jealousy_前


 警視庁の一室で降谷は部下からの報告書に目を通していた。
 徹夜明けで痛む目頭を指で押さえ、少し目を休ませているとデスクに置かれた携帯が震える。
 表示された番号を確認して耳に当てればすぐに『風見です』という部下の声が聞こえる。

『降谷さん、奴の居所が分かりました』
「何処だ?」
『それが──』

 報告の全容を聞かされた降谷は眉を顰め、重い息を吐いた。

『どうしますか?』
「やつが犯人だとまだ確定した訳ではないからな。まずは証拠を押さえるしかない」
『しかし、我々が潜入しては逃げられる可能性が高いかと』
「そうだな……あの場所では少々目立ちすぎる。もっと馴染めそうな奴はいないものか」

 実はこの報告を受けた直後から降谷の頭の中には一人の青年が浮かんでいたが、電話越しの男が猛反対するのは分かりきっていたため言わなかった。
 しかしここで奴を逃してしまうのはできるだけ避けたい。
 使える手があるのならば使うしかないのだ。

「彼に……協力を仰ごう」
『彼って……っまさか、なにを言ってるんですか降谷さん! 確かに彼はいくつも事件に巻き込まれてはいますが一般人ですよ!』

 どうやら風見も同じ人物を思い浮かべていたらしい。
 その反応は想定内だ。

『私は反対です。もっと他に、方法があるはずです』
「ならその方法とやらを聞こうか」
『……それは』

 決して意地悪を言いたいわけじゃない。
 風見の気持ちは分かる。
 だが分かったからと言って問題が解決するわけではない。手段を選んでいる時間はない。

「風見。我々がしなければならないことはなんだ」
『……奴を捕まえることです』
「そうだ。失敗は許されない」
『……』
「奴を逃せば、被害は間違いなく広がるだろう。それを阻止するためにも彼の協力が必要だ」

 電話の向こうにいる風見が眉を顰めて唸っている様子が手に取るように分かる。

『っ……分かりました』

 以前ならば、事件解決のための違法捜査も厭わなかったろうに随分と絆されたようだ。
 公安刑事として詰めが甘いなと思いつつ、少しだけ羨ましくもある。

「心配するな。彼を危険な目には合わせない、絶対に」
『もちろんです』
「彼に協力してもらうのは証拠を押さえるところまで。その先は我々公安の仕事だ」

 電話を切った降谷は考え込むように顎に手を当て、報告の内容を思い出した。


 今回追っているのは公安警察がマークしていた国内テロ組織のメンバーの一人で、数年前から麻薬密売の疑いが持たれていた男。
 確かな証拠を得ることができずに今まで煙に巻かれていたが、今回ようやく尻尾を掴めそうだ。
 しかし問題は場所である。
 男が隠れ蓑にしているのが、大学生を中心とした若者が集まるクラブなのだ。
 降谷は確かに童顔ではあるが、さすがに大学生として潜入するには無理がある。他の捜査員は論外だ。
 『大学生』と聞いて沖矢の顔が浮かびもしたがすぐに頭から払いのけた。彼にだけは頼みたくない。

「というわけで苗字くん。捜査に協力していただけませんか?」
「……なんで俺が」

 いつものにこやかさはなく真面目な顔つきの降谷に対して、名前はいつも通り嫌そうな表情を浮かべる。

「君ならああいったところにも慣れているかと思って」
「まぁそこの店なら何度か行ったことあるけど」
「え、本当ですか?では会員カードも持ってたりします?」
「一応」

 降谷は隣に立つ風見に目を配らせた。
 それに頷き電話をかけ始めた風見から目線を不服そうにしている名前に戻す。

「部下に頼んで偽のカードを用意する予定でしたが苗字くんが持っていてくれて助かりましたよ」
「まだ協力するなんて言ってねぇけど」
「苗字くんだけが頼りなんです、本当に」
「別にあんたに頼られてもな…」

 なかなか気のいい返事をしない名前に、電話を終えた風見が申し訳なさそうに口を開く。

「すまない苗字。私からも頼む」
「……分かったよ。協力する」
「なんで風見だとそうもあっさり承諾するんですか」

 仕方がないとばかりに少し表情を緩めた名前に対して、思わず隣に立つ部下を睨みつければ焦ったように意味もなく首を横に振るわれる。
 そんな二人を前にし、名前は息を吐いた。
 急に呼び出されたと思えば聞いてもいないことを喋り始め、挙句に協力してくれときた。
 できることなら面倒事は避けたい。なんで工藤がいないのにわざわざ事件に関わらなきゃいけないんだ。いや工藤がいても事件に関わりたくないけど。
 そもそも、話を聞いた時点ですでに断る選択肢はあまりなかった気がする。
 それが分かっていて降谷は最初に全部話したんだ。

「では、今夜迎えに行きますので」

 ほんと嫌なやつ。

 伝えられた時間通りに迎えに来た風見の車に乗り込み、夜の街を走る。
 ライトアップされた建物やネオンの看板が暗い世界に彩りを与えていて、これが事件と無関係なら最高のドライブだったなと胸で愚痴る。

「その……悪いな、巻き込んで」

 ちらりと運転席に目をやれば、視線は真っ直ぐ前を向いているが申し訳なさそうに眉は下がっていた。

「別に危ないことするわけじゃねーんだろ」
「当たり前だ。君を危険に晒すわけがないだろう」

 名前は目を瞬かせて、にやける口元を隠すように窓の外へ視線を向けた。
 この人、今恥ずかしいこと言ったって気づいてないんだろうな。
 外の風景は賑やかな街を少し離れ、裏路地へと入っていく。
 すでに公安によって通行止めがされた先にある利用者のいない駐車場へと車を止めた。
 車を降りて風見の後を歩いて行くと駐車場から離れた場所に一台のワゴンが止められており、その前に降谷の姿があった。

「あんたその格好……」
「君一人で潜入させるわけないでしょ。僕も行くんですよ」
「ふーん」

 降谷の格好は今時の大学生が好んで着るようなファッションだったが、今から行く店にはあまりこういったタイプは来ないため違和感があった。
 だがあえて言うのも可哀相かと思い、うまく使う方法でも考えようと頭を切り替える。
 ちなみに名前は柄の入ったフィット感のあるロングスリーブTシャツにデニムといったシンプルな服装だ。

「じゃ、あんたがこれかけて」
「眼鏡、ですか」

 持ってきていた眼鏡を差し出すと訝しげに受け取った降谷が角度を変えながら観察すると、フレームの一部に僅かだがおかしな点があることに気づく。

「フレームの中に小型カメラが内蔵してある」
「これも阿笠博士の発明ですか?」
「まぁね。頼んで作ってもらった」

 公安でも一応隠しカメラは用意していたがこちらのほうがバレる心配もないだろうと、降谷はすぐにワゴンの中で待機している部下にカメラの映像をモニターで観れるように指示を出す。
 モニターに映し出された鮮明な映像を観て風見は思わず名前を振り返った。

「何者なんだ、その阿笠博士というのは」
「ただの発明家だけど」

 ただの発明家がこんなもの作れるわけないだろ、というのは風見だけではなく名前も常々思っていることではあった。
 カメラとモニターに問題ないことを確認した降谷は眼鏡を着用してワゴンから降りてくる。
 改めてその姿を見ればおしゃれ大学生が出来上がっていて、名前は考えるようにその姿を見つめる。

「どうしました?」

 その視線に気づき、首を傾げる降谷に近づいてボタンの開いているシャツに手を伸ばす。

「ボタン、閉めたほうがいいな」

 一つずつ閉められていくボタンに降谷は目を見開いて目の前の青年を見る。
 あれほど嫌われていると思っていたのに、平気でこういうことができてしまうのか。
 感動すら覚える奇跡だ。二度目があるとも分からない彼の行動をしっかり心に刻んでおかなければ。

「どうしてです?」
「あんたは、こういうところ来たの初めてですって顔してたほうがいいと思う」
「……なにか策があるのかな?」
「そういうわけじゃねーけど。行けば分かるよ」

 一番上のボタンだけ開けたままにして手を離す。
 仕上がった姿にまぁいいだろと納得してからポケットに手を入れた。
 使えそうだと思って持ってきていたものを、一応確認だけしておこうと少し離れたところで降谷の部下と話をしていたはずの風見を見れば眉を寄せて少し不機嫌そうにこちらを見ていた。

「なんかあったの?」
「いや……。それよりどうしたんだ?」

 近づきながらそう聞けば、風見は小さく頭を振っていつもの顔つきに戻した。
 その態度にあまり納得はいっていないが今気にしていても仕方ないと本題に入ることにする。

「今日だけは、許してくれよな」

 ポケットから出した愛用のライターと煙草の箱に、今度は困ったように眉を寄せた。
 場所が場所だし、今から行く店は名前のほうが場慣れしていることは十分理解している。

「……できるだけ吸わない方向で進めるんだぞ」
「了解」

 この件が終わったら回収するしかないな、と離れていく背中を見送りながら溜め息を吐いた。


 地下にある店の入り口で会員カードを提示すればすんなりと入ることができた。
 耳が痛くなりそうなほど爆音が響く店内にいる大勢の若者に、降谷は思わず目を逸らしたくなる。
 すごい場違いだな。
 人混みをどんどん進んで行く名前に置いて行かれないようについていくが、横から出てきた人と危うくぶつかりそうになり思わず足を止めた。
 しかし足を止めたことで別の方向から歩いてきた人とぶつかってしまい、少しズレた眼鏡を直しながら振り向く。

「ちょっと急に止まらないでくれる?」
「す、すみません」
「待って……うっそ超イケメンじゃん!」

 怒った表情で詰め寄ってきた女性の顔が、降谷の顔を見ると一変した。
 酒も入っているのか興奮したように頬を染めて降谷の腕に絡みつく。

「ねぇお兄さん一緒に飲まない?」
「えーっと……すみません、僕お酒に弱くって」
「なにそれ可愛いー! 大丈夫大丈夫、弱いお酒もあるから飲もうよー!」

 ぐいぐい腕を引かれて女性の連れだろうグループに引き込まれる。

「イケメン確保しましたー」
「まーた男捕まえてきたよこの子」
「でも今回は本当にイケメンみたいね」

 降谷は困ったように笑って一人ずつ観察する。
 どこにでもいそうな女の子達だ。これはハズレかもしれない。
 何か知っていれば吉だが…。

「君達は、いつもここに来ているんですか?」
「なになに? 私達に興味あるの?」
「えぇ、まぁ……」

 しかしどうこの状況を抜け出そうか。
 相変わらず先ほどぶつかった女性は腕を離してくれない。
 無理やり離してもいいのだが騒がれそうなのでやめておこう。

「悪いんだけど」

 ふと後ろから声が聞こえ、空いていた手をぐっと引かれた。
 振り向けばはぐれた名前が不機嫌そうに立っており、その視線は真っ直ぐに降谷の腕に絡んでいる女性に向いている。

「この人、俺の連れだから。また今度にしてくれよ」

 とくに怒った声音なわけではなく淡々とした物言いに、あっさりと女性は離れていった。
 もしかして知り合いだったか?と思ったがどうやら違うらしく、女性はただ気の弱そうな男にしか強く出れない子のようだ。
 そんな女性達の会話を聞きながら腕を引かれるまま名前についていく。

「あんたなにしてんだ」
「あの子逹からなにか聞き出せないかと、」
「なにも知らねぇよ、あいつらは」

 そう断言する理由が分からず眉を寄せる。

「なぜです?」
「匂いがしない」

 返された答えに目を瞬かせる。
 あの女性達からはキツい香水の香りと酒の匂いが入り混じった、バーボンとして活動するときにはよく嗅ぐ慣れた匂いだった。
 名前の言う”匂い”がなんのことか分からない。
 突然足を止めた名前が視線をゆっくりと動かし降谷と向かい合うように体を動かした。
 しかし視線は降谷の後ろのほうに向けられている。
 どうしたのか尋ねようとした時、名前の背中に人がぶつかりヨロけた体を受け止めた。

「っ」
「おっと……大丈夫ですか」

 支えるように肩に触れればすぐに体を離される。

「、平気」
「どうしたんです? 急に立ち止まって」

 先ほどの様子が気になりそう尋ねれば、名前の視線は再度降谷の背後に向けられる。
 その視線を辿っていけば一人の女性がカウンターの椅子に座るところだった。

「この匂い……あの人、多分なにか知ってる」

 思わず自分よりも少しだけ背の低い青年を見下ろし、よく行動を共にする女の言葉を思い出した。

『あの子、匂いで私の変装を見破るのよ。本当厄介よね』

 ──そりゃあ厄介でしょうね。でもそれは味方じゃないからですよ。