深い眠りから浮上した意識にゆっくりと目を開く。
ぼんやりとした視界に映るのは普段かけている眼鏡を外し、無防備な寝顔を晒している年上の恋人。
男二人では少し狭いセミダブルのベッドで目覚めることにはもう慣れてしまった。
そっと手を伸ばし頬に触れれば、僅かに瞼が震えて薄く目が開かれる。
「ん……朝か……?」
「多分」
「……何時だ?」
「知らない。まだ寝てれば?」
優しく頬を撫でると薄く開かれた目は閉じられ、腰に手を回され引き寄せられた。
少しして聞こえてきた寝息に、二人の間の隙間を埋めるように身じろぎして名前も目を閉じる。
──何日振りだろう。いや、何ヶ月振り、か。
元々、頻繁に会うような二人ではないけれど、今回はどうにも予定が合わなかった。
ある事件が山場を迎えるから暫く会えないと告げられ、それならばとバイトのシフトを増やしたり少年探偵団の保護者役を引き受けたりしていたらお互いの休みが噛み合わなくなったのだ。
『明日は1日空けておいてくれないか?』
そんな連絡をもらったのは昨日の夜のこと。
シフトを増やしていたおかげで急な交代でもバイト仲間は潔く引き受けてくれた。
その日のバイトを終わらせた後、阿笠邸に戻ることなくマンションへとバイクを走らせれば、丁度仕事帰りの風見と駐車場で出会した。
驚いた様子で車を降りてくる風見にヘルメットを外して笑いかける。
『明日と言わず今日の夜からでもいいだろ』
そんな具合でこうして一緒に寝ているわけで、今日は1日なにも予定はない。
だから時間も気にせず傍にある温もりに身を任せられる。
襲いくる睡魔に抵抗することなく再び眠りについた。
頭を撫でられる感触に意識が引き上げられる。
子供をあやすようなそれがなんだか懐かしくて、瞼を持ち上げるのが勿体ないように思えた。
荒い手つきのあの人とは違う優しい仕草に、どうしてか面影を重ねてしまう。
まるで「俺のことを忘れるんじゃねーぞ」と言われているみたいだ。
目を開けて視線を上げれば、優しく細められた瞳と目が合う。
「起きたか?」
「……うん」
全然似てないのに、なんでだろう。
髪を梳くように撫でていた手が首元を辿り頬を撫でた。
「おはよう」
「……おはよ」
指先で顎下を擽るように撫でられ気持ちよさに目を閉じる。
似てない、けど似てる。でもどこが? 分からない。
思考を巡らせても寝起きの頭では答えは見つからず諦めた。
唇に温かいものが触れてゆっくりと目を開ければ、近づいていた顔が離れていく。
「……それだけ?」
「昨日たくさんしただろう」
「じゃあ、もう一回だけ」
啄ばむように唇を重ね、すぐ近くにある瞳を見つめれば瞬きすら惜しむように視線が合う。
お互いに言葉は必要なかった。
名前は自分に向けられる熱の籠った瞳を見れば風見の気持ちを理解できたし、風見は触れた肌の温もりとまるで猫が甘えるような仕草に名前の気持ちを感じとっていた。
これ以上ベッドの上で触れていてはせっかくの休日を無駄にしてしまうと思った風見は名残惜しげに身を起こし、床に落ちていた携帯を拾い上げる。
「もう12時になるな」
時間が分かると途端に空腹を感じて、名前は仰向けになり軽く体を伸ばした。
「飯、どうする?」
「名前が作ってくれるならなんでもいい」
「人任せだな」
「僕の手料理を食べたいっていうなら頑張るが」
困ったような顔をしてこちらを見る風見に、以前食べさせてもらった食事を思い出す。
決して不味くはなかった。ただ調味料の分量が多かったり少なかったりと味が不安定なのだ。
普段がコンビニ弁当やスーパーのお惣菜で済ませているせいか、上達の兆しは見えない。
「俺が作った方が良さそう」
名前は小さく笑って起き上がり、床に足をつけキッチンへと向かった。
キッチンに立って昼食の準備をしている名前を食卓の椅子に座り頬杖をして眺める。
彼と会うのは数ヶ月振りだ。
会えない日々が辛いなどと子供のようなことは思わないが、やはり物足りなさは感じていた。
普段もお互いに忙しく月に何度も会うような間柄というわけではない。
社会人と学生の差は想像よりも大きいものだ。とくに自分は警察という職種であるから尚更そうだ。
「なぁ味見してくれない?」
ただぼーっと眺めていた風見は声をかけられてハッとし、椅子から立ち上がり名前の傍に寄ると味見用の小皿を渡された。
味噌汁でも作っているのかと思ったらどうやら違ったらしく、口に含めば少しとろみのあるそれは自分好みの濃いめに味付けされたスープだった。
「美味いな」
「濃さはどう?」
「丁度いい」
多分彼は無意識なんだろう。
手料理を食べる度にどんどん自分好みの味へと変わっていっている。
器用な彼のことだから風見が好みの味付けを言えばすぐに対応するだろうに、ゆっくりと変化していく様子から彼は気づいていないことが分かる。
「あと5分くらいで出来るから待ってて」
「手伝おうか?」
「昨日まで忙しかったんだろ?いいから座ってろよ」
そんな些細なことに幸せを感じている。
相変わらずぶっきらぼうなところはあるが、その内にある気遣いや温かみがどうしようもなく愛おしい。
「風見さん?」
コンロの火を止めた名前の頬をスルリと撫でて顔を少し上げさせ、触れるだけのキスを落とす。
「名前で呼んでくれないのか?」
「まだ、慣れなくて」
気恥ずかし気に視線を逸らす名前の薄く開いた唇を塞ぐ。
焦らすように舌先だけ触れてから、少しだけ唇を離した。
「呼んで」
「っ……裕也、さ」
唇が閉じる前に舌を差し込み貪るように口付ける。
名前の腰を抱き体を密着させ、頬を撫でていた手は逃げられないように後頭部を抑えていた。
舌でくすぐるように上顎を撫でると、肩を震わせて体を離すように胸を押される。
「んっ、は、……飯、冷める」
「……そうだな」
もう一度だけ触れるキスをして体を離した。
「元気そうだからやっぱ手伝って」
キッチンを出ようとした背中にそう声を投げかけられ思わず苦笑が漏れた。
先ほどベッドの上で名前を諌めたのは自分のくせに、どうも久々に会ったせいかうまく歯止めが効かないみたいだ。
風見が先ほど味見したのはどうやら卵スープだったようで、昼食は炒飯と卵スープの中華だった。
思っていた以上に空腹だった二人は早々とそれらを平らげて、とくにすることもなくソファで寛ぎながらテレビを眺め始める。
出不精というわけではないが、お互いに行きたいところがなければいつもこうして風見の家でだらだらと過ごしているのだ。
この時間が、風見は好きだった。
仕事では常に神経を尖らせているせいか、この緩やかな時間は心を癒してくれる。
「この人結婚するんだな」
テレビに映るワイドショーに意識を向ければ、電撃結婚というテロップが流れていた。
「ファンなのか?」
「芸能人とか興味ない」
その言葉通り本当に興味のなさそうな顔をする名前に少しだけ笑う。
「いつもそれだな。何になら興味あるんだ?」
「バイクかな」
「それはもう興味じゃなくて趣味だろう」
ふと気になって名前が興味のあるものはなんだろうと問いかけてみれば、すぐに答えは出ないのか考える素振りを見せる。
ワイドショーは次の話題に移っていた。
テレビから視線を外した名前が隣を見上げる。
「あんたは? 何に興味あんの?」
どうやら答えは出なかったみたいだ。
「そうだな……」
自分に聞かれて分かったがこれは咄嗟に答えられない。
思考を巡らせてみたが一つしか見つからなかった。しかもこれは聞いていいものなのか分からないデリケートなものだ。
──松田とは君にとってどういう人間だったんだ。
やはり聞くのはやめよう。
「なぁ、この事件ってあんたが関わってたやつ?」
なかなか答えない風見に飽きたのかワイドショーで取り上げられた事件の内容にそう尋ねられた。
意識をテレビに戻せば確かに自分が関わっていた事件が報道されていたが、表向きには公安は関わっていないことになっている。
「悪いがそれは言えないな」
「つまり関わってたんだ」
様々な事件に巻き込まれてきた経験だからだろうか。
詳細は報道されていないにせよ事件の方向性などから公安が関わっていると、彼は分かりきっているようだ。
立場上、事件について教えることはできない。
「心配かけて、すまない」
手触りのいい髪を梳くように頭を撫でれば、名前は小さく笑って風見のほうに顔を向けた。
「いいよ。警察ってそういうもんだって分かってる。それに、もう慣れっこだから」
何かを思い出すように、懐かしそうに目を細める。
時々、彼の頭を撫でているとき、こういう表情を浮かべることには気づいていた。
「俺が昔憧れてた人も警察だったんだよ」
あんたとは立場も所属も違うけど、と擦り寄るように身を寄せてきて肩に頭を預けられる。
「今度、あんたにはちゃんと話すよ。松田さんのこと」
一瞬、自分が考えていたことが彼に伝わってしまったのかと心臓が跳ねた。
しかしすぐに頭を冷静にさせる。もしかしたら彼は、ずっと伝えようとしていたのかもしれない。
なら自分は、待つしかないのだ。
頭を撫でられて気づいた。
あぁそうか。自分よりも大きな手が、居心地のいい温もりが、似ているんだ。
松田さんの荒っぽい撫で方も好きだったけど、今はこの人の優しい手つきが好きで仕方がない。
俺はどうも、この人の優しさに弱い気がする。
しばらくの間会話はなく、部屋にはテレビの音だけ。
ふと、名前はあることを思い出した。
「そういえばあんたの上司、犬飼い始めたみたいだな」
「あぁ降谷さんか……野良犬に懐かれてそのまま飼うことにしたみたいだ」
「ふーん」
自慢気に写真を見せてくる姿を思い出して話題に出したことをさっそく後悔しそうだ。
二人の間に共通する人物が安室もとい降谷くらいしかいないのだから仕方がないことではある。
「あんたはペット飼わないんだ?」
「あまり構ってやれる時間もないしな」
そりゃそうだろう。
むしろ風見よりも多忙を極める降谷がよくペットを飼ったものだと内心驚いたくらいだ。
そんなことを名前が考えているとは知らない風見は、自分の肩に寄せられている頭に口付けた。
「それに僕には君がいるからペットは必要ない」
恥ずかし気もなくそう言ってのける風見に思わず溜め息が漏れる。
「あんたって結構恥ずかしいこと平気で言うよな」
「事実を言ってるだけだが?」
「……そうですか」
この天然なところは調子狂うからちょっと苦手だな。
お返しとばかりに、風見の眼鏡を奪って伸し掛かるように唇を塞いでソファに押し倒した。