俺の命を救った男は優しい顔をしたイカれた野郎だ。
あの日、確かに俺は死んだはずだったのに、なぜか見知らぬ部屋で目が覚めた。
「君のことは知っているから無意味は質問はしないでくれよ?」
起きて早々そんなことを言われたが完全に頭の中はパニック状態で状況が理解できない。
ここはどこで、おまえは誰だ?
どうして俺は生きている?
なにが起こっている?
零は?
あいつはどうした? 無事なのか?
「理解力が乏しいのかな。俺は二度も忠告するほど君に興味はないよ」
次に目が覚めた時、男の姿は家中探しても見当たらなかった。
出て行こうにも傷はまだ安静が必要とする程ひどく、玄関は認証コードがなければ開かない仕様であったため出られない。
完全に軟禁状態だ。
窓の外を見てようやく把握できたのは場所は日本の都市部だということ。
今自分がいるのは高層ビルのかなり高い位置にある部屋だということ。
「別に出て行っても構わないが、君はもう死んだことになっている」
音もなく、気配もなく、背後に立っていた男の表情はまるで俺を安心させるような柔らかい笑顔だ。
「なんで……俺を、助けた」
「簡単なことさ。手駒はいくつあっても構わない。必要なくなれば捨てればいい」
その男の言動に、こいつは俺の味方じゃないと瞬時に判断できた。
「君が望むなら自由にしてあげてもいい。戸籍もパスポートも用意できる。だがその時点で、君は”君”ではなくなる」
だが”俺の”敵でもない。
「怪我が治るまで、ゆっくり悩むといいよ」
男が、俺の命を救ったこの男が、他の誰でもない”日本の”敵だと分かったのは、それから1年後のことだった。
手駒の一人が自分を警察に売った、とまるで日常会話の一部のような調子で言うものだから反応が遅れる。
「まぁでも仕方がない。彼はずっと苦しんでいたから、そろそろ解放させてあげるべきだな」
──正義の種を植え付けすぎてしまったな。
そんな男の言葉に記憶がフラッシュバックする。
組織に潜入する前の記憶だ。公安警察として捜査していた時の、懐かしい思い出。
『私に、正義というものを教えてくれた人がいるんですよ。正義の種を授けてくれたんです』
まさか。
そんなはずは……。彼は立派な警察官だったはずだ。
「そうだね、君が思い出している彼で正解だよ」
人懐っこく、正義に魂を燃やす、自慢の後輩だったはず。
「そう彼を教育して、警察に送り込んだのは俺なんだ。君の幼馴染でも見抜けない程だから彼は優秀だね」
──本当に残念だ。
その言葉が彼の裏切り行為に対してではなく、この世からさよならしてしまうことに対してだと数日後のニュースを見て知ることになる。
男は、逮捕されてからたった半年で何事もなかったかのように帰ってきた。
自分が自分でなくなることを拒み、彼の好意に甘える形で同棲を初めて2年。
同棲と言っても、男は一つの場所に留まることはなく数あるセーフハウスの一つがここらしい。
組織が日本で活発に動いているおかげで迂闊に外へは行けない。
だからと言って男の犯罪に手を貸しているつもりもない。
俺にはもう、男を止める権利も意義もないんだ。
「なんでだ! なんで俺を逮捕しに来ない!!」
俺をここに留まらせる理由に、この男が関係しているのは自分でも自覚していた。
「必要な情報は流してる……っくそ! 無能な警察どもめ!!」
普段の優しく、人を安心させるような表情を浮かべている男からは想像ができない有様だ。
「俺の邪魔をするなっ……、裕也の邪魔をするなっ!」
風見裕也。
公安警察時代にお世話になった先輩刑事。
「何が足りなかった? 俺はあと何をすればいい?」
男を理解する上で風見さんの存在は必要不可欠だ。
「おまえが俺の元へ辿り着くために、俺はなにをすればいい?」
今まで犯してきた罪をなんてことないように教えてくれた男の行動原理は全て風見さんのため。
あぁ、いや違うな。
風見さんのためと疑うことなく真っ直ぐに突き進むその本当の理由は自分のためだ。
「無能な虫が多すぎる……っ目障りだ!」
きっとこんな姿は誰も見たことがないのだろう。
男が得意とするのはマインドコントロールのはずだから、こんな姿はきっと見せない。
つまり、だ。
「裕也……早く俺を捕まえに来いよ……」
彼の本性を知るのは、俺だけ。
「邪魔な虫けらは全部俺が消してやるから……さっさと俺を、殺しに来い」
風見さんでさえ知ることができない彼の本性を知るのは、この世で俺一人。
そんな優越感に、俺はハマってしまった。
「俺を使えば、うまく風見さんを誘いこめると思うけど」
「君は使わない。君は手駒であって手駒じゃないんだ」
彼の思考を完全に理解するのは難しい。
よく分からないがなぜか俺を特別視してくれている。
その逆もありえる。俺に興味がない。十分に考えられることだ。
「なら、なんで俺を傍に置くんだ?」
必要ないなら捨てる。感情もなく、最初からなかったかのように捨てる。
彼はそういう人間だ。
「面白いことを聞くね」
ぐっと首を掴まれ無理矢理に引き寄せられた。
「俺が君を傍に置いているんじゃない」
耳元で、優しい声が響く。
「君が、俺の傍にいたいのだろう」
いつからだ? ──きっと最初からだ。
俺の体には、もう彼の毒がたっぷりと染み込んでいるんだ。
「あなたが一人にならないように、一緒にいるよ」
じわじわと、ゆっくりと、足の先から頭のてっぺんまで、侵食していた。
「俺は一人じゃないから結構だ」
寂しい人だな。
「俺には裕也がいる」
悲しい人だな。
「裕也しか、いらない」
可哀想な人だな。
風見さんは、あなたのことなんてこれっぽっちも見てはいないのに。
警察は彼に踊らされ、犠牲を払い、地の果てまで彼を追う。
だが彼は、風見裕也という一人の男に、踊らされているのだ。