その日、名前は京都の町を東へ西へ、北へ南へと歩き回っていた。行く先々で手荷物が増えていき、達磨や片足のみの長靴や招き猫の置物などを袋にも入れず腕に抱えているのだから人々の視線を集めてしまうのも無理はない。
しかしここは京都である。洛中を暴走する叡山電車を見たという酔っ払いオヤジや五山送り火の夜には空に船が浮いていたという法螺吹き者もいるのだ。前後に顔のある可笑しな達磨や小判ではなく札束を抱えた招き猫の置物を持っていることのどこが怪しいというのか。名前にとってそれは日常であり、不思議なところは何一つありはしないのだ。
「おや、苗字くんじゃないか」
京都には歴史の深い店が数多くあり、その一つである土産店の店先で晴天だというのに傘を吟味する名前に声をかけた男がいた。声のした方へと顔を向ければなんとも懐かしい人がいるではないか。
「これはこれは淀川教授、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「君もな。元気そうだな」
淀川は大学時代の恩師であり大変世話になった人だ。大学で変わり者と呼ばれていた名前に負けず劣らず淀川もその有名を馳せていた。類は友を呼ぶとはまさにこのこと。名前が淀川の研究室に入ったのは必然であり当然であった。そんな二人が広い京都の町の片隅で偶然にも再会したのだ。
「ところでなにをしているんだい?」
「ご覧の通りかくれんぼをしています」
天気予報では日中晴れの予報であるにも関わらず傘を見つめていた名前の様子を思い返してみてもかくれんぼをしているようには思えなかった。「かくれんぼ?」と首を傾げると抱えられた荷物の中から一つ差し出されたのは札束を持った招き猫の置物。
淀川から見ても名前は不思議な生徒であった。大勢の生徒の中にいても一人だけ波長が合っていないかのように存在が浮かんだり沈んだり、とても不安定に見えた。ある時、南禅寺の隅で狸と親しげになにやら話していたところを見かけたことがあり、もしかしたら彼は人に化けた狸かもしれないと冗談半分に思ったものである。
「教授もやってみますか? かくれんぼ」
手渡された招き猫の置物は初めて見たデザインをしている。札束を持った招き猫なんてどこに売っていたのだろうか。名前の言うかくれんぼというのは不思議なものを探す、ということなのかもしれない。
「うーん、僕にもできるかなぁ」
「できますよ」
ほらみつけた、と数ある中から一つの傘を指差され手に持つ。よく見ると骨の高さがバラバラでまともに開くことさえできなかった。商品としてはおかしなそれを見つけた名前は当たり前のように荷物の一つに加える。大学を卒業し就職してからもこうして学生時代と変わることなく面白可笑しいことを続けている姿に妙に安心感を覚えてしまう。
「探すコツはあるのかな?」
「いつもと違う、を探せば見つかりますよ。そうだ、化かされないように気をつけて下さいね」
物を探すだけだというのに何に化かされるのか。名前の言う言葉には時々理解するのに難しいものがあるが、反面好奇心をくすぐられる。普段は気にかけない物をじっくり観察し違いを探すというのは何故か童心にかえるような楽しさがあり、淀川はすっかり”かくれんぼ”に夢中になっていた。
ある物は店の展示品の中に、ある物は路地裏の石の上に、気付けば淀川の腕にはいくつかの可笑しな物が抱えられていた。
「教授のおかげで日暮れ前に全員見つかりそうです。ありがとうございました」
「いやなに、僕も楽しかったよ。君は面白い遊びを見つけてすごいな、感心してしまうな」
「いえ、私はただの普通の人間です。すごいことなどありません。面白いことは全て友人から教わったのです」
そう謙遜する姿も学生の頃と変わらない。不思議な雰囲気を持つ彼の友人であるならさぞかし興味惹かれる人物なのだろう。一度会ってみたいものだ。
「こんな遊びを思いつくのも、きっと阿呆の血のしからしむるところなのでしょうけど」
全ての荷物を受け取り一つ一つを確かめながら吐かれた言葉に弾かれたように顔を向ける。
「友人がよく言うのです。面白い子ですよね。私はこの言葉がとても好きなのですよ」
「……そうか、君の友人が」
淀川には過去に一度その言葉を聞いたことがあった。夢か現か定かではないが確かに聞いた。しかしそう口にしたのは人間ではなく狸であり、すでにこの世にはいない狸である。鍋の具として食ってしまったのだ。
一度だけ「君は狸と話せるのかい?」と聞いたことがある。その時名前はなんと応えただろうか。
「君はまだ探すのかい?」
「はい。隠れるのが上手いやつが残っているので」
きっと「話せる」と応えても決して可笑しいとは思わないのだろうな。忘れてしまうくらい自然な答えだったのだろう。あの日南禅寺で見た名前と狸の波長はぴったりと合っていたのだから。
かつて生徒だった名前と別れた淀川はやはり彼は狸でずっと化かされているのかもしれない。だが面白ければそれでいいではないか。そう思いながらタクシーに乗り込んだ。
時に電車を使い、時に車を使い、人間の生み出した文明機器を惜しげもなく使い縦横無尽に徘徊し始めたのは今朝のこと。アイロンがかけられ綺麗に整ったスーツは満員電車を前に踵を返した際に脱いでしまい、きちんと締められたネクタイを緩めながら会社とは別の方向へと歩き出す。働く時には働き、休む時には休む。平凡たる平日である今日は天候もよく働くには最高の一日であろう。
だが名前は勤勉なサラリーマンとは程遠い人間である。大学生の姿に化けた友人を見つけ何か面白いことはないだろうかと尋ねれば「面白きことでしたらこの矢三郎にお任せください」彼は胸を張ってそう答えた。
「やぁ矢三郎くん、みつけたよ」
結果的に京都を歩き回り恩師と再会することができた名前は、ことの発端である友人を夕日が差し込む寺の裏で見つけた。ぽわん、と音が聞こえそうな変化は見飽きることがない。
「相変わらず狸を見つけるのが上手いお人ですね。子狸たちはどうしたんです?」
「君を探すときに両手が塞がっていては不便だからね、もう帰したよ」
矢三郎が考案したのは洛中の子狸を集めてのかくれんぼだ。山の中はなし、というルールの下行われた遊びだったがやはりもう少し範囲は狭めたほうがよかったと今更悔いても仕方がない。名前自身も仕事をサボったことなど忘れて楽しんでいたのだからよしとしよう。
「しかし小さい子たちには悪いことをした。僕と矢三郎くんの遊びに付き合わせて人間にバレないよう化けるのは大変だったろうに」
「いつまでも人を怖がっていてはいざという時化けの皮が剥がれてしまうのでこれも大切な修行です」
「なに偉そうなこと言ってるんだこのトンチキやろう!」
突然可愛らしい声の罵倒が寺の中から聞こえ矢三郎は慌てて手摺りから飛び降りた。
「なっ! 海星か!?」
海星とは名前もよく知るメスの狸で、なぜか矢三郎と一緒にいる時は姿を見せない。今日も例に洩れずその姿を見ることはできず声だけが聞こえてくる。
「おまえ、そんなところでなにしてるんだ」
「どこでなにしてようが私の勝手だろ」
「とか言って、本当は俺たちと一緒に遊びたかっただけだろ?」
「帰る!」
「おー帰れ帰れ」
うんともすんとも言わなくなった様子に本当に海星は帰ってしまったと分かり、名前は溜息を吐いて隣に立つ青年姿の友人の頭を軽く小突いた。
「こら矢三郎くん。女の子には優しくしなければいけないよ」
「優しくしてほしくば姿を見せればいいんですよ」
「全く君は仕方のない子だね」
この二匹はいつもこうなのだ。まるで小さな子供のように口論してしまう。だが本当に仲が悪いわけじゃないことは名前も知っている。矢三郎が言って効くような狸ではないことも知っている。
「さて矢三郎くんや。一杯付き合ってはくれないか」
「もちろん、喜んでお供しますよ」
日が暮れて寺の行灯が灯されると淡い光が先斗町へと向かう一人と一匹を照らした。ふと、名前は隣を歩く友人のことを恩師に紹介したらどうだろうかと思う。矢三郎のことだから教授を気に入ってくれそうだし、その逆も然り。案外二人は気が合いそうだ。今度教授に会うことがあれば話してみよう。もちろん、彼を鍋にするのだけはやめてくださいね、と冗談を交えながら。