いているのかまでは解らないけど。それでも彼は、ルッチは、怒っていたんだ。