使える部下を欲しがっていたな。そう言ってセンゴク大将から紹介されたのは今年入隊した新兵の一人で、すでに海軍本部内でもその化け物じみた実力が噂となっているボルサリーノであった。訓練の途中で連れ出されてきたのか顔には痛々しい拳の痕があり治療の形跡はない。今年から教官となったあの人は新兵相手でも容赦はしないらしい。尊敬に値する上官だった男を思い出しながら金縁で度の入っていない眼鏡のブリッジを中指でそっと押し上げる。
「彼はまだ訓練兵では」
「こやつとサカズキは特例でな。お前の時と同じだ」
「……了解しました。お預かりします」
「頼んだぞ」
正義と書かれた白いコートをなびかせて去っていく、かつての直属の上官だった男から視線を外して新兵へと視線を向けた。報告ではその身には悪魔の実の能力を宿しており、その影響もあってか今年入隊した者たちの中でも一つ二つ抜きんでていると聞く。だが張られた頬を見る限りまだまだ新兵であることに変わりはない。
「ついてこい」
踵を返しセンゴクが去った方向とは反対方向へと歩き出す。後ろから大人しくついてくる長身の男の気配を感じながらなぜこうなったのか、と考えを巡らせた。
若くして将官の地位に収まってしまった自分の元にはこれまでおこぼれの海兵しか配属されてこなかった。実力主義と言えども若すぎる将校はやはり疎まれるものだ。戦力を要請すれば生意気だと言われ、補充を要求すれば割ける余力はないと突き放される。だからいつしか”今ある戦力のみで最大限の正義”を部隊で掲げるようになった。その状況は少将となった今でも変わっていない。
今になってなぜ、どの部隊も喉から手が出るほど欲しがりそうな人材を任せられるのだろうか。
「ここが私の執務室だ。入れ」
暫く廊下を歩き、いくつものドアが並ぶ一つの前で立ち止まる。名札がついているから今後一人で来ても迷うことはないはずだ。執務室の中では数名の部下が事務処理を行っていて、ドアを開けるとお疲れ様ですと声を掛けられる。それに軽く言葉を返しながら自身のデスクへと向かいイスに腰を下ろした。
初めて訪れた部屋を見渡すことなくデスクの前に立ったボルサリーノを見上げる。緊張の欠片もない雰囲気に肝の据わった新兵だと感心するも、すぐに舐められているのだと察した。しかしそれを咎めるほどこちらも気にしてはいない。それに見合った実力を持っていれば構わないのだ。視線を逸らすことなく長身の男に向けたままデスクに両肘をついて手を組んだ。
「貴様はまだ訓練兵だ。ゼファー教官の訓練を優先しろ。それ以外の時間はここへ来て仕事を覚えてもらう。必要があれば私自ら貴様の訓練をとり行う。頃合いを見て遠征任務へも連れていく。以上だ。訓練に戻って構わない」
入隊したばかりの新兵に任せる仕事など今はなく、必要なことだけを伝えて退室を促す。だがボルサリーノはその場に突っ立ったまま動こうとしなかった。何か聞きたいことがあるのかと視線で問えば「ん〜」と間延びした声が返ってくる。
「おれァまだあんたの名前すら聞いてないんだよねェ」
視界の端で慌てて席から立ち上がる部下たちを捉え、目で制す。名乗っていないのは確かだ。センゴク大将のことだから既にこちらのことは伝えてあるものだとばかり思っていた。
「私はナマエ。本日付けで貴様の上官になる。階級は少将だ」
「オ〜あの最年少で将官になった、てェ噂はあんただったのかァ」
「不満があるなら言え。ないなら訓練に戻れ」
「それじゃあ失礼するよォ」
報告を受けている悪魔の実の能力とは裏腹に緩やかな動作でボルサリーノは執務室を出ていった。静まった室内にドアの閉まる音が響き、イスから立ち上り中途半端な体勢のまま固まっていた部下が動き出す。少将、と不服を露わにしている彼らの言い分は理解している。
「いつものことだ。気にするな」
「しかしっ……」
「奴が愚かでなければ時期に解る。仕事に戻れ」
まだ納得のいっていない様子だったが渋々作業に戻る部下たちから目を離し、デスクに置かれた書類を手に取る。
生意気な口を利くのはなにも彼が初めてではない。最年少将官。聞こえはいいが実際には自分よりいくつも年下の上官に従えるということだ。素直に敬意を表して接してくれる者もいれば、相手の力を見極められず反抗的な態度を示す者もいた。ただ、世の中そこまで甘くはない。それに気付けた者だけが生き残り、強さを身に着けていく場所なのだから。
部下としてボルサリーノが配属されてから数か月。これまで己の戦力を主として行っていた海賊討伐任務は、より効率的に処理できるようになった。命令には忠実で戦闘もゼファー教官に扱かれているおかげか申し分ない。少々反抗的な物言いはするが許容の範囲内だ。慣れていないと言っていた事務作業も物覚えの良さから早々と教育係の必要性はなくなった。
正直、手に余る。これほど優秀な人材を、海軍将校の中でも残飯処理係と疎まれる部隊に配置するのは贅沢がすぎるというもの。むしろボルサリーノのためにはならないとさえ思う。もっと相応しい居場所があるはずだと。
「なぜ私なのですか」
「戦力を欲しがっていただろう」
「過剰すぎます」
「我儘を言うようになったな」
会議が始まる前のことだ。その後どうだ、と世間話を始めたセンゴク大将に正直にそう話せば笑われてしまった。聞けばボルサリーノの配属先を推薦したのはこの人とゼファー教官だと言う。元とはいえ大将二名の推薦とあっては誰も反対はしなかったらしい。通りで周囲から皮肉の声は聞こえても横取りをしようとする輩は現れなかったわけだ。
もし。他の将官から彼を欲しいと言われたら、自分はあっさりと手放していたかもしれない。
「あいつを上手く扱えるのはおまえくらいなものだ」
窓の外に見える訓練中の海兵たちを見下ろしながら吐き出された言葉は数日前にも耳にした。
「ゼファーさんにも同じことを言われました」
「そうだろうな」
「能力に頼らない強さを教えてやれ、とも」
「ついに匙を投げたか」
やりにくい相手だと小言を漏らしていたからな。そう言って笑いながら席に着くセンゴク大将に続いて自分も割り当てられた席に座る。どうも大将たちはこちらを過大評価している節がある。ゼファー教官に関しては「おまえも一緒にあいつを育てるんだ」くらいのことかもしれない。しかし期待してくれているのは本当らしくそれは嬉しい。が、やはり応えられるかは疑問が残る。自分よりも優秀な人間をどう育てろと言うのか。
だが、そんな自分の考えは到底甘かったことをすぐに知ることとなった。
雨が降り出しそうな程どんよりとした雲の下。煙を上げて燃える海賊船は船尾が沈み始めている。そして我が部隊の船上は殺伐としていた。慌ただしく走り回る海兵に指示を出しているのはこの船の指揮官ではなく救護班の者たちだ。
「海賊はちゃーんと捕まえましたよォ」
彼には見えていないのだろうか。いや、見る価値がないのだろう。高みに立つ者は足元を注意深く見下ろそうとはしない。自分の力に絶対の自信を持ち、それ以外を信用していないからだ。私も、含めて。恵まれた力を見誤ったのは彼の表面しか見ていなかった己のせいだ。どれだけ強くとも、まだ、ただの一海兵でしかなかった。
目の前に立つ満足そうな表情を浮かべる男を見据えながら、部下が全員船に戻ったという報告を副官から受ける。ぽつり、と水滴が眼鏡のレンズを濡らした。
「よくやった」
そうして挙げた戦果を評価しながらも、優秀な部下を船から蹴り落とした。光となって逃げだす暇も与えず海面へと叩きつければ、呪われたその身は鉛のように沈んでいく。それを見下ろしてから背後を振り返る。甲板には横たわる部下たちの姿。彼らはボルサリーノの独断専行により負傷してしまった。およそ部隊の半数だ。
「船を出せ。すぐに本部へと戻る。重症の者はすぐに船内へ運べ」
それと、と言葉を続けて足元に向けた。円を描くようにまとめてあったロープがするすると海の中へと引きずり込まれていく。
「誰か引き上げてやれ」
踵を返しボルサリーノが捕まえたという満身創痍の海賊たちを船内の牢に入れてから船室へと戻った。イスに深く腰掛け、眼鏡を外す。幼さを覆い隠すためにかけていたそれを胸ポケットに仕舞い、本部に報告をするためデスクの上で寝ている電伝虫から受話器を取った。
それから暫くするとずぶ濡れのままのボルサリーノが船室へやってきた。いつものような飄々としている態度は鳴りを潜め、随分と不機嫌な表情を浮かべている。ちらりとその姿を収め、報告書へと視線を戻す。
「貴様を呼び出した覚えはないぞ」
「おれを殺す気だったろォ」
「命綱は着けてやった。充分だろう」
船内に静けさが訪れる。紙の上を滑るペンの音に混ざって、床に溜まった水たまりに落ちる水滴の音をやけに耳が拾った。そのまま報告書を書きあげて万年筆を静かに置いてから眼鏡をかけ直す。
「部下が貴様を海から引き揚げてやった」
この意味が解るか、と目だけで問えばボルサリーノは口を閉ざして無言を返した。さすがにそこまで愚かではないか。元々頭が悪いわけではなく、持ってしまった能力のせいで驕りを生んだ。今彼に必要なのは経験と知識、それから心構えといったところだろうか。
イスから立ち上がり背を向ける。船室の窓は雨粒と荒れ始めた海の水しぶきで濡れていた。
「貴様はいずれ上に立つ人間だ。部下の失態は己の責任と思え。部下の負傷は己の力量不足と思え」
「……彼らはおれの部下じゃァないからねェ」
「そうだ。私の部下だ。そして貴様も」
ガラスに映ったボルサリーノはじっとこちらを見つめている。愚かなのは誰か。私だ。
「だから今回のことは私のミスだ。貴様に責任はない」
振り返れば困惑と怪訝の入り混じった顔が向けられた。
優秀だと思い込み野放しにした結果、多くの部下を犠牲にするところだった。これは浅はかな考えで彼を指導していた己の責任である。手がかからないのではない。手をかけようとしていなかっただけだ。自分よりも秀でていると思い込んでいただけだ。
「どうやら私は貴様を過大評価していたようだな」
この言葉を受けて目を見開き固まる彼は、期待していたほど優秀ではなかったということだ。そもそも新兵に向けるべき期待ではなかったというだけのことだった。
その日からボルサリーノに対し一層厳しい指導を始めた。ゼファー教官から頼まれたこともあり能力を禁じた訓練を始め、副官の代わりとして傍らに控えさせ戦闘以外の仕事というものを見て覚えさせる。ある意味で贔屓と言えよう。しかしそれを羨む部下は残念ながら一人もいない。
「部下を駒と思うなとは言わない。が、貴様はまず駒の扱い方を学ぶべきだ」
「兵法の本でも読めとォ?」
「それでも構わない。自分に合った方法を見つけろ」
飴のような対応をするときもあればその逆も然り。現場に同行はさせるが戦場には立たせないという指導も行った。
「え〜」
「不満を垂れるな。貴様は待機だ。そこで黙って見ていろ」
「でもあんただけじゃァ手が足りんでしょォ〜」
「二度は言わんぞ」
なまじ力がある分フラストレーションは溜まるだろうが、これくらいのことも我慢できないようでは未来の海兵たちが不憫でならない。戦力があるに越したことはないが、過剰な力は周りをも巻き込むのはすでに経験済みだ。未だ能力ばかりに頼っているボルサリーノの現状を踏まえれば使いどころを見誤ることは許されなかった。
念を押す様に長身の男を見据えてから正義のコートを翻して背を向けた。じっとしていられないのならまた海に落とせばいい。能力者を解らせるには最適な方法だ。などと、我ながらハズレくじの上官だと思う。