朝焼けに微睡む渋谷の街はまだ人通りも少なく静けさが広がっていた。人々が活動を開始するには早い時間帯の交差点を一台のバイクが走り抜ける。名前の愛車の一台であるオフロードバイクのトリッカーだ。小回りの利くバイクは滅多に車の通らない狭い道を進み、とある雑居ビルの前で停まった。六階建てのビルを見上げればカラオケや飲食店の看板が掲げられている。時間も時間なので人の気配はない。バイクに取り付けているスタンドに嵌められたスマホの地図アプリを確認すればしっかりと案内の役割を果たしていた。
苦学生である名前はいくつかバイトを掛け持ちしている。その中の一つがバイク便だ。雇われた会社経由で仕事の依頼を受けることがほとんどだが、時々、お得意様から直接連絡を受けることもある。今回は会社経由の依頼だったが、わざわざ名指しされていた。それ自体は別に珍しいことではない。人伝に紹介されて利用する人もいる。だが、気にすべきなのはすでに報酬金が振り込まれていたということだった。
名前がこの仕事の相談を受けたのは昨夜遅く。その時にはもう対価が支払われていた。まだ承諾すらしていないのに先払いされてしまっては断ることもできなかった。仕方なくどこか怪しさを感じながらも指示された時間通りに荷物の受け取りと配達を行うことにして今に至る。仕事内容は簡単だ。指定された時間に指定された場所へ荷物を届ければいい。疑わしい点があるとすれば荷物受け取りの際に依頼人と直接会わなかったこと。駅のロッカーに鍵も掛けずに入れられていた荷物に、触れていいものか躊躇いが生まれたのは当然だろう。
バイクから降り、脱いだフルフェイスのヘルメットを脇に抱えたままビルの中へと足を踏み入れる。さっさと届けて帰ろうと回収してきた荷物は背負ったリュックの中だ。エレベーターのないビルの階段を登りながらスマホの画面に視線を落とす。依頼内容に記載されている届け先の場所はこのビルの最上階。もし荷物が重くて大きい物だったら放置して帰っているところだ。
コンクリートの建物の中には名前の足音だけが響いている。最上階のフロアに辿り着くが、そこにはテナントが入っておらず室内はがらんとしていた。こんなところに受取人がいるはずがない。そう思いながら確認のためにドアの向こうへと足を踏み入れる。すると数歩進んだところで背後のドアが勢いよく閉まった。ノブを回しても微動だにしないそれに大きく舌打ちをする。よく見ればドアの上端に小型の機械が設置されており赤いランプが光っていた。
他に出入口はないかと周りを見渡すと仕切られた別の部屋があることに気付く。慎重に中を覗くと、そこには水色とピンクの液体が入った二つのタンクがオフィスデスクの上に置かれていた。目を見開いた名前は周囲に人の気配がないことを確認するとそのタンクに近寄った。
「これって松田さんの言ってた……」
二つのタンクとチューブで繋がった小さな空のタンクが中央にあり、その下にはデジタル式のタイマーが表示された機材が取り付けられている。それは過去に松田から教えられた二液混合式の爆弾だった。10:00と表示されたタイマーはまだ動いていない。この部屋の奥には非常口と書かれたドアがあり確認するもドアノブが壊されていて開けることはできなかった。踵を返し先ほどの大きなフロアに戻り部屋の中を見渡す。ドアは開かない。窓はあるがここはビルの六階だ。隣接するビルの屋上に飛び移るのにも難しい距離である。つまり逃げ道はない。
険しい表情を浮かべ爆弾の前に戻ってきた名前はデスクの上にメモが置かれていることに気付いた。そこにはこう書かれている。"君は名誉を守れるかな"と。
その時、タイマーが動き始めた。まるで見られているかのようなタイミングに眉を寄せながら天井を見上げる。四隅の一角に配置されたそれは監視カメラのようだった。だがそれを気にしている時間はない。持っていたメモをくしゃりと握り潰して床に投げ捨てると、デスクの引き出しを開けていく。中身はどれも空っぽだ。道具がなければ爆弾は解除できない。あたかも爆弾を解除させるために呼び出したと思わせる周到さを考えれば必要な道具が用意されていてもおかしくないはずだ。
そこでリュックに入れたままの荷物を思い出す。荷物を取り出し、包装された段ボールを開けると中には工具セットが入っていた。
「あの人に阻止された腹いせを俺でしようってのかよ」
名前は鼻で笑いながらカメラに向かってそう言った。
過去に聞いた爆弾の造形や仕組みと、今、目の前にあるものが一致した瞬間から三年前に松田が関わったであろう事件の犯人と今回の犯人が同一人物であることを察した。だからメモには名誉を守れるかと書かれていた。これは二人の関係を知った上での言葉だ。工具セットからドライバーを掴んで慎重にタイマーが表示されているカバーを取り外していく。失敗は許されない。いや、許せない。それは自分の命のためではなく松田のためなのだと、名前は無意識下でそう思っていた。
カバーを外すと中にはいくつものケーブルが爆発装置に繋がっている。外観は三年前に聞いていたものと違うようだが構造自体に大きな変化はなさそうだ。
──ハギのおかげで助かったぜ。
松田の言葉を記憶の海から引き揚げながら、二つのタンクとチューブで繋がっている小さな空のタンクに触れる。聞いた話ではこのタンクの底に穴が空いていて、そこから噛んでいたガムを押し入れたことで液体が混ざるのを防ぐことができたらしい。しかしどうだろう。名前の指先は穴を確認できなかった。上下左右ともにしっかりとガラスで塞がっている。
「さすがに同じヘマは踏まねぇか」
三年も月日が経っていれば改良されているのも当然だ。もし爆弾の解除に成功したとしても、遠隔操作で起動されてしまえば液体の混合を防ぐ手立てはない。それでも、とドライバーからペンチに持ち替える。
「やるしかねぇよな、松田さん」
パチン。一本のコードが軽い音を立てて綺麗に切断された。
徹夜明けの瞳に朝日の眩しさは辛いものだ。しかし風見が顔を顰めているのはなにも太陽のせいではない。首に爆弾を着けられてしまった上司からの提案を受け入れざるを負えなかった状況のせいだ。
昨夜、地下シェルターにコナンが訪れたことは部下から報告を受けている。降谷自らが頭を下げて少年に協力を仰ぐ姿に驚いたようで、あの少年は何者なんですかと聞かれたがそれは風見自身が知りたいところであった。報告には捜査の協力の他に降谷は一つ少年に頼みごとをしていたようだ。それは事件に関しての情報を苗字名前には伝えないこと。関わらせないこと。しかしこれについては名前がすでに捜査一課に協力をしていたこともあり、もう遅いと断られてしまったようだった。そのせいなのか降谷は風見に対してとある提案をしてきたのだ。
暫く歩いた先に停めていた車の運転席に乗り込んだ風見は先ほど地下シェルターで交わした上司とのやり取りを思い出す────
「風見。苗字くんをここへ連れてきてくれないか」
「なぜ彼を?」
「彼なら、この着け心地の悪い首輪を外せるかもしれない」
「まさか……あの子はただの高校生ですよ」
「僕もそう思っていたさ」
ガラスに仕切られた空間の中で優雅な椅子に座っている降谷はゆったりと足を組み直した。その首元にはピンクと水色の液体が入った透明なカプセルが付けられた爆弾が装着されている。もし爆弾が爆発してもこの地下シェルターにいれば他に被害は及ばない。ガラスも特殊強化ガラスを使用していて電波も遮断するため遠隔で起爆される心配はない。しかし爆弾の仕組みを解析できたわけではなかった。いつ、どんな方法で爆発するかは判らない。そんな状況でもこの上司は危機感を匂わせることはなかった。
「コナンくんの話を聞いて確信したよ。ただの高校生がなぜ爆弾を解除できる程の知識と腕を持っているのか、その理由がね」
風見は驚いた。黒電話の受話器を持つ降谷の表情が和らいだような気がしたからではない。その言葉に一瞬理解が追い付かなかったからだ。それと同時に、いつもこの人は自分よりも名前を理解できているのだと思い知らされる。年下の恋人に爆発物処理の技術があることを風見は知らなかった。
「理由、というのは」
「君も知っている通り、僕の同期に松田という男がいる」
「えぇ。元爆発物処理班で三年前に亡くなられた……っ!」
ドクリと大きく心臓が鳴った。松田という名前を名前から聞いたことがあったからだ。だがそれは彼が無意識に呼んだ名前であってどんな人物だったのか語られたことはない。
「どうやら彼は松田と深い関わりがあったみたいだ。その知識と腕を教え込むほどのね」
────そんな降谷の言葉が頭から離れない。車のシートに寄りかかりながら眼鏡を外して手で顔を覆う。知りたくなかったと言えば嘘になる。こんな状況の中では知りたくなかったというのが本音だ。
深く息を吸って、ゆっくりと吐く。とにかく今は事件の解決に励まなければならないと気持ちを改め眼鏡をかけ直す。とはいえ、風見はすでに警視庁で名前と会っており、その時に事件には関わらないようにと言ってしまっている。だからこの提案は断りたかったのだが、降谷の安否が掛かっている以上断ることはできなかった。そもそもあれは提案というより指示に近いものだった気もする。
電話をかけるには早い時間かもしれないが急を要するため躊躇っている暇はない。プライベート用のスマホに登録されている番号を確認して画面をタップする。もしかしたら寝ているかもしれないなと考えながら呼び出し中の文字を見ていると、パッと通話中に切り替わった。慌てて耳元にスマホをあてる。
『こんな朝っぱらから何の用?』
「すまない。実は降谷さんから君に手伝ってほしいことがあると頼まれてしまって」
『何それ。捜査には協力するなって言ったのあんただろ』
「そうだが、危険なことをさせるつもりはない。知識を貸してくれるだけでいいんだ」
『あの人、俺が学力無縁の鈴蘭生だってこと忘れてんじゃねーの』
会話の節々にパチンと何かを切る音が僅かに聞こえた。
「……今、降谷さんには爆弾のついた首輪が着けられている。それを着けた人物は三年前にも日本で爆弾を仕掛けていた」
『じゃあその首輪にも二つの液体が使われてるのか』
降谷の読み通り名前は今回の事件で使用されている爆弾がどんなものなのかを知っているようだ。それはどんな関係にせよ松田と接点があったことを意味していた。ルームミラーにはぐっと眉間に皺を寄せた風見が映る。
『で、俺にその爆弾を解体する手伝いをしてほしいと』
「そういうことだ。悪いが協力してほしい」
『まぁいいけど。ただ、今手が離せなくて警視庁には行けねぇよ』
パチン、とまた音が聞こえる。趣味のバイク弄りでもしているのだろうか。そう思いながら風見はシートベルトを締めて車のキーを差し込んだ。
「いや、こちらから迎えに行く。そっちに着くまでに十五分ほどかかるから準備を──」
『迎え? そりゃありがたいね。ついでに人払いもしてくれると助かる』
言葉を被せるように伝えられた内容にキーを捻ろうとした手が止まった。人払いとはどういうことだろうか。冗談にしては意図が読めない。パチン。また何かを切るような音がした。それから詰まった息を吐くような仕草を電話越しに感じとる。思い返せば名前の声には少し違和感はなかっただろうか。軽口を叩きながらもその声音はどこか強張ったような印象ではなかったか。バイクのメンテナンスにそこまで"切る"という動作は必要ないのではないか。
同じ警察官であっても公安の人間を調べるのは容易なことではない。しかし犯人は独自の調査と行動で公安警察である降谷零を誘き出した。その手腕があれば、例えば元爆発物処理班の刑事と一般人との関係なんて容易く調査できてしまうのではないだろうか。
スマホを持つ風見の手にギュッと力が込められる。
「君は今、どこにいる……」
急激な寒気が襲い嫌な予感が背筋を流れた。心臓の音がやけに大きく聞こえ、電話の向こうにいる名前の声を聞き逃してしまうんじゃないかと焦ってしまう。無意識に口呼吸をしているせいか口内が乾いていく。早く居場所を言って欲しい気持ちと、聞きたくないという不安が同時に押し寄せた。
『残り五分もない爆弾が仕掛けられたビルの中だよ』
さもなんでもないかのような口振りで告げられたそれに、さっと血の気が引いた。こんな状況を誰が予想していただろう。きっと降谷も予期していなかったはずだ。それでも風見には、こんな時はどうすればいいという迷いはなかった。ひとつのミスも許されないのが自分の仕事だと体に染みついているからだ。
名前から住所を聞き出し、すぐに車のエンジンをかけて走り出した。仕事用のスマホと連動したインカムを耳に装着し、通話の繋がった部下に指示を出していく。努めて冷静に対応しながらも、ただただ無事でいてくれと願うことしか今の風見にはできなかった。
スマホの画面の明かりに照らされたコードの一本を切り、すぐに次を探す。手を止めている時間はない。タイマーはゼロに向かって減り続けている。爆発装置に繋がっている配線とタンクの装置に繋がっている配線。数の多いそれらは順番を間違えて切ってしまえばそこでおしまいだ。松田から教えられた以上にトラップの性能も上がっていて、意識しなければ呼吸が止まったままになりそうなほど集中力を必要としていた。頬から顎にかけて汗が伝い、ぼたりと手元に落ちる。
一本。また一本と切っていけば残されたコードは残り僅かとなった。タイマーに表示されている時間はもうほとんど残されていない。早く次を、と指先がケーブルに触れようとしたその時、ハッとして動きを止める。
──落ち着けよ名前。焦りこそ最大のトラップなんだぜ。
急かされる気持ちを落ち着かせてくれたのは思い出の中にいる松田の声だった。無意識に詰まっていた息を吐きだして強張った肩の力を抜く。脳裏に浮かぶのは煙草を咥えてニヒルに笑う憧れの人の姿。それだけで不思議と焦りはなくなり冷静さが戻ってくる。
ふと、通話中のままだったスマホから風見の声が聞こえた。誰かに指示を出しているようで、仕事中の厳しく強い口調だ。こちらに気を遣っているのかあの後からは声をかけられていない。もしかしたらまだ通話中だということに気付いていないのかもしれないな、と名前の口元に笑みが浮かんだ。程よくリラックスできたところで再度タイマーに目を向ける。まだ大丈夫だ。先ほどの焦りが嘘のように心に余裕が表れた。残された配線がどこに繋がっているのかを確認しながら一つずつコードを切っていく。
爆発物処理の手解きを受け始めたのは名前が中学に入学してからだった。亡き親友を懐かしみながらも子供のように解体の楽しさを語っていた松田を今でも鮮明に覚えている。もしかしたらあれは自分に残せるのはその知識と技術しかないと思っての行動だったのかもしれない。親友の仇をとると決意したその時からきっと己の身に起こる悲劇をも覚悟していた。だから松田は自分と、そして親友が生きていた証としてその技術を名前へと教え込んだ。本人はもうこの世にいないから確認のしようもない。だがそう思うのは生きている人間の勝手だ、と名前は小さく笑みを零しながら最後のコードを切断した。
目を閉じて深く息を吐く。室内には静寂が広がり遠くから車のエンジン音が聞こえた。ゆっくりと瞼を持ち上げてデジタルタイマーを見ると表示されていた時間は消えており液晶には何も映っていない。時間がどれほど残されていたのか確認する余裕はなかったが、確かに爆弾の解除には成功した。
「あんたの名誉、守れたかな」
そう言って額に浮かんだ汗を袖で雑に拭った名前は持っていたペンチをデスクに置き、放置したままだったスマホを手に取った。通話中のタブを一旦閉じてカメラモードに切り替えると設置されている爆弾の写真を一枚撮影する。そこで受話口からがさごそと音が聞こえた。
『名前、無事か!?』
「無事だよ。爆弾も解除した」
『そうかっ……なら早くそこから避難するんだ!』
焦ったり安堵したりまた焦ったりと忙しい声を聞きながらフロア出入口のドアノブを掴むがやはり動かない。窓から下を覗けばパトカーが一台止まっていた。おそらく風見が手配したのだろう。
「そうしてぇけど出入口が塞がってて俺にはどうにも────」
『どうした?』
もう一度爆弾の置かれた部屋に戻った名前は目を見開いた。その部屋に足を踏み入れた瞬間にタイマーが点灯したのだ。残された時間は僅か五秒。カウントダウンはすでに始まっている。
「ッざけんなクソ野郎が!」
遠隔で起動されたそれは松田から聞いていたのと同じだった。だがあの時とは決定的に違う部分がある。それは液体が混ざり合うのを防ぐ術がないこと。名前は床に置いてあったヘルメットを掴むと爆弾に背を向けて部屋を出た。考えている暇はない。ヘルメットを窓に投げつけガラスを割ると、そこに向かって走り出す。頭を守るように両腕を顔の前に構えてそのまま床を蹴った。途端、背後から衝撃波が襲い次の瞬間には熱風に煽られた身体は窓の外へと放り出された。
爆風によって飛ばされた名前の身体は隣接するビルの屋上に叩きつけられ、数回転がった後に力なく止まった。うっすらと目を開くが視界は霞んでいる。それでも燃え盛る炎の揺らめきは視認できた。遠くから自分の名を呼ぶ声がして首の向きをビルから反対方向へ動かす。握っていたはずのスマホが身体の横に転がっていた。こんなにも近くにあるのに、爆発の破裂音のせいで耳が遠くなっているようだ。
『おいっ、返事をしてくれ!』
腕を伸ばそうとすれども身体が言うことを聞かず上手く動かせない。痛みを感じないのは脳が興奮状態だからだろう。初めて他人に殴られた時も同じだった。
『名前!』
ずるずると這うようにしてようやく指先がスマホに触れる。何度も呼びかける風見の声に応えなければと唾を飲み込めば鉄の味が口の中に広がった。額にはどろりとした感触が伝っていく。それが自身の中に流れる血液だと認識したのは意識を失う寸前だった。ビルの合間から覗く太陽の光に名前はゆっくりと瞳を閉じた。
風見が現場に着いたのは電話越しに爆発音を聞いてから数分後のことだった。
野次馬をかき分けた先には最上階から激しい炎を上げる雑居ビルがあり、地面には割れた窓ガラスが散らばっている。すでに消防と警察、そして救急車が到着しており現場は騒然としていた。警官に手帳を見せ規制線の内側へ入った風見は、爆発のあったビルの隣の建物にストレッチャーを持った救急隊員が入っていくのを見つけて後に続く。
「警視庁の風見だ。この先に負傷者がいるのか?」
「屋上に一名確認しています」
エレベーターに乗り隣のビルとは一階分低い屋上に辿り着くと、そこには救急隊員に囲まれた名前の姿があった。意識はなく、頭から流れた血は周囲を赤く染めている。一瞬、生きているのかどうかすら判断がつかなかったが、風見は自分でも驚くほどにこの現状を前に冷静でいることができた。それどころかスッと周囲の音もなくなり騒がしいはずであるのにとても静かに感じている。
ビルの窓から噴き出す様に上がる炎が、現在公安が追っている犯人の使用している爆発物と同じ物質だというのは明白だ。悪い予感とはなぜこうも当たってしまうのか。電話口で出入口が塞がれていると名前が言っていたことから、彼を狙っての犯行なのは間違いない。わざわざ早朝に、それも三年前と同じ渋谷にあるビルへ呼び出しているのだから疑う余地はないだろう。おそらく仕掛けられていた爆弾も三年前と同様の物のはずだ。
ストレッチャーへ名前が乗せられる様子を見つめていると視界の端でキラリと光るものがあった。近づいてみると落ちていたのは彼がいつも大切そうに持ち歩いているジッポライターだった。風見がそれに触れるのはこれが初めてになる。拾い上げたライターは所々に傷があり、色も褪せてしまっている箇所があった。それだけで随分と使い込まれているのが解る。親指で表面を撫でてから裏返しにするとそこには名前のような文字が刻まれていた。擦り減っている文字もあるが読めないわけではない。
掠れたローマ字を目で追った風見は静かに目を閉じた。
「風見さん」
声を掛けられ周囲の音が戻ってくる。名前の容態を確認し共有する救急隊員たちの声が耳に届いた。握ったジッポライターをポケットに仕舞いながら振り返ると同じ公安警察の部下二名が立っており、そのうちの一人から画面の割れたスマホを差し出される。見間違えるはずがない。これは名前のスマホだ。広範囲に細かく入ったヒビの有様が爆発時の衝撃を物語っていた。
数分前まで通話が繋がっていたスマホを受け取った風見は一度隣の雑居ビルを見上げ、それから部下に指示を出した。
「情報を規制し、今回のことはガス爆発として処理をする。決して爆発物があったことは外部に漏らすな。被害者の詳細もだ」
「了解です」
「あの人へは私から報告をする。お前たちは現場を封鎖しろ」
風見の視線がストレッチャーで運ばれていく名前へ向けられる。
「それから、彼は東都警察病院へ運ぶよう手配をしてくれ。犯人がまた狙う可能性もある」
「わかりました。警備も一名配置させておきます」
「頼んだ」
去っていく部下たちの背中を見送り手元のスマホを見下ろす。サイドボタンを押せばまだ電源は入っているようで真っ暗だった画面には日付と時間が表示された。ロック画面をスワイプして解除させるとカメラが起動したままになっている。そこで電話越しにシャッター音が聞こえたことを思い出し、ヒビ割れた画面をタップして画像ファイルを開く。するとそこには爆弾らしき写真が入っていた。
現場を部下たちに任せ車まで戻ってきた風見は、先ほどの画像を自分のスマホへと転送した。割れた画面越しとは違いはっきりと映し出されたのは見事に解体された爆弾の写真であった。降谷が語った三年前の出来事と同じで、解除後に遠隔で起動されたのだろう。明確に、殺意を持った犯行だ。
「────くそっ!!」
風見は感情的に声を荒らげ握った拳をハンドルに叩きつけた。