『女子高生を中心に人気の純情系爽やか俳優苗字名前に熱愛発覚!?』
という見出しで世間が騒ぎ始めたのは先日発売されたばかりの週刊冬文が原因だった。芸能界でゴシップは付き物だ。今回標的にされた苗字名前は子役上がりの実力派俳優で今までスキャンダルは一度もなく、バラエティなどで見せる裏表のない素直な性格と少々天然の入ったところが世間の女性達から人気を集めていた。
そんな俳優の一大スキャンダルに各報道番組は我先にとあることないことを絡めて放送し、それを見た視聴者がSNSで盛り上がっている。主演していたドラマの続編からは降板されるのでは? と噂まで広がる始末だったが、事は冬文が思っていた通りには進まなかった。
「恥ずかしながら暴露しちゃいますけど、あれ、マネージャーさんなんですよ。かっこいいでしょ? 僕のマネージャー」
とあるPRイベント後の名前を捕まえた報道陣が例の熱愛報道について聞くと、彼は焦りも戸惑いもなく恥ずかしそうに頬を少し染めながら困ったように笑った。まさか一緒に写っていた写真の相手をあっさりと明かされてしまうとは思ってもみなかった報道陣は、もっと情報をとマイクを近づける。
「ということは熱愛のお相手はマネージャーさんですか?」
「え? あー! 違います違います! あれはお手伝いをしてもらっていただけなんですよ」
「お手伝い、ですか……?」
熱愛の相手、という言葉に慌てて否定する姿は演技には見えず報道陣からは彼の素の姿にしか見えない。名前は「これ言ってもいいのかな?」と不安そうな顔で所属するプロダクションの広報に視線を向け、問題ないことを確認すると改めてカメラに向き直った。
「実はここだけの話、今度僕が主演する映画の配役が結構過激な役なんです」
「今まで爽やかで草食系の役柄が多い苗字さんからはあまりイメージできませんね」
「そうなんですよ! 僕としても性格が真逆な役に少し不安があって、それでマネージャーさんに頼んで演技の練習をしていたんです。そこを撮られちゃったみたいで。マネージャーさんには子役時代からすごくお世話になっているので今回の騒動で迷惑をかけてしまって……皆様にもご迷惑をおかけしてしまって本当に申し訳ありませんでした」
その映像が映画の告知とともに流れたことで苗字名前に関するスキャンダルは誤報だったと、一時的な騒ぎは収束を迎えた。しかし騒ぎの原因を生んだ写真を撮った男にはテレビに映る名前が本当の顔ではないと確信を持てている。だが証拠と成り得そうな写真は撮れていない。週刊誌に提供したあの一枚の写真もようやく撮ることができた産物だ。
苗字名前には今までスキャンダルはないし、出演したドラマの視聴率は安定し、映画の興行収入にも貢献している売れっ子。だから金になると思い狙ったのに、相手のほうが一枚上手であった。もう一度狙ってみるか。そう決断しベンチから立ち上がろうとした男の目の前に影ができた。
「こんにちは」
視線を上げた先に立っていたのはこれから狙おうと思っていた人物で、テレビでは見せることのない純粋とは程遠い笑顔を貼り付けている彼に「あぁこっちが本当の顔か」と他人事のように呟く。
「初めまして長谷川さん。一緒にお茶でもどうですか?」
きっとこの誘いに拒否権はなく、帽子と眼鏡をかけて変装した彼に物静かな喫茶店へと連れて行かれた。慣れた様子でコーヒーを頼む名前が手にしているのは先週発売された週刊冬文。彼の目的がよく分からず長谷川は気だるげな視線を向けることしかできない。
「この写真、長谷川さんが撮ったんですよね」
そんな視線なんか気にならないのか名前はペラペラと例の写真が掲載されているページを開いた。載せられた写真は二人の男が今にもキスをしてしまいそうな程顔を近づけており、角度のせいか顔が見えるのは名前だけ。その表情は普段テレビで拝めるような優しく爽やかなものとは真逆で、獲物を逃さないとばかりに相手の襟元を掴んで唇に噛みつくようなものであった。
「すごい綺麗に撮れてるなぁ。僕ってこんな顔できたんだ」
彼のこの余裕はなんだ?長谷川は運ばれてきたコーヒーに口をつけながら観察するように目の前の男を見つめる。
「目的は?」
このまま相手のペースに合わせていてもしょうがないと切り出せば、週刊誌を閉じた名前が頬杖をついて長谷川を見つめ返す。
「あの人、一般人だからあまり迷惑かけたくないんですよ。羽振りもいいし逃したくない」
「それで?」
「他にも写真撮ったんですよね?もちろん相手の顔が写ってるのも」
なんだ。苗字名前も他の連中と変わらないじゃないか。弱みを握られたからこうして接触してきた。人の粗探しをするのは時間がかかる。手間が省けてよかったよ。
「長谷川さん、僕のもっといい写真撮りたくない?」
「代わりに今持ってる写真を出版社に流さないでくれってことか」
「そういうこと」
「……いいだろう」
たかだか一般人のために、しかも恋人と呼べるような関係には見えなかった相手のために、自分を犠牲にする苗字名前。この男の考えていることがよく分からない。こういう取引はいつもこちらが持ちかけることで相手側から言われるなんてことはなかなかない。
「あんたの俳優人生もこれでお終いだな」
「そうとも限らないんじゃないかなぁ。じゃあ長谷川さん、これ僕の番号。時間できたら呼ぶからカメラ忘れないでくださいね」
その余裕がなにを意味しているのか、長谷川には不気味に思えて仕方ない。さりげなく伝票を持って行ってしまった名前の背中を見つめ残された長谷川は渡された名刺に記載されてある番号を携帯に登録してから店を出た。
数日後にかかってきた電話は場所と時間だけを伝えられた簡素なもので、カメラを持った長谷川が指定されたホテルの一室のインターホンを鳴らすとすぐにドアは開かれた。
「待ってたよ、長谷川さん」
一体どんな”いい写真”を撮らせてくれるのかなんて週刊誌に売った写真のことを思えばある程度想像はついていて、長谷川を部屋に招き入れるなりベッドへ腰掛け上着を脱ぎ出した名前に対し無意識にカメラを持った手に力が入った。
テレビの向こうでは色恋なんてまったく知りませんという顔をしている彼が肌を晒し、ベッドの上で誘うように視線を投げかけてくる。背負っていたリュックを下ろした長谷川はカメラを構えながらベッドへと乗り上げ、シーツに背をつけた名前を見下ろすようにレンズを向けた。
「どんな写真を撮ってくれるのか楽しみにしてますよ」
レンズ越しに感じる視線に頬を紅潮させた名前はカメラを構えている男の服に手をかけた。
長谷川にとって苗字名前は金のタネだ。それ以上でもそれ以下でもない。なのに、カメラを向けた先にある名前の顔は今までどのメディアでも見たことのない新鮮な表情をしていてシャッターを押さずにはいられない。頬を赤らめ、瞳を濡らして、息を乱しているそれは演技なのか。それとも本当の苗字名前なのか。真昼間だというのにそのホテルの一室には乱れる呼吸の合間に漏れる甘美な声とカメラのシャッター音が鳴り止まなかった。
服装を整えリュックを背負った長谷川は乱れたシーツの上で寝ている彼を一見するとすぐに部屋から出て行ってしまい、ドアの閉まる音がして暫く寝ていたはずの名前の瞼がゆっくりと持ち上がる。シーツに残る温もりに手を滑らせてから起き上がり、怠い腰に眉を寄せながら部屋に設置されているテレビへと近づきその裏に置いてあった小さな機材のボタンを押すとシャワーを浴びるために浴室へと向かった。鏡に映った自分の体は綺麗なまま。痕一つない。それもそうだ。長谷川は一度足りともカメラから手を離さずずっとレンズを通して名前を見ていたのだから。
暖かいシャワーを浴びながらカメラ越しの視線を思い出し高なる胸の鼓動を抑えるように手で押さえる。
「はっ……やばいな、これ」
今までにない刺激だった。冬文のあの写真を見たときからずっと望んでいたんだ。本当の自分を撮ったカメラマンにもっと、もっと自分を撮ってもらいたいと。作られた自分じゃない。本当の苗字名前を捉えた唯一の人。その眼が見ようとしているのは世間が欲しがるような純粋な爽やか俳優なんかじゃない。その奥に潜められた苗字名前自身。
暴かれる。カメラ越しから感じた長谷川の視線に興奮を抑えられなかった。
「ダメだ……足りない」
もっとだ。もっと撮ってほしい。欲が渦巻いて熱が込み上げてくる。曇った鏡を指で拭うと飢えた獣のような目をした自分がそこにはいた。
現像した写真はどれも大金に成り得るできだった。その中でも一層目を引く写真を一つ手に取りじっと眺めていると脳裏に浮かんだあの日の光景はリアルで鮮明だ。肌の感触も、熱も、声も、はっきりと思い出せる。仕事のために女を抱くことは今までに何度もあったが、カメラを構えながらの経験は初めてだ。柄にもなく夢中でシャッターを切っていた自分を思い出し自嘲気味に笑いを漏らす。
テーブルに散らばった写真をまとめて封筒に入れいつものリュックを背負って家を出た長谷川が向かったのはあの日名前に連れて行かれた喫茶店だった。客の少ない静かなその店の奥のテーブルに彼はいた。帽子と眼鏡をかけていてもなおコーヒーを飲むその姿は絵になっていて、本当にベッドで乱れていた人物なのかと疑ってしまう。
リュックを下ろしながら対面の椅子に腰掛けると彼はテレビで見せるような爽やかな笑みを浮かべて長谷川を迎えた。
「こんにちは長谷川さん」
その偽物の笑顔がどうにも長谷川には気持ち悪く見えてしまったのは彼の隠された顔を少なからず知っているからだろう。
「急に呼び出しちゃってすみません。どんな写真が撮れたのか気になっちゃって、見せてもらってもいいですか?」
用意していた写真の入った封筒を名前に手渡すとわくわくとした面持ちで写真を取り出した。行為中の自分の姿が写った写真なんて見てなにが楽しいのか趣味が悪いとしか言いようがないが、他人の不幸で飯を食っている長谷川自身もいい趣味はしていないと自覚しているため口には出さない。
「やっぱりいいね……長谷川さんの写真」
そう満足そうに呟いた彼の言葉に否定しないのは自分でもいい写真が撮れたと自負しているからだ。いい写真すぎて、誰にも見せたくない。きっと彼の本当の顔を知っているのは自分だけ。
「実は僕も長谷川さんに見せたいものがあるんですよ」
写真を封筒に戻し長谷川へ返した名前がスマホを操作してから画面をこちらへと向けてきて、そこに映った映像に肝が冷たく凍ったような感覚が襲う。
「どうですか?隠し撮りにしては結構綺麗に撮れてますよね」
そこには確かに名前の姿も映っているというのになぜそんなにも嬉しそうな顔をするのか分からない。行動の意図が読めない。スキャンダルをスクープされ転落するかと思われたが自分の力で挽回し事なきを得たはずなのに、自ら茨に飛び込むように長谷川に接触してきては俳優人生を終わりにし兼ねない写真を撮られたというのに、訳が分からない。
これは長谷川に対する脅しなのだろうか。自分からあんな写真を撮らせておきながらどこにも流出するなという。
「脅しのつもりか?」
「脅す? なんで僕が長谷川さんを脅すんですか。そもそも今回撮ってもらった写真を出版社に流していいなんて取引はしてないですよ?」
もしかしたら自分は、手を出してはいけない相手に手を出してしまったのではないだろうか。覆い隠していた仮面は剥がすべきではなかったのではないだろうか。しかし知ってしまってからではもう遅い。もう彼を撮るなというのは無理だ。
「これはね”保険”ですよ」
「保険?」
白昼には相応しくない映像が流れるスマホの向こうで嬉しそうな表情を浮かべる苗字名前に、知らずのうちにゾクゾクと背中を走ったそれはおそらく畏怖感、だろう。きっとそうだ。
「僕はもっと長谷川さんに撮ってもらいたいから、その保険」
そして同時に胸に湧き上がるのは好奇心。
「ねぇ長谷川さん。僕とお友達になりましょう」
差し出された手を握ってはいけない。だが、このチャンスを逃したらもう彼の、本当の彼の写真を撮る事は叶わないだろう。思い出すのは明るい日差しが差し込むホテルの一室で過ごした苗字名前との時間。互いが互いの目的のために、自分のために過ごした時間。
その手を取ってしまったのは怖いもの見たさ、というものだろうか。