love,cherish,favorite


 side K

 ソファに座る風見の上に伸し掛かるように乗り上げて邪魔な眼鏡を奪い取った。
 可愛らしい音を立てながら、まるでそれを楽しむように何度も薄くカサついた唇を啄むようにキスを繰り返す。
 大きく骨ばった手が名前の腰を撫でた時、テーブルに置かれた携帯がバイブで短く震えた。

「君の携帯じゃないのか」
「メールだから後で確認する」

 腰から背中を撫で上げられる感触に目を細めて、カサつくその唇を舐めて風見の舌を誘い出す。
 誘われるがまま舌を差し出せば唇が重なり舌先で遊ばれるように絡められる。
 また携帯が震えた。
 今度は少し長いそれに電話だと分かり、名前が離れていく前に後頭部を抑えて自分の口内で絡められていた舌を押し返した。
 多少荒めに舌を犯しているといつの間にかバイブは収まり耳に届くのは水音だけ。
 ゆっくりと唇を離して顔を覗き込むようにして見れば不満そうに眉が寄せられていた。

「電話、切れたんだけど」
「きっと君の保護者だろう。どうせまたすぐにかけてくる」
「知ってて出れないようにしたわけ?」
「君との時間を邪魔されたくないんだ」

 困ったような嬉しいような表情を浮かべる名前の頬を撫でてもう一度唇を寄せる。
 だがタイミングがいいのか悪いのか触れる直前で再度携帯が震えて、名前は押し止めるように身を引いた。

「出ないと怒られるから」

 風見の上から退いて未だに震えている携帯を手に取り通話ボタンをタップする。

「もしもし……ごめん、ちょっと手が離せなくて…うん…」

 通話をしながらソファに座れば、電話越しの松田の不機嫌そうな声が隣に座る風見にも聞こえてきて眼鏡を掛け直した顔を顰めた。
 こうして二人の時間を松田に邪魔されるのは初めてではない。
 名前と付き合いだして暫く、二人の関係が松田に知られてからというものその過保護っぷりに拍車がかかったように思う。

『何時だと思ってんだ、早く帰ってこい』
「あー……分かったよ」

 どうも名前は松田を優先にしがちだ。でもそれは仕方のないことだと理解している。
 母親と死別した名前を引き取り唯一無二の家族になった男と、まだ付き合ってから1年も経っていない自分とを比べるのは間違いだろう。
 風見は電話中の名前の肩を引き寄せて空いた耳元に唇を寄せる。

「帰るのか?」
「っ……」
「泊まっていけばいい」

 だが頭で理解していても、名前を貪欲に求めてしまうのだって仕方のないことだ。
 少し前の自分であれば「送っていこう」と言って大人の対応をしたことだろう。
 松田の独占欲を見せつけられて、対抗心でも燃やしてしまったのか最近の自分は名前を手元に置きたがる傾向にある。

『おい名前、聞いてるのか?』

 ──二人の間に恋愛感情はない。
 そう彼から聞いてはいるが、どうしても松田には渡したくなかった。

「松田刑事と僕、どちらを選ぶ?」

 我ながら嫌な選択を迫ったものだ。まったく大人気ない。
 困ったように眉を寄せる名前に気付かないフリをして、耳元と首筋にキスを落としていく。

「、……松田さん、後でかけ直すから」

 電話の向こうから聞こえる声が途切れ、通話を切った名前が息を吐いて風見を見上げた。

「その聞き方、ずるいんじゃねーの……」

 そう言いながら猫のように擦り寄ってきた名前の手から携帯を奪い取り、柔らかい髪に口付ける。
 できることならこの家で彼とともにずっと過ごしていたい。
 まぁ、きっとあの男は許しはしないだろうが。
 いっそ高校を卒業した時、問答無用で住まわしてしまうのも悪くないかもしれない。

 翌日、登庁すると部署へ続く廊下の途中で松田と出会した。
 いや違うな。出会したなんて偶然なものじゃない。明らかに自分を待ち構えていたようだ。

「どうも風見サン。昨日はうちの子がお世話になったみたいで」

 笑顔を浮かべながら明るい声のはずなのに、その目は鋭く風見を射抜く。
 最初こそ人様の大事な子に手を出した負い目から受け身の態勢でいた風見だが、何度も理不尽に絡まれていくうちに慣れたのかもう焦って取り乱すこともない。

「気にするな。名前なら毎日でも泊まりに来て構わない」

 むしろ仕事中に見せるような高圧的な態度で接するようになってきたのは事実だ。
 その態度がより松田の親心を刺激するとも知らずに。

「外泊は保護者である俺が許可してない。とくにあんたの家なら尚更な」
「恋人の家に泊まることに問題が?」
「そもそも俺は認めてねーんだよ。未成年に手ェ出していいのかぁお巡りさんがよぉ」
「安心しろ。昨晩はなにもしていない」

 というのは嘘だ。
 確実に名前が泊まる方を選択できるよう流れを作ったのは当然だろう?

「そいつは嬉しいねぇ。そのままずーっと清い交際を続けるか別れてくれると感激して泣いちまうぜ」
「そうか、君の涙が見れなくてとても残念だよ。では、私は忙しいので失礼する」

 名前にとって松田の存在は大きすぎる。
 だから、彼に自分だけを見ていてほしいがために年甲斐もなく必死になることくらい許してほしい。



 side M

 あれは確か名前が高校生になった時の話だ。
 随分前からその感情には気がついていたが知らないふりを続けていた。
 だから名前自身が自分の気持ちに気付いた時、受け入れてはいけないと決断したんだ。

「お前は憧れと恋愛感情をごっちゃにしてるんだよ」

 言い聞かせるように発した言葉に傷付いた顔をした名前は「そっか……勘違い、だったんだ……」と、ぎこちない、泣きそうな笑みを浮かべたもんだから、俺の選択は正しかった が、間違えでもあった。
 それから名前は俺に対する恋愛感情を必死に”憧れ”の気持ちに切り替えていって、今ではもうそういう対象として見られていない。
 安心した。これで名前も普通に彼女をつくって、いつか俺に紹介してくれる日が来てくれると。

「なーのーにぃ……なんでまた男! しかも俺より年上!!」
「さらに松田よりエリートだしなぁ」

 今朝方、警視庁で風見と話した後からずっと不機嫌だった松田は、帰り際に萩原を捕まえて無理やり居酒屋まで引っ張ってきては愚痴を吐き出していた。
 半分程残っていたビールを一気に流し込み、勢いよく空のグラスをデーブルへと置くと直ぐさま追加の注文をする。

「俺はあいつのためにフったんだぜ? 普通の恋愛したほうがいいって気遣いしたわけよ」

 酔っているのか頬を仄かに染め眉間にしわを寄せる姿に萩原は苦笑するしかなかった。
 この話を聞くのはもう何度目か、数えるのも面倒になったくらいには同じような話をこうして飲みに付き合いながら聞いている。

「チッ……や、でも顔は俺のほうが断然上だろ?」
「まぁたしかにお前顔はいいもんな。じゃあやっぱ中身なんじゃねーの?」
「それ俺に喧嘩売ってるのか?」

 慰める気も励ます気もない親友を睨みつければ笑って流された。知ってたさ、お前はそういう奴だ。

「だいたい、未成年に告られたら断るのが普通だろ?警察なら尚更!!」
「まぁなー……あーでも名前を嗾けたの俺だからなぁ」

 なんでもないかのような顔で衝撃的な告白をされた松田は追加で運ばれてきたビールのグラスを持ったまま固まった。
 そんな親友に気付いているのかいないのか、萩原はつまみに箸を伸ばして言葉を続ける。

「年上を好きになっちまって告るかどうか迷ってるっつーから『言っちまえば?』って俺があいつを唆したんだよ」
「……は?」
「いやーでもよ、さすがの俺も相手がエリート様だとは思わなかったわ」

 名前も結構やるよなぁーなんて他人事みたいに笑う男を殴っても許されるだろ? もちろんだ、俺が許す。

「お、まえ……お前のせいかぁ!」
「悪かったって!! 俺だって相手は誰だか知らなかったしまさか俺等より年上だなんて思ってもみなかったんだよ!」
「お前のせいでっ! 俺の可愛い名前がっ!!」

 テーブルを挟んで胸ぐらを掴んでやれば焦ったように弁解する萩原が気まずげに視線を逸らすと、何かに気付いて片手を上げた。
 こっちだこっちーと声を上げる萩原の視線の先を見れば、今絶賛話題の人物がなぜかここにいるではないか。
 おいどういうことだ?

「酔っ払ったお前を家まで送るなんざ俺は嫌だぜ? だから名前を呼んでおいた」
「俺は酔ってねぇぞ」
「いや相当飲んでるからな?」
「松田さんどれくらい飲んだの?」

 呆れながら座敷に上がって松田の隣に座った名前は「数なんて数えてねぇよ」という返答に困った人だなぁと苦笑した。
 メニュー表を眺める名前をビールを口にしながら見ていると、長めの髪に隠れた首筋に紅い痕があることに気づく。
 ──こんな痕つけといて手出してねぇって? 冗談だろ。

「お前暫くは外泊禁止な」
「え、なんで」
「なんでもだ」
「横暴……俺が風見さんと付き合ってるのがそんなに嫌?」
「……嫌なわけじゃねーよ」

 最初は情けない男だと思っていたが関わっていくうちにエリート特有の高飛車な態度が気に食わなくなった。
 だが名前に対する想いは本物で、こいつを大事にしたいという気持ちは悔しいことに自分と同じだ。

「遊びで付き合ってるわけじゃないよ。ちゃんと真剣だし」
「それだよ、それ。真剣になるほうが困るんだ」
「なんで松田さんが困るんだよ」
「そりゃあ可愛い我が子がおっさんに夢中になってるなんて嫌だろ」
「それ言ったら松田さんもおっさんだけど」

 減らず口を言うのはこの口か?
 適当に皿の上から箸で摘まんで名前の口元へ持っていくとなんの迷いもなくそれを口に含んだ。
 あぁくそ、可愛いな。親バカ?んなこととっくに知ってる。

「とにかく俺が許可を出すまで風見サンとこに泊まるのはなしだ」

 最近やけに名前を束縛したがるがそれはきっと俺の態度にも問題があるのだろう。だからと言って直す気はさらさらないが。
 名前が風見という男をかなり気に入っていて、俺よりもずっと好きなことはもう明白だ。
 いつかは祝福してやる。いつかな!今じゃないぞ!

「そういや名前はあの人のどこに惚れたんだ?」
「え……それ言わなきゃいけねぇの…?」
「だって気になるじゃん。松田も聞きたいよな?」

 俺に振るんじゃねーよ。つか絶対に聞きたくねぇわ。
 据わった目で萩原を見ればへらへらと笑い返されて、なんだかこっちも力が抜ける。

「あ、電話だ」

 携帯を手にした名前が立ち上がろうとするので腕を掴んで止めさせる。

「別にここで電話しても構わねぇよ」
「あー……分かった」

 座り直した名前が通話ボタンをタップして耳元に電話を添えた。
 なにをそんな気まずい顔をするのか。

「もしもし……今? 駅前の居酒屋だけど……え、でも松田さん達もいるし……まぁあんたがいいなら俺は構わないけど」

 どうやら名前の知り合いがここに来るらしい。
 通話を終えた名前が携帯をポケットに仕舞って、気を落ち着かせるように水を一口飲んだ。

「どうした?」
「……風見さん、今からここに来るって」
「……はぁ?」

 あれほど本庁では俺と顔を会わせるのを嫌がっている男がなぜ?
 おい萩原笑ってんじゃねーぞ。
 こんな状況、面白くもなんともねぇ。



 side H

 なかなかに面白い状況に居合わせたもんだ。
 最悪だった松田の機嫌が名前のおかげで回復したのも束の間、今では今朝以上に不機嫌になっている。

「あんた手ェ出してねぇって言ってたが、ありゃなんだよ」
「さぁ? 虫刺されだろう」
「おいおい、俺にそんな子供騙しが通じるとでも?」

 わざわざ隣り合わせにならないように名前と座る位置を変えたはいいが、向かい合わせになったら意味ないだろうに。
 名前が電話をしてから程なくして現れたのは生真面目にスーツをばっちり着こなした警視庁のエリート様。
 第一印象の真面目な人間というのは今でも変わらないが、松田に対する態度の変化には驚いたし毒付く二人は見ていてなかなかに面白い。
 もしかしたら、案外気が合うのではなかろうか。

「ちょっと萩原さん」
「ん?」

 隣で言い争いを繰り広げる二人をにやにやと見ていれば、向かいに座っていたはずの名前がテーブルを回って近づいてきた。

「楽しそうに見てるのはいいけど、そろそろ止めてくれない?」
「無茶なお願いすんなっての。俺じゃ火に油を注ぐだけだ」

 俺が止めに入るより名前がたった一声かけるだけであの二人は大人しくなるだろう。
 それに気付いていないこいつには申し訳ないが、もう少しこの状況を楽しみたい。

「そこまで言うなら、分かった。名前が成人するまで手を出すのは控えよう」
「なんだ話の分かる奴じゃねーか」
「つまりこの先も名前との交際は問題ないってことだな?」
「前言撤回だ!」

 まるでコントだな、なんて笑いながら見ていれば近くから溜め息を吐く声が聞こえ、再度名前に目をやる。
 我が弟分は二人からこんなに愛されちゃってまぁ大変だな。
 こういう時、俺は基本的に傍観に徹することを信条としている。巻き込まれるのはごめんだからな。

「なぁ名前」
「なに? 止める気になった?」

 でも、そろそろ俺だって動いていいだろうか。
 呆れた目を向けてくる名前の顎を掴み、チュッと可愛らしい音を立ててキスをした。

「こいつ等なんかやめて、俺にしとく?」

 目を瞬かせて萩原を見つめる名前であったが、ふとその後ろに視線を向けて顔を引きつらせた。

「はーぎーわーらー?」

 見なくても分かる。松田が鬼の形相をしてるんだろ?
 肩を掴まれ振り向けばやはり怒り心頭の親友様がいるじゃないか。俺ってば結構松田のこと理解してるよな。
 逃げるように風見の隣に避難した名前を横目で見ていると胸ぐらを掴まれ前後に振られる。

「なんでてめぇが名前に手ェ出してんだ! おかしいだろ!!」
「えーおかしくねぇよ? 俺も名前のこと愛しちゃってるし」

 弟分として、家族みたいな感覚でってことだけど愛してるってことには変わりないし間違ってない。
 まぁ名前なら余裕で抱けるし、もし俺に好意を寄せてくるのであれば全力で応えることはできる。

「そういや言ってなかったけど、実は名前に男を教え込んだの俺なんだよね」

 胸ぐらを掴んでいる松田の動きがピタリと止まった。
 あ、やべーな言葉のチョイス間違ったかも。まぁわざとだけど。
 風見が不安そうな顔をして隣に座る恋人に視線を送れば、名前は呆れた様子で萩原を睨んでいた。

「本当なのか……?」
「いやいや違うから。たしかに知識は教えてもらったけど、実際にヤったりしてねぇよ」

 まさしくその通りだ。
 まだ松田のことを好きだった頃の名前にいろいろと教えてやった。
 もちろん触れちゃいない。俺は紳士だからな。

「……」
「嘘じゃねーって。……俺は、あんたとしかシたくない」

 名前は無言で自分を見つめてくる恋人に息を吐いて、太ももの上に置かれた手を絡め取る。

「俺の言葉を信じないわけ?」
「……信じるに決まってるだろ」

 それに応えるように暖かい手を握り返し、上書きするようにその唇にキスを落とした。
 おー見せつけてくれるねぇ。しっかし風見さんも案外攻めるタイプなんだなぁ…意外だ。
 ふと首元が楽になり目の前に視線を戻せば、ようやく我に返った松田がわなわなと震える手で名前達を指差した。

「おいそこ! 俺の目の前でイチャつくんじゃねー!離れろ!!」
「イチャつくってもう死語だぜ?」
「うるせぇなお前は黙ってろ!!」

 なんだかんだ言って松田はこの二人の仲を認めつつある。
 でもそれじゃあ少しつまらないから、もうちょっとだけ掻き乱したくなってきたのは誰にも内緒だ。