穏やかな優しい笑みを浮かべているが、その瞳は冷たく氷のようで思わず身を震わせる。
「君はお呼びじゃないんだよ、探偵くん」
危険な男だ、と理解した時にはもう遅かった。
ここ数日で不可解な事件が続いたが、その不可解さに気づいたのは果たしてどれほどいるだろうか。
犯行の手口はあまりにも鮮やかで完璧であるはずなのに、わずかに綻びがあった。
しかしその綻びでさえも計算されたかのように上手く誤魔化されていた。
全ての事件に関われた自分だから気付けたのかもしれない。
「まずはここに辿り着けたことを素直に褒めるべきだね。おめでとう。君はすごいね」
それはまるで子を褒める親のように、教え子を褒める教師のように、純粋な言葉であった。
もし出会い方が違えばこの男を”いい人”だと認識するだろう。
「でも本来は君をここに導くためにバラまいた情報ではないんだ」
もし時間を遡ることができたなら、最初の不可解に気づいた時点で相談すべきだったかもしれない。
「これは俺の誤算だった。反省しよう」
組織が絡んでいないからと言って他に凶悪犯がいないなんてことはないのに。
素性を隠し影から大事なものを守る人達に、手を貸してもらうこともできたかもしれない。
「だから君がここにいたところで意味なんてないんだよ」
この男は、組織の連中と同じくらい危険な人間だ。
「君がいくら真実を暴こうが、俺にとっては至極どうでもいいことだ」
男はただそこに立っているだけのはずなのに、武器もなにもその手には持っていないはずなのに、なにもさせてもらえない。
時計型麻酔銃もある、サッカーボールも残ってる、しかし動けない。
圧迫されるような雰囲気もない。
ただその冷たい瞳に射抜かれているだけで、地に足が縫い付けられたように動かすことができなかった。
「おじさんは……」
知らずのうちに緊張していたのか口の中が乾いている。
「おじさんは……どうして人を殺すの?」
驚いたように目を瞬かせた男が次第に笑いを堪えるように視線を逸らした。
愉快犯なのだろうか。
人が死んでいるのに、なぜ笑っていられるのだろう。
「ここへ来れたご褒美に俺のことを少しだけ教えてあげるよ」
窓辺に足を進める男は何かを探すように外の風景を見渡した。
「俺はね……一度足りともこの手を紅く染めたことはないんだよ」
視線を逸らされても尚、体は緊張から解き放たれない。
「一番最初は君くらいの年の頃だったかな」
──この世界で生きていくことが辛くなった普通のサラリーマンだったよ。
本当に辛そうな顔をしていたんだ。それがあまりにも可哀想で、早く解放してあげたかった。
だからそっと背中を押してあげたんだ。「大丈夫だよ」「心配することはなにもないよ」って。
安心したんだろうね。彼は躊躇なく線路に飛び込んだよ。
今回君が追った事件についても同じさ。彼らの行動に意味を与えただけなんだ。
「でも、犯した罪の責任は取らなければいけない」
男は眉を寄せてポケットから携帯を取り出しこちらに向かって投げてきた。
慌てて受け取った携帯の画面にはシグナルを受信する数値が映されていて、途切れ途切れに音が聞こえてくる。
『──っ──、──、容疑者が──』
次第に聞き取りやすくなってきたそれが、警察の無線を傍受しているのだと気付いた。
「罪から逃れることはできない。ただ一つの方法を除いては」
『──容疑者──、移送中に自殺──』
繰り返される声に耳を傾けながら窓際に立つ男を見つめる。
そしてゆっくりとこちらを向いた男と目が合った。
「自らが手を下していないからと言って、俺は自分を無実だとは思わない」
その目はあまりにも優しく、そして冷たい。
「君に言われるまでもなく、俺は大罪人だよ」
一歩ずつ静かに近づいてきた男に握っていた携帯をスルリと抜き取られた。
「だからここでこうして待っているんだ」
「待ってるって……なにを?」
目線を合わせるように身を屈めた男が目を細めて微笑んだ。
「正義の味方」
それはつまり警察のことだろう。
この男は捕まる気でいるのか?なぜ?
「あんたは……」
理解できない。
自らは行動を起こさず、他人の命を捨て、逃げることもしない。
「人の命をなんだと思ってるんだ……っ!」
動機が分からない。
「理解しなければ気が済まない?探偵の性というやつかな?」
この男が分からない。
「君に理解されたところでなにも変わらない。意味がない。必要じゃない」
知りたいという欲求も湧かない。
だが、放っておいてはいけないと頭の中で警報が鳴るばかりだ。
「言っただろう? 君はお呼びじゃないって」
立ち上がった男の視線から解放され、いつの間にか忘れていた呼吸を思い出す。
捕まえる権利も拘束する術も持たない今の自分に何が出来る?
やはり相談すべきだった。
いや、今からでも遅くはない。
「俺は探偵というのがあまり好きではないんだよ」
警察に捕まることが男の目的であるのなら、あの人に協力を仰ぐべきだ。
「真実を追い求めるために”正義”を利用しているだけだろう?」
きっとあの人なら手を貸してくれる。
「俺の望む”正義”を汚さないでくれ」
急に、男の雰囲気が変わった。
「俺の”正義”はただ一人」
窓の外を眺めていた男の目が柔らかく細められた。
その表情は愛しい者を想う時のように優しく、眼差しは安心感を与えるほど温かい。
本当にさっきと同じ人間なのか?
だって、今の彼からは全く危険な気配も匂いもないのだ。
「あぁ……やっと来てくれたね、裕也」
たった一人を愛する、ただの男だ。