子供連れの家族で賑わう公園のベンチにその人はいた。
「あぁ、また君か」
本を片手にベンチに座るその人を見つけたのは偶然ではない。
ニュースではここ数日で起こっている連続怪死事件について報道され、犯人は先ほど逮捕されたばかりだ。
探偵としての直感、だろうか。
この人がまた関わっているのだと、そう告げていた。
改めて全ての事件を洗い直しまたもや巧妙に仕掛けられていたヒントを辿ってここに来たということだ。
「高校生探偵、と聞いていたわりには君は随分と、小さいな」
本を閉じ、組んでいた足を正した男の言葉に目を見開いた。
言葉を失っている俺に小さく笑った男は自然な流れで手を掴んでくる。
「なにを驚くことがある?」
引かれる手に身を任せれば子供のように抱えられ、男の膝の上に乗せられた。
──しまった! 逃げられない!
「俺はね、知りたいと思ったことはなんでも知っているんだ」
この男と会ったのはたった一度だ。
再び開いた本を見下ろせばどうやらそれは医学書のようだった。
「科学的な話をすれば簡単なことだ。君は俺の携帯に触れただろう?」
側から見れば親子か兄弟のように見えるだろうか。
「普通ならたかが小学生なんて放っておくだろうけど、普通じゃないんだよ」
それはそうだろう。
本来であれば高校生である俺が小学生の姿になっているのだから。
この男の膝の上に座ることだって屈辱だ。
「あぁ、君のことじゃない」
優しく頭に乗せられた手に身が強張る。
「普通じゃないのはもちろん俺だ」
人を安心させるように撫でるその手に背筋が凍る。
恐怖心だ。
「君は、俺のことを精神的な疾患のある異常者だと思っているだろう?正解だ。俺は正常ではないよ」
威圧感のない、恐怖。
「だが疾患があるかどうかと聞かれれば答えはNOだ」
おかしな表現だが、まるで暖かく包み込むような、そんな恐ろしさをこの男から感じる。
「俺の脳は極めて普通に機能しているし、精神的な欠落もない」
通り過ぎていく人々から「仲の良い兄弟ね」なんて声が聞こえた。
冗談じゃない。
「サイコパスと呼ばれる人々も俺の理論で言えば正常な人間である」
その言葉は今目の前にある医学書に記されている論文を否定していた。
この本を読んでいるからそんな話をするのか。
「だってそうだろ? 生まれながらにして持ち得なかった、欠落した状態が当たり前の人間として生まれた者を異常者とは言えまい」
それとも、この話をするために医学書を読んでいたのか。
「正常であるが故に、正常に動くのは至極当然のことだ」
最初から俺がここに来ることを、この男は解っていた?
俺が事件を説くことも、犯人のその先にいるこの男に辿り着くことも、ここへ来ることも全て解っていた上で泳がせていた?
「人を殺めても何も感じないのか。感じないんだよ。感じる心がないから」
犯罪心理を学んだところでこの男の心情を、果たして読み解ける人間がいるのだろうか。
「持って生まれた人間には分からないんだよ。最初からないものを、どう理解すればいいのか、それは持たざる者にしか解らない」
ふと、頭から重さがなくなり医学書のページが捲られていく。
「本能のままに生きることは、異常なことではないだろう?」
全ページが英語で書かれているその医学書はどうやら心理学に関するもののようだ。
「では異常とは何か」
パタン、と本が閉じられた。
広がった視界に映るのは幸せそうに笑う家族や、走り回る子供達。
平和な日常の風景だ。
「俺は人の痛みが分かる。共感する心がある。悲しむことも喜ぶこともできる」
ならばなぜ、悲惨な事件を起こすことができるのか。
「誰かを愛することだってできる」
ならばなぜ、愛する人を苦しめることができるのか。
「人を死へ追い詰めるのは悪いことだとちゃんと認識している。罪を背負って生きる覚悟もあるし、相応の償いも受け入れよう」
なぜ…そんなにも優しく微笑むことができるのか。
「ほら、俺は正常だろう」
膝の上から降ろされ男は立ち上がった。
「だからこそ異常なのだよ。工藤新一くん」
差し出された本を見つめる。
英題の下にある名前に著者は日本人であることが分かった。
「理解できないかな? それでいい。それが正しい」
男を理解することを諦めたわけじゃない。
全てを暴いてやるという気持ちはまだ、ある。
ただ、理解するのが怖い。
「もし理解できたなら君は俺と同じだな」
手離された本は地面に落ちる前になんとか受け止めた。
「無理かもしれないけど俺を追うのはやめたほうがいい」
膝を折り、目線を合わせるようにしゃがむ男はやはり穏やかな表情をしていて、底が知れない。
「君は真実を暴けるけど、俺を捕まえることはできないだろう。そんな力、君にはないのだから」
伸ばされた手に一歩足が引く。だが逃げない。
「俺にとって真実なんてどうでもいいのさ。重要なのは俺があいつに捕まること」
またしても頭を撫でられた。
優しく、人を傷つけることを知らないような柔らかい感触。
「君と鬼ごっこをしていても意味なんてないんだよ」
そっと離された手に安堵感がこみ上げる。
男は立ち上がり、腕につけているシンプルな腕時計に視線を落とした。
「そろそろ時間だ。君も、命が大切なら早くここから離れた方がいい」
「っ何かしたの?」
「何も。俺は何もしてないよ」
本を抱えた俺の横を男が通り過ぎていく。
また、逃がしてしまうのか。
「ただ、新しいゲームを始めようとしているだけさ」
心臓を狙う赤い光に足は縫い付けられ、追うことを許されない。