日報をまとめた分厚いファイルを両手で抱えた佐藤は一人会議室へと向かっていた。本当なら足を使って聞き込み調査を行いたい気持ちが強かったが、捜査一課に配属中だった松田と組んでいたのは彼女だったため当時のことを思い出すよう目暮から指示があったのだ。
会議室へと入り持っていたファイルをテーブルに置こうとした佐藤だったが、すぐに体を反転させて閉めたばかりのドアの前で腰を落とした。するとドアがゆっくりと開けられていく。背伸びをしてドアノブを掴んでいる少年は同じ目線にいる刑事に驚いた様子だ。佐藤にしてみれば現場にこの小さな探偵──コナンがいた時点で凡そ予想はできていた。おそらくエントランスで警部たちと事件について話していたのも盗み聞きしていたのだろう、と。聞かなくても解っていたことだが改めて問い質せば苦笑いを返された。こうなってしまっては仕方がない。佐藤はやれやれといった表情を浮かべて会議室に少年を迎え入れた。
「こんな物見なくてもアイツとの一週間はよく覚えてる」
テーブルにファイルを置いてそう言った佐藤は後ろに立つコナンを振り返る。それから少しだけ困ったような笑みを浮かべて「高木くんには内緒よ」と言葉を続けた。三年前の、それもたった一週間の出来事を今でも忘れずに覚えている。それほどまでに彼女にとってその男は記憶に強く残る存在だった。
「すごい刑事さんだったんでしょ? 松田刑事って」
「えぇ。態度がでかくて、口が悪くて」
「なんだか名前さんに似てるね」
「そうね。彼、松田くんをとても慕っていたみたいだから。でも……」
そこで言葉を詰まらせて表情を曇らせる佐藤を見上げたコナンは以前起こった爆破事件を思い出す。三年前に松田が殉職してしまった事件の犯人が再び起こした出来事のことを。それに関わったことで元爆発物処理班だった刑事のことを知った。しかしコナンが知っているのは爆破事件に関連することだけである。名前との関係性だって本人に聞いたわけでもなく、佐藤から多少耳にした程度だ。なにより、今回の事件の謎を解くには松田のことを知らなければならない。
「もしよかったらボクに教えてくれない? 松田刑事のこと」
心の奥底にまでその存在が残るほどの人を亡くした記憶を思い出すのはつらいことだろうと解っていてもコナンは聞くことを選んだ。哀や小五郎に被害が及び蘭に不安な想いをさせたこの事件を解決するために。驚きと困惑が入り交じり目を瞬かせる佐藤を見つめながら言葉を続けた。
「話してるうちに何か思い出すかもしれないでしょ?」
「そう……そうね」
だからと言ってコナンは強要しようと思っているわけではない。寄り添うように優しい微笑みを向ければ佐藤の表情も少し和らいだ。二人はテーブルを挟むようにしてパイプ椅子へと座ると日報のファイルを開く。そして松田が捜査一課に配属されてからの一週間が語られ始めた。
松田が捜査一課に配属されたのは三年前の十一月一日。今回彼のことについて調べるきっかけとなった名刺を本人に渡せたのが四日。つまり被害者の外国人男性に名刺を渡せる機会があったのは、四日から松田が殉職した七日の四日間だけとなる。佐藤の話では四日は一日内勤、五日は護送任務で該当する人物との接触はなし。連続爆破犯を追跡していた七日も同様に外国人男性と接触するタイミングはなかった。そうなると残された日付は十一月六日だけとなる。
日報に書かれた文字を目で追いながら話を聞いていたコナンはここで一つの疑問を抱いた。
「勤務が終わってから誰かに渡した可能性もあるよね?」
その質問に眉を寄せた佐藤は椅子の背もたれに体を預けた。その可能性があったなら今ここで過去の記録を見ながら手掛かりを探してはいないからだ。
「アイツ、うちの課に来てから一週間、寮に帰らないで庁内に泊まり込んでいたのよ」
今思えば連続爆破事件について調べていたのかもしれない、と当時のことを振り返りながら並べた椅子の上で毛布を被って寝ている松田の姿を思い浮かべる。そこでふとあることを思い出した。
「そういえば六日の夜だけアパートに帰っていたわね。会っておかないと後悔するからって。翌日の出勤が早かったから忘れていたわ」
「じゃあその時に?」
「ううん。アイツがあの日帰ったのは名前くんがいるから。松田くんと一緒に住んでいたの」
「え……」
二人に繋がりがあると気付いてはいたが同居していたとは予想だにしていなかったコナンは驚き、それから納得した。
「……だから名前さんは爆弾の知識が豊富なんだね」
「えぇ。まったく、子供になに教えてるのかしらね」
呆れた表情をした佐藤は仕切り直すように姿勢を正し、十一月六日の出来事を話し始めた。
午前中だけで強盗犯の確保、暴走するバスの制御、飛び降り志願者の制止を行ったがそれらは特別な事ではないとのこと。米花町では日々多くの事件が発生しているのは知っている。それでも、これまで様々な事件に関わってきたコナンでさえも客観的に聞かされると思わず気が引いてしまうほどの数だった。
そんなコナンの引き攣った表情に気付かないまま佐藤は日報に記載されている文字を指で追いながら続ける。
午後には殺人事件が発生し松田とともにその犯人の追跡と聞き込み。その事件の聴取を米花警察署で行い、終わったのは午後三時頃。話していくうちに佐藤は当時のことを鮮明に思い出しつつあった。そこでコナンから聴取は一緒に受けたのかと尋ねられハッとする。あの時、二人は別々に聴取を受けていたのだ。だから午後三時頃に終わったのは自分のみで、警察署の駐車場の車に松田が戻ってきたのはそれよりももっと後のことだった。正確には午後六時過ぎだったのを記憶している。
と、そこで過去の記憶を探っていた佐藤は車に戻ってきた松田のスーツのポケットから何かが飛び出していたのを思い出した。あれは、と漏れた声にコナンが反応する。
「どうしたの?」
「今思い出したんだけど、松田くんポケットに数珠を入れていたのよ」
「数珠……」
それを聞いて考えるように顔を俯けたコナンは重要ではないだろうと頭の隅に置いていた情報を引き戻した。話の中で松田は送信しても受け取ってもらえないメールを打っていたと言っていた。その相手は親友で、彼が殉職する四年前にすでに亡くなっていると。その人物と数珠を持っていた理由は繋がっているのではないだろうか。
思案するコナンの背後、会議室のドアの曇りガラスの奥で通り過ぎていく人影の中の一つが立ち止まった。
「さっき言ってた、松田刑事がメールを打っていた人って?」
「多分彼と同期で爆発物処理班に所属していた萩原研二隊員。今から七年前、爆弾解体中に殉職したらしいの」
「その人の命日って」
そう訊かれた佐藤の脳裏には一瞬で過去の事件の日付が呼び起こされる。それは暗闇の中に一筋の光が差し込んだようなものだった。
「アイツと同じ、十一月七日だわ!」
「松田さんと同じ十一月七日だ」
認識していない誰かの声が重なった。驚いた二人の視線が声の聞こえた出入口のドアへと向けられる。いつの間にか開いていたドアのノブを掴んで立っていたのは名前だった。
事件解決の協力を申し出た名前は、一度子供たちを阿笠邸まで送り届けてから再び警視庁へと戻ってきていた。スムーズに会議室まで入ることができたのは事前に佐藤が話を通しておいたおかげだ。胸元には入館証の札がしっかりとつけられている。会議室に入り後ろ手でドアを閉めた名前は手前の椅子に座っているコナンに一度呆れた視線を向けてから言葉を続けた。
「あの人は、毎年必ず萩原さんの命日の前日に墓参りに行ってた」
「それって命日の七日は連続爆弾犯が連絡をしてくる日で、松田刑事はその連絡が来るまでずっと本庁に詰めてたから、だよね」
「そうだ」
それを聞いた瞬間立ち上がった佐藤はテーブルを避けてドアの前に立つ名前に詰め寄るように近づいた。その迫力に名前の足が思わず一歩下がる。
「萩原さんのお墓がどこにあるか知ってる!?」
「あ、うん、何度か行ったことあるけど。渋谷近くの──」
「一緒に来てちょうだい!」
言葉を遮られた上に返事をする暇も与えられないまま手首を掴まれた。先ほど閉めたばかりのドアを開けた佐藤に手を引かれ警視庁の廊下を駆け足で走る。ちらりと後ろを振り返ばコナンがついてくる様子はなく、代わりに高木が後を追ってきていた。
僅かに見えた解決への糸口を掴むために必死の佐藤を宥めて運転役を買って出た高木の運転で渋谷にある月参寺へと向かっていた。車内では会議室にいなかった二人に向けて、三年前の一週間の出来事が簡潔に伝えられていた。後部座席に座っている名前は話を聞きながらドア窓に頭を預けて目を閉じ記憶を探る。捜査一課に配属された当時の松田がビールを片手に愚痴を吐いていたことを思い出し口元が少し緩んだ。それから少しして瞼をゆっくりと開けた。
「松田さんなら六日以外にも何日か帰ってきてたよ」
「え、そうだったの」
「あーでもいつも遅い時間だったし家を出るのも早朝だったから、何かがあるなら六日で間違いないと思う」
「そう。貴方がいてくれて助かったわ。私だけじゃ仕事上のことしか判らないから」
そう話しているうちに外の風景は人の往来の多い渋谷とは思えないほど緑豊かなものに変わっていた。
月参寺の敷地内にある墓地はそこまで広くはないため案内が必要なほどでもなかった。萩原の墓にはすぐに辿り着くことができ、佐藤は高木を伴いさっそく住職に聞き込みを開始している。彼女らの邪魔にならないよう少し離れたところに立った名前は墓地をゆっくりと見渡した。
ここに足を踏み入れるのは三年振りとなる。元々萩原とはそこまで交流があったわけではなく、数回訪れた墓参りは全て松田に連れられてのことだった。だから三年前のあの日からは来ることもなくなった。過去に名前がここへ来たのはどれも十一月六日以外の日だ。その日は警察学校時代の友人との約束があるからと留守番を言い渡されたことを思い出した。
静かな墓地の風に流される葉っぱの擦れる音に混じってヒールの歩く音が近づいてくる。それはどこか急いでいるような歩幅に感じた。どうやら住職への聞き込みが終わったのだろうと振り返ると佐藤がツカツカと歩み寄ってくる。名前はさっきも同じような光景を見たばかりだなと思わず身構えた。
「ねぇ名前くん。フルヤって名前に聞き覚えはないかしら」
「……は?」
しかし予想外の人物の名前が佐藤の口から発せられ、戸惑いの感情を隠すことができなかった。どうして今ここでその名前が出てくるのか理解することができない。松田の過去を追い、萩原の墓で次の情報を求め、なぜそこに降谷が関係してくるのか。名前にはその繋がりが解らなかった。
だがそれは名前にしかない戸惑いだ。佐藤にとってみれば突然の問いかけに困ったようにしか見えなかった。焦る心を落ち着かせるように息を小さく吐くと、先ほど住職から聞き取りをしたときに書いたメモに視線を落とす。
「松田くんは、あの日一人でここへ来たわけじゃなかったのよ」
「俺もさっき思い出したけど警察学校時代のダチと一緒だったって」
「えぇ、そうみたい。三年前までは松田くんを含めて同期四人で来ていたようだけど、去年は一人だったそうよ」
「それが、フルヤって人?」
頷く佐藤から視線を外し、思案するように顔を少しだけ俯けた。松田と歳が近く警察関係者でフルヤという名前を聞いて名前の中で該当する人物はただ一人だけ。器用にも三つの顔を使い分けている男。名を偽って探偵業を営み、その裏では組織に潜入する公安警察官だ。けれども松田からその名前を聞いた記憶はなかった。もし一度でも耳にしていれば、安室の正体を知った時点で思い出していたはずだ。
顔を上げた名前は期待の眼差しを向ける佐藤に対して首を横に振った。
「残念だけど、松田さんからは聞いたことないや」
「そう……」
次へと繋がる情報が途切れてしまい眉尻を下げる佐藤の様子に名前は居心地の悪さを感じた。もし松田の同期が自分の知る降谷であっても、それを彼女に伝えることは決してできない。知ってしまえば優秀な刑事であるからいずれ組織の存在に辿り着いてしまう。そんなことは絶対にさせられない。させてはいけない。他人の秘密というのは抱えたくないものだ。力になりたくてもなれないもどかしさに自分の無力さを自覚させられる。
その後、警視庁に戻ってきた名前は警察学校卒業生の名簿を調べてくると言った佐藤たちと別れて一人会議室へと向かっていた。再度渡された入館証を胸元に着けながら歩いていると、廊下の先を横切る見慣れた松葉色のスーツを着た男が視界に入った。ただそれだけなら気にすることも、こうして追いかけることもしないだろう。ここは警視庁で、男の勤務先だ。廊下を曲がり追いついた男の腕を掴むと振り返った相手は険しい顔つきから驚きの色に変わる。
「っ、どうして君がここにいる」
「何その怪我」
「訊いているのは私のほうだ」
松葉色のスーツを着た男──風見の頭には包帯が巻かれ、顔中には絆創膏が貼られている。ここが職場だからか、それとも仕事中だからか、取り乱すこともなく眼鏡の奥から鋭い視線を向けてくる相手に名前は眉を寄せた。もとより今この場で詳しい事情を聞けるとは思っていない。だが、はぐらかされるのは気分が良いものではなかった。
「昼頃に警視庁前で起きた事件について捜査一課に協力してる。それでそっちは」
「大した怪我ではないから君は心配しなくても……待て、捜査一課に協力していると言ったか?」
だから正直にこの場にいる理由を明かした。特別隠すような事情でもない。咀嚼するように返された言葉にだって素直に頷いた。
しかし警察でもない一般人の名前が今回の事件に関わっていると知った風見は隠すことなく苦い表情を浮かべた。周囲を注意深く見渡し人がいないことを確認した上で、廊下の壁に出っ張っている柱の陰に隠すように名前の体を押し付けた。そして耳元に顔を近づけ、声を抑えながら言葉を続ける。
「何があっても彼らに降谷さんのことは決して言わないように」
「言わねぇよ。事情を知らねぇわけじゃないし」
「それからこの件は君が思っている以上に危険だ。関わらないでくれ」
それだけを言うと風見は背を向けて足早に去っていった。その姿を目で追うこともなく斜めになってしまった入館証を留め直した名前は来た道を戻る。結局怪我を負っていた理由は分からないままだった。詰め寄ったところで本当のことは言わないだろうけど、と自嘲気味に小さく笑う。
会議室には月参寺にはついて行かなかったコナンが一人、捜査資料のファイルを見ていた。三年前の十一月六日に発生した事件の中に今回の事件と関係のありそうなものは見つからない。そこでスマホを取り出して何かめぼしい出来事はなかったかと検索してみる。そこで会議室のドアが開き名前が入ってきた。ポケットに手を入れたまま空いた椅子に深く腰掛けた彼は背もたれに寄りかかりながら片足を組んだ。
「どうだった?」
対面に座っているコナンはスマホの画面をスワイプさせながら問いかけた。すぐに返答はなく暫し沈黙が続く。何も収穫はなかったのだろうかと考えたが、それならそれで何もなかったと言えばいいだけのこと。不思議に思い顔を上げれば、名前の表情はなんとも複雑そうであった。彼が話し出すのを静かに待っていると短く息が吐かれる。
「あの日、松田さんは警察学校時代の同期と一緒に萩原さんの墓参りに行ってた。そのうちの一人にフルヤって奴がいたらしい」
「え……じゃあ、」
「でも俺は松田さんからあいつの名前を聞いたことがねぇんだ」
確信を持った声の強さだったがその表情には迷いがあった。名前にはここへ来る途中に交わした風見とのやり取りが、まるで今回の事件には降谷が関わっていると言われたようにしか思えなかったのだ。つまりそれは松田の同期が己の知る降谷であることを意味していた。
「名前さんが自分から進んで事件に関わるのって──」
──やっぱり松田刑事が絡んでるから? そう続くはずだったコナンの声は会議室のドアが開けられたことで遮られた。
ひょっこりと顔を覗かせた千葉は、手前に座っているコナンに気付くと「まだいたの!?」と驚きながらも呆れた様子を見せる。それから名前に視線をやり、捜査一課が捜査の中止を受けたことと佐藤たちが戻ってくるには暫くかかりそうだと伝えた。
ドアが閉まり再び会議室には静かな時間が流れた。残された二人は顔を見合わせる。
「あー……オレ病院に行っておっちゃんの様子見てくるよ」
「おう。俺も後で行くから毛利に言っといてくれ」
「わかった」
名前にはコナンが言わんとしていることを察することができたが敢えてそれには触れず見送った。探偵を自負する少年の言葉を聞いてしまえば疑念は確信に変わるだろう。もう既に自分でも気付いているというのになかなか認めることができない。認めてしまえば、自分は松田を知らなかったことになってしまう。とんだ勘違い野郎だと。
手持ち無沙汰になった名前は広げられた資料ファイルを捲っていく。だがすぐに分厚いファイルを閉じてテーブルの端に追いやった。この資料に目を通していたはずのコナンが何も言わなかったことを振り返り、おそらく手掛かりはなかったのだろうと思ったからだ。ポケットからいつも持ち歩いているジッポーライターを取り出して、シルバーの表面を親指で撫でる。そこに刻まれた名前は擦り減り一部は潰れてしまっている。所詮は子供の小遣いで買った安物のライターのせいか劣化するのも早い。
────なかなか手応えのある獲物だったぜ。ま、俺にかかれば朝飯前だがよ。
ふと、懐かしい声が脳裏に響いた。次いで口角を吊り上げて自信たっぷりの笑みを浮かべる松田の表情が思い起こされる。それを聞いたのは、見たのは、いつだっただろうか。ライターの蓋を開け閉めしながら記憶を探っていく。得意気な顔をして時々器用に指先でペンを回しながら紙に何かを書いて語っていた。トラップが多いから気をつけろと注意深く教えられた。最後に「ハギのおかげで助かったぜ」と笑っていた。そう、あれは爆弾の解体方法だ。
パチン、とライターの蓋が閉まると同時に会議室のドアが開かれ落胆の表情を浮かべる佐藤が入ってきた。
「千葉刑事から捜査が中止になったって聞いたけど」
「えぇ、そうなのよ。せっかく協力してくれたのにごめんなさいね」
しかしその瞳にはまだ諦めの色がないことに名前は気付いた。ライターをポケットに仕舞い、分厚いファイルを重ねて持ち運ぼうとする佐藤の手元から半分ほど奪い自分の腕に抱える。平気だと言われる前に会議室を出れば、困ったように笑う佐藤が残りのファイルを抱えて出てくる。
並んで廊下を歩きながらどこへ運ぶのかを問えば捜査一課の自分のデスクだと言われた。やはり一人でも捜査を続けるつもりなのだ。そんな彼女のために名前はなにか少しでも力になりたかった。
「俺、思い出したことがあるんだ」
「なにかしら」
「十一月六日の夜に松田さんから爆弾の解体方法を教えてもらってた」
「アイツ、爆弾解体以外で貴方に教えたものがあったのかしら」
呆れたようにジト目になる佐藤を横目に名前は苦笑する。あの頃は不思議に思わなかったが、今考えると子供に何を教えているんだと確かに呆れてしまう教育だ。
「それで、爆弾関係の事件や事故がその日に起こったりしてねぇかなって」
「わかったわ。調べてみる」
そうして歩いているとちょうど会議室へ向かおうとしていた高木が反対方向からやってきた。捜査が中止になった以上、協力者としてこの場にいるのは少々面倒なことになるからと名前は持っていたファイルを彼に押し付ける。なにか判ったら連絡してと佐藤に伝えて警視庁を後にした。
日比谷救急病院の駐車場にバイクを停め、フルフェイスのヘルメットを脇に抱えながら自動ドアを潜る。受付で搬送された毛利小五郎の病室を尋ねて向かおうとした途中、病院内の喫茶店に見知った後ろ姿があった。名前は迷うことなく歩む方向を変えて喫茶店の扉を開けた。
「名前さん」
「よぉ」
近寄る足音にいち早く気が付いたのはコナンだった。その隣には蘭が、テーブルを挟んだ反対側には見知らぬ男女が座っている。蘭から軽く紹介を受けるが挨拶もそこそこに名前は本題へと入った。
「おっさんの容態はどうだ?」
「頭を強く打ったみたいで、明日別の病院で詳しい検査を受けることになりました。今は病室で眠ってます」
「そうか。ひとまず無事でよかったな。まだ安心はできねぇけど」
「そうですね……。名前さんは怪我とか大丈夫でしたか?」
「俺は平気だ。掠り傷程度だよ」
一度阿笠邸へと帰った際に消毒し、念のためにと首の後ろに貼られた絆創膏を撫でながら大した怪我はないことを伝えると蘭は安心したように胸を撫でおろした。事故が起こってから小五郎に付き添っていたため、爆発に巻き込まれた哀や名前のその後の様子をずっと気にしていたようだ。
「立ち話もなんですから座っていただいたらどうかしら」
「あ、すみません、私ったら気が付かなくって」
クリスティーヌと名乗った女性の提案に蘭が慌てて周りを見渡した。その様子にこのままでは空いている椅子を引っ張ってきそうだと思った名前は必要ないと手で制す。元々長居をするつもりはなかった。
「おっさんの様子を聞きに来ただけだから俺はもう行くよ」
「わざわざありがとうございました」
「あ、ねぇ名前さん。これからまた警視庁に戻るの?」
「いや、今日はもう帰る。バイトも入ってるし」
捜査が中止になったことはコナンも知っている。その上で警視庁に戻るのかを確認したのは捜査一課がまだ捜査を続けているのかどうかを確かめるためだった。警察関係者ではない名前がいなくても捜査は続けられるが今回は松田という男が絡んでいる。そのせいか佐藤には彼の協力が必要だ。
「彼も爆発に巻き込まれたのかい?」
「はい。落とし物を拾った子供のすぐ近くにいたので──」
蘭たちの会話に耳を傾けながらコナンは喫茶店を出ていく背中を見つめていた。
病院を出てバイクを停めている駐車場へ歩いているとポケットの中でスマホが震える。長く続くバイブレーションに電話だと気付いて画面を確認すると佐藤からの着信であった。おそらく頼んでいた調べ物についてだろうと電話に出るとその予想は当たっていた。
『調べてみたんだけど、それらしいものは見つからなかったわ』
「そっか。松田さんのことでまた何か思い出したら連絡するよ。だから、佐藤さんも無理はしないで」
『……ありがとう、名前くん』
電話を切り、デジタル時計が表示された画面を睨みつけるように見つめる。風見の言動からして捜査一課の捜査を中止させたのは公安だろう。そして三年前に起きた"なにか"も公安によって情報が伏せられている。その件にも降谷が関わっていたから。だから情報が遮断され捜査資料の中から手掛かりを見つけることができなかった。
松田と降谷は警察学校時代の同期で友人。それは名前の知らない真実。
そういえば、と松田が友人について話す時のことを思い出す。彼はいつも友人をあだ名で呼んでいた。ハギ、班長、ゼロ、ヒロ。きっと月参寺の和尚が言っていた同期はその人たちのことだろう。人数も合っている。スマホに表示されたデジタル時計が一分進み数字の零が二つ並んだ。
「────ゼロ?」
呟いた瞬間、脳裏にコナンと交わした会話の断片が駆け巡る。
──安室さんの子供の頃のあだ名らしいよ。
──赤井さんに調べてもらったんだ。安室さんは公安警察の降谷零だってね。
──警察庁公安には俗称があるんだ。
それは全て安室透について話していたものばかり。名前は知らなかったのではなかった。気付かないだけだった。友人の降谷が公安警察だと知っていたから松田は名前を口にしなかったのだ。答えはちゃんと自分の記憶の中にあった。
ふっと表情筋が緩んだ瞬間、鋭い視線を感じて振り返る。だがそこには誰もいなかった。