ボルサリーノと上官


 怪物級の新兵だと周囲から期待され、悪魔の実の能力も備わってか己の力には自負がある。元大将だという教官の力量を前に、自分であればすぐに追いつけるものだと考えていた。それこそ光のような速さで。だから派手な実績もなく、ただ最年少で将官となったという噂だけが広がる上官の元にいるのは正直無駄なことだと思っていた。とんだハズレくじを引いてしまったと。しかしそんなボルサリーノの心境を変えた出来事が起こったのはついひと月前のことだ。
 それは上官に初めて褒められ、失望されたあの日のこと。
 目の前を歩く正義を背負った背中は自分よりも小さく、だが一寸の隙もない。白く透き通る髪を後ろに軽く撫でつけ、細身の金縁フレームの眼鏡をかけるのはボルサリーノより八つも年下の上官だ。

「皮肉なものだな」

 そう言葉を零した上官の肩書は先ほど少将から中将へと変わった。あの日の戦果を含めたこれまでの部隊の功績によりボルサリーノの階級がいくつか上がったことで、指揮官である彼も昇級したというわけである。

「結果が全てですよォ」
「中身の伴った結果でなければ意味がない」
「真面目ですねェ〜」

 感情の読めない奴だとずっと言われてきたが、この上官も負けず劣らず感情を表に出さなかった。彼の元に配属されてから半年は経ったが未だにその表情が崩れたところを見たことがない。笑いもせず怒りもせず、ただ淡々と日々の業務に勤しんでいる姿はさながらサイボーグのようである。そういえば海兵たちが陰で彼を鉄仮面と呼んでいた。

「部下の犠牲の上に成り立つ地位など、私はいらない」

 お似合いのあだ名だと思う一方で、そこまで冷めた人間ではないことを知っているせいか少々複雑な気持ちだ。
 多くの負傷者を出し、上官に失望されたあの日。海へ蹴り落された怒りが打ち消される程にショックを受け、それに戸惑いを覚えた。知らず知らずのうちに期待していたのかもしれない。周囲の反応に気を良くして慢心していたのかもしれない。ボルサリーノは"期待されている"ということに期待していたのだ。
 負けず嫌いなわけではないが、このまま失望されたままというのは気分がいいものではない。上官の言葉を借りて言えば、結果でなくその過程、中身だ。見返してやろうという気持ちを多少抱きつつ、ボルサリーノは周囲の期待よりも上官からの評価を望むことに意識を変えていった。すると不思議なくらい今まで気付けなかったことに目が向くようになったものだ。
 駒の扱い方を学べ。上官はそう諭した。

「ボルサリーノ。この報告書は誰が届けに行くべきだ?」

 例えば書類を届けるという単純な業務でさえ上官は届け先によって部下を変える。なかなか面倒なことをしていると思い以前一度だけ何故かと問いかけたことがある。その時はすぐに解ると返された。そうやって勿体ぶるのが彼の癖だ。それとも部下に考えさせる機会を与えていると取るのが正解か。
 手渡された書類に目を通すと、そこに書かれた届け先の主であろう海兵の名前には覚えがあった。

「オォー……これはァわっしですかねェ〜」
「なぜそう思う」

 デスクに肘をつき両手を組んだ上官が試すような視線を寄越す。表情には出ないが声音にはうっすらと感情が含まれるその声には疑問の色はない。ボルサリーノがすでに答えを導き出していると解っているようだった。そうならわざわざ聞かなくてもいいでしょうに、と思いながら肩の力をすっと抜く。
 これまで書類を届け終えて帰ってきた彼の部下たちは皆さまざまな情報を持ち帰ってきた。ある者は海賊の情報を。ある者は内部で怪しい行動をする人物の情報を。ある者は海兵のプライベートな情報を。つまり情報収集の一環として部下を遣いに出しているというわけだ。同時に諜報能力を育てている。その指導がついに自分へ回ってきたのだ。

「この将校のところには同期のサカズキがいるからァ、でしょう?」
「頼めるか」
「ついでに挨拶でもしてきますよォ〜」
「あまり長居はするなよ」

 たった一枚の書類を片手に執務室を出てゆったりと歩き出す。
 海軍本部ではある程度の情報は共有されるが有事にならなければ提示されないものや敢えて一部の者にしか行き渡らないような情報もあった。その多くは横の繋がりや普段のコミュニケーションの中で広がっていく。ボルサリーノの上官であるナマエは将官と言えども若すぎる出世のせいか周囲から敬遠されていた。ほとんどが妬みによるものだ。本人も生意気だと思われているのだろうと語っていた。だからこうして部下を介して情報を各所から集めている。情報網はすでに至る所へと張り巡らされてあった。まるで気付かぬうちに天井の隅にできた蜘蛛の巣のように。

「恐ろしいねェ……」

 あの若さでそれができてしまう手腕に、妬みよりもまず末恐ろしさを感じた。


 一方で戦闘面に於いても、その地位にいることが当たり前であることを思い知らされる。一番身に染みてそう感じたのは個人訓練でのこと。ボルサリーノに課せられたのは能力を使わずに上官から一本とる、というものだった。簡単に言えば一度でも上官の背中を地面につけてしまえば勝利だ。うっかり能力を使ってしまえば海に落とされるなど厳しい罰もルールに組み込まれており、訓練教官のゼファーを相手にするよりも命がけで取り組まなければならない。
 任務で何度も闘う姿は見てきた。ただそれだけでは実力を推し量れないと理解したのは、実際に相手にした瞬間だ。上官は強い。それも純粋な強さ。無駄がなく隙も見せず、その性格からは想像できないほどしなやかな動き。まるで玄人のような体の使い方をしていた。その強さは元大将であるゼファーにさえ劣らない。身に着けたばかりの見聞色の覇気は気休めにしかならないほど。例え能力を解禁されたとしても今の自分では手も足も出ないだろう。

「またゼファー教官に怒られたそうだな」
「お〜……耳が早いですねェ」
「私との訓練は役に立たないか」

 訓練の終わりに見える景色はいつも同じだった。青空と太陽を背負う上官の姿。逆光で顔はよく見えないがいつも通りの鉄仮面なのだろう。たがその声はどこか拗ねたような、残念がるような色を含んでいた。別に上官が責任を感じる必要はない。こちらの訓練に真面目になるあまり、ゼファーの元ではうっかり能力を多用してしまうだけだ。鬱憤を晴らしていると言ってもいいかもしれない。これはボルサリーノ自身の問題である。

「もっと必要なのかもしれませんねェ」

 上官と手合わせするために。上官に近づけるように。だから全てに対しては真面目になりきれない。そんな子供のような個人的な理由だ。

「ならば、さらに厳しく指導してやらなくてはな」
「お手柔らかに頼みますよォ〜」

 差し出された手は自分のよりひと回りも小さく、そして力強かった。
 さらに個の話ではなく集団の話ともなってくれば上官の秀でた才が知力や強さだけに限らないことも伺える。個人的な訓練はボルサリーノのみに留まっているが、部下たちを放置しているわけではなかった。訓練場には頻繁に顔を出し、一人一人に声をかける姿は部下の誰しもが理想とする上司の姿だろう。後をついて歩いている身からすれば強くなる者は自ずと強くなるのだから放っておけばいいのに、と自分のことを棚に上げて思ったものだ。
 上官は部下に持てる能力以上のことは求めなかった。戦闘の最中であっても無駄に浪費させるような指示はしない。その教育のせいか海兵たちの引き際の判断はボルサリーノの目から見ても正確であった。攻めるべき時と引くべき時を個々人が理解していると。必ずしも全員が上官に続くべきではないことをこの部隊は教え込まれていた。
 ”今ある戦力のみで最大限の正義”
 一見して弱腰のように思えるモットーだ。が、裏を返せば無駄をなくし洗練された力ということになる。部隊に配属されてから半年余りが過ぎてようやく、彼の部隊は優秀なのではないかと思い始めた。若すぎる将官はなぜこんなにも大人しく影のように収まっているのだろうと疑問を抱くほどに。

「ナマエ中将が控えめな理由?」
「あの強さに見合った任務が下りてこねェのはさすがにおかしいでしょう。今はわっしもいるってェのに」
「あぁ、そのことか」

 たまたま廊下ですれ違った部隊の副官を務める海兵に聞いてみれば困ったような笑みを返される。

「あまり大声で言えることじゃないが、他の将官たちはあの人に手柄を奪われたくないのさ」
「横から掻っ攫われてるとォ?」
「そうだ。まぁ結局は手に終えず、巡り巡って中将の元にやってくるんだがな」
「……それで残飯処理部隊ってわけかィ」

 名のある海賊を相手にするどころか、担当するのは他の部隊が取り逃がした標的や手が回せないからとおまけで受け持つものが大半を占めていた。だから残飯処理部隊と呼ばれていると。蓋を開けてみればなんとも幼稚でくだらない理由に呆れてしまう。

「ボルサリーノ軍曹も運がよかったな」
「そうかねェ〜」
「君を利用して手柄を上げようって人は随分と多かったんだ。そっちに行ってたら飛び級での昇級は難しかっただろうな」

 副官に言われてはたと気付く。少し前までは同期のサカズキよりも階級は下だったがいつの間にか飛び越えてしまっていた。その苛烈な正義感を胸に凄まじい活躍をしていると耳にしている彼の事だ、上官の不正でも見つければ自分でどうにかしてしまうだろうが。

「そういえば帰る前に執務室へ寄ってくれと中将が呼んでいたぞ」

 颯爽と去る副官の背中から目を離して長い脚でゆったりと廊下を歩く。先日遠征を終えたばかりの部隊は現在大きな仕事は抱えておらず、自主的な訓練をする者以外は定時で上がってしまっている。すれ違うのはとくに関わり合いのない海兵ばかりだ。
 上官の名札が下げられたドアの前で立ち止まり軽いノックを数回。入れ、と許可をもらってから執務室へと入り、足が止まる。窓から差し込む夕暮れ色に染まった室内は静寂に包まれており、まるで外界から切り離された空間のようだ。その中にはただ一人だけが存在した。イスを横に向けて窓の外を眺める上官の指先がデスクの上に置かれたワイングラスの輪郭を撫でる。まるで絵画のような光景に一瞬息が止まり、その場から動けなくなった。

「いつまでそうしているつもりだ」

 瞬きすら忘れそうになったボルサリーノを引き戻したのは呆れた色を含んだ上官の声。

「お酒、飲まれるんですねェ」
「嗜む程度に、な」

 意外な一面を見たような気がする。勝手に、道楽とは縁のない人なのだと思い込んでいた。寄越された視線に導かれデスクの前まで足を進めると空のグラスを差し出される。次いで見覚えのある銘柄のボトルの栓が開けられるのをじっと見つめた。決して安くはなく、手に入れるのも容易ではないそれが贅沢に注がれていく。

「遅くなったが昇級祝いだ」
「納得していなかったでしょう」
「私のではない」

 ことり、と音を立ててワインボトルをデスクに置くと上官は立ち上がった。そして夕日に照らされ飲み口がキラリと光るグラスを持ち上げる。

「貴様の昇級祝いだ」

 グラスが傾けられ、中身が優雅に揺れた。

「納得……してなかったでしょうよ」
「私の信念と貴様の実績は関係ない。ただ部下の活躍が喜ばしいだけだ。それを評価されることも、私にとっては誇りなのさ」

 こちらを見上げてくる上官の瞳は力強く、嘘はない。ボルサリーノは戸惑いが自分の中に生まれるのを自覚した。八つも年下の男を相手に何を想うのか。嬉しさか。喜びか。それとも別の何かか。ただ一つはっきりと解ったことがあった。それは追うべき背中が目の前にあるということだ。尊敬に値する人が目の前にいる、と。
 そして静かな空間に一つ、ワイングラスの当たる音が鳴った。