そこは海軍の中でも極秘の施設だった。何十年も前に支部は撤退し、残されたのは動力を失った設備だけ。冬島のせいか年中雪が降り積もり気温は著しく低いため生き物が住むには厳しい環境だ。おまけに島を取り囲む激しい海流の影響で海軍の船でも近付くことは容易にはできない。しかし光人間であるボルサリーノには全く障害にはならなかった。
積もった雪に足を取られることもなく施設に辿り着き重い扉を開く。薄暗くガランとした建物内は人がいなくなったことで暖房機能を失い、至る所に霜が張っていた。肩に羽織ったコートを翻しながら迷いなく奥へ奥へと進んでいく。その足音はコンクリートの建物内で反響し、やがては吸い込まれていった。
目的の部屋へと近づいていく程にボルサリーノの口から吐く息が白くなっていく。見栄えのしなかった廊下は這うようにして凍り付いており、その氷はとある扉まで続いている。金庫扉のような頑丈な扉の回し手には南京錠の着いた鎖が巻き付いていた。過剰なほど厳重に閉ざされている。それは何かを守り、隠す様に。もしくは、閉じ込めるかのように。
懐から取り出した鍵で南京錠を外し扉を開けると隙間から流れ込んできた冷気が革靴越しに足先を冷やした。分厚い扉の向こうに広がっていたのは部屋中が凍り付けにされた、まるで大きな冷凍庫の中のような景色だ。
「いつ来ても堪える寒さだねェ〜」
そう軽口を叩きながらもボルサリーノは足を踏み入れた。パキッとヒビの入った床の氷に眉を寄せながら部屋に唯一設置された寝台へと歩み寄る。天蓋のように天井から延びる氷柱を器用にくぐれば、ようやくこの島へやってくるための理由が視界に入った。寝台の上で眠るように横たわるのはかつての上官である。その姿は永遠とも呼べる別れを告げられたあの日からすでに二十年以上も経っているが変わることなく若いままだ。
「貴方が眠ってる間に……わっしはァ貴方を超えちまったよォ」
触れた頬は氷のように冷たく、しかし、柔らかい。死んでいるように見えるが彼はだた眠っているだけ。あれから自分は尊敬する人を超え大将となった。歳も取ったがまだまだ最高戦力の座を明け渡すほど衰えちゃいない。そしてかつての上官への尊敬は薄れずに色濃く心に残っている。こうして彼が覚悟して受け入れた死を遠ざけてしまうほどに。
この島の事を知ったのは偶然だった。諜報能力に特化していた上官の部隊に居たからこそ知れたと言ってもいい。元々は政府と深い関わりを持つ実験施設であったらしいと耳にしたが、当時は適当に聞き流していたせいか詳しい内情までは記憶しなかった。そのせいで裏を取るために時間を無駄にしてしまったが、その後の教訓となったからよしとしよう。結果として様々な条件が重なり誰にも邪魔されないこの島はボルサリーノの策略にとって最適の場所というわけだ。
上官との別れは納得のいくものではなかった。最後に残された命令も素直に従うことはできなかった。あまり自分のことを語る人間ではなかったからか、ボルサリーノ自身が上官のことを何一つ知らないと気付いたのは彼が海軍を去った後だ。
「早く起こしてあげたいんですがねェ〜まァだ見つからんのですよォ……」
私はもうじき死ぬ。上官がそう告げて消えた理由を知ったのは半ば強引な方法だった。簡単なことだ。センゴクにしつこく詰め寄っただけ。最初は去っていった者の意思を尊重し口を閉ざしていたが、ボルサリーノの熱意に負け彼が抱えていた病についてまるで背負った重みを吐き出す様に語った。
両親を亡くした後に病気が発覚したこと。現代の医学では治療する術がないこと。若くしての死は避けられないこと。信頼できる後任がいるからこそ去っていく選択をしたこと。
『どうしてあの子が死ななければならない』
そして最後に我が子のことを想うようにしてそう呟ていたのを今でもはっきりと覚えている。
だからボルサリーノは決断した。上官が死んでしまう前に追いかけて、捕まえて、連れ戻すためにまず眠らせてしまおうと。計画性はない。短絡的な考えだった。とにかく自分の手元に戻ってきて欲しいという想いだけで計画を実行したのだ。マリンフォードを去った上官を見つけるのは簡単だった。彼の様子がおかしいと気付いた時に念のためビブルカードを作っていたからだ。眠らせるのには苦労した。病人だからといっても彼の強さは規格外だ。結局一度として上官から一本も取れなかったのだから勝てるはずもない。
『こんなのバレたら怒られるんじゃないっすか』
『知られなきゃ問題ないだろォ〜。クザンも墓場まで持っていきなァ』
『あららら……こりゃ厄介なことに首ツッコんじまったな』
仕上げにその能力を生かしてもらう予定だった期待の後輩の力を借りてようやくこの島へ運び、上官には長い長い眠りについてもらった。
つまりこの部屋が凍り付いているのは自然のしわざではなく、人工的に造らせたものというわけだ。上官が静かに眠っていられるようにこの島を選んで、扉には大切に鍵をかけて、いつの日かの時を待つ。まだ治療法は見つからず、世界政府お抱えの天才科学者に頼ることは少し憚られた。そこまで信用はしていない。今、唯一彼を助けることができる手があるとすれば医療に特化した悪魔の実だけだろう。だが、今その実を体に宿しているのは最悪の世代と呼ばれる海賊だ。あと何年待てばいいのか。
指先の感覚がなくなった頃合いで上官の頬に触れていた手を滑らせ唇に触れる。今すぐにでも起こしてしまいたい。この口でボルサリーノ、と名を呼んで欲しい。早く、早く自分の手元へ。そうしたら今度は同じ過ちは繰り返さない。追いかけることも、捕まえることも、連れ戻すようなことをしなくても済むようにずっと傍に置く。それがこの策略の最終目標。それが敬愛する上官へ向ける最大の想い。
「オォー……焦るのはァよくないねェ〜」
突き進んでいく思考の流れを止め名残惜しむように手を離したボルサリーノは暫く眠る上官を見下ろしてから背を向けた。歩く度に亀裂の生まれる氷に次はクザンも連れて来なければいけない、と少しずつ冷静さを取り戻す。もうすでに二十年以上も待っているのだ。これから先何年かかろうが想いは変わらずに待つことができる。そう確信できるほどに共に過ごした僅か数年は記憶に強く刻まれているのだった。
これより数年後、この施設を跡形もなく破壊してしまうほどの衝動を自分自身が受けることなどボルサリーノは想像にもしていなかった。