cravate01


 東都水族館で起こった黒の組織の関わった騒動から暫く。怪我の具合も落ち着きバイクに乗れるようになった頃、名前は警視庁へと赴いていた。なのだが、駐車場にバイクを停めヘルメットを脱いだ後も車体に寄りかかって腕を組みながら顔を顰めるばかりで建物の中へ入る素振りはない。バイク便や出前のバイト中で用があるのなら平気で入るのだが、今回はそうもいかなかった。

「このまま乗り込んであの公安刑事に会わせてくれ、なんてかなり怪しいよな」

 そう。今日警視庁へと来ていたのは東都水族館での一件で顔見知りとなった公安刑事に会うためだ。だが、たった一度事件で邂逅しただけの相手なのでもちろん連絡先など知っているはずもなくアポイントメントなど取っていない。懸念する通り、面会を求めても取り次いでもらえるとは思えない。こんな時小さな探偵がいれば何かいい考えを思いついてくれそうなものだが生憎と小学生は学校があって今はいないのだ。
 次のバイトの時間までにどうにかできなければ今日は諦めよう。そう考えて腕時計に視線を落としてから軽く肩をすくめる。そして無意識にポケットに入った煙草へと手を伸ばした。

「あら? 名前くんじゃない」

 指先が煙草の箱に触れた時、目の前に一台の車が止まり顔見知りの刑事が顔を覗かせる。警視庁捜査一課の刑事である佐藤だ。危うく喫煙を見られてしまうところだったとポケットから手を引いた。

「どうも」
「貴方がここに来るなんて珍しいわね」

 駐車された車の運転席から降りてきた佐藤は警察嫌いの青年を興味深そうに見る。いくら事件に巻き込まれるからと言っても署まで同行して事情聴取なんてことは極力避けてきた名前だ。おまけに高校入学を機に荒れた生活を送っていたため何度か警察の厄介になっていることも知っている。だから一人で警視庁へと来ているのは珍しい。
 名前自身もその自覚はあるのか気まずそうに顔を背けるようにして視線を逸らす。そこに一足遅れて助手席に乗っていた高木が降りてきた。どうやら二人は巡回の帰りだったようだ。

「なにか事件でもあったのかい?」
「……俺は好き好んで事件に遭遇してるわけじゃないからな」

 江戸川みたいに厄介ごとに首突っ込むわけないだろ、と眉を寄せ少し睨むように高木に視線を向ければ苦笑いを返される。では事件でなければどうしてここにいるのか。その佐藤たちの疑問に答えるべく少し考える素振りを見せてから組んでいた腕を解いた。

「公安の風見って人に返すものがあって来たんだけど、アポとってるわけじゃねーからどうすっか悩んでたとこ」
「そういえば、東都水族館で公安刑事を助けたって言ってたわね」
「しかし公安部ですと僕たちでも確認のしようがないですね」

 同じ警察といえども部署が違えば繋がりもそこまで強いわけではないらしい。どうしたものかと三人揃って頭を捻っていると何か妙案を思いついたらしい佐藤が顔を上げた。

「そうだわ。目暮警部に頼んでみましょう」

 そうと決まれば善は急げとばかりに名前は腕を掴まれ警視庁へと入っていく。署の刑事たちと一緒だからなのかとくに怪しまれることなく辿り着いた場所は捜査一課のオフィスだ。一方の目暮は突然部外者を連れて帰ってきた部下二人に何事かと目を瞬かせた。その様子にそりゃ驚くよなと少々申し訳なく思うが、自分も進んでオフィスまで押しかけたわけではないからご愛敬ということでいいだろう。
 目暮のいるデスクの前まで行くと名前が話を切り出すよりも早く、佐藤がことの顛末を簡潔に伝えた。さすが刑事、無駄がないなと感心していると話はトントン拍子に進んでいく。

「というわけで警部にお願いできないかと思いまして」
「なるほど。確かに公安部ともなれば接触を図るのは難しいだろう」

 話を聞いた目暮がうむ、と一つ頷きデスクに置かれた電話の受話器を取った。有難いことに突然の頼み事を引き受けてくれるようだ。

「そうですか。わかりました────どうやら今は署にいないようだ」

 通話相手と事務的なやり取りをして受話器を置いた目暮は力になれずすまないねと言葉を続けた。いくら不良高校生だからといって常識がないわけではない。謝罪なんてされる必要はなくむしろ目的の人物が不在であることが判ったのだから感謝したいくらいだ。
 しかし目暮によればその公安刑事は戻り時間も現状では決まっていないらしい。ずっとここで待つのは得策ではない上に次のバイトまでの時間も迫ってきていることもあり日を改めることにした。名前は隣にいた高木からメモ用紙を一枚貰い、ペンを借りてスラスラと番号を書いていく。そして番号の下に自分の苗字だけを付け足してから、その紙を目暮へと渡した。

「これ俺の番号なんで。もし風見って人に会ったら渡しておいてもらえますか」

 次にまた警視庁へ足を運んでも今日のように公安刑事が不在である可能性は十分に高い。アポが取れれば一番いいのだが署へ問い合わせるのも気が進まないし、先ほど言われたとおり公安が相手では門前払いを喰らいそうだ。ならば一か八かではあるが向こうから連絡をさせればいい。それが一番効率がいいだろう。目暮が紙を受け取ったのを見届けバイトがある旨を伝えると、名前は早々に警視庁を後にした。
 結局その日、電話がかかってくることはなかった。




 ────苗字名前。彼にも僕が組織に潜入している公安警察だと知られている。
 以前、風見は上司である降谷からそう報告を受けたことがあった。最初は聞き間違いかと疑っていたがどうやら本当のことで、なぜ知っているのか訊ねるとFBIと少なからず関わりがあるらしい。ただの高校生がFBIと繋がりがあるなんて普通ではない。そう思ったのは降谷も同じだった。調べてみるとよく事件に巻き込まれていることが解り、中にはFBI捜査官が関わるものも含まれている。であれば、何かの事件をきっかけに繋がりが生まれたのだろう。そう結論に至ったのは他に怪しい経歴が見当たらなかったからだ。
 降谷から彼について聞かされたのは赤井秀一が生きていると判明したすぐ後のこと。なぜ今そのことを思い出しているのかという疑問の答えは至極簡単だ。手元に視線を落とすと、そこには捜査一課の目暮から手渡された一枚のメモ用紙がある。書かれていたのは羅列する数字と苗字の文字だけ。安室透の正体を知っている人物であり、東都水族館の観覧車で風見を庇い怪我を負った青年の名前だ。
 どこか気が重くなっているのは降谷が安室として情報を得るために接近したがなかなか隙を見せてくれないと随分嘆いていたのを知っているせいだろう。どれだけ取り入っても入手できないと言っていた彼の携帯番号をこんなにも容易く風見は手に入れてしまったのだ。報告したほうがいいのだろうか。いや、きっと八つ当たりされるからやめておこう。圧のある目力でこちらを穴が空くほど無言で見つめてくる上司の姿を想像してしまい慌てて頭を振ってかき消した。
 とにかく一度連絡を取ってみようと書かれている番号に電話をかけてみる。数回のコール音の後繋がった。こちらの名を名乗り、番号が間違っていないか確認する。

『風見……あぁ、公安の風見さん?』
「そうだ。先日警視庁に来たようだが」
『そうそう。ネクタイを返しに行ったけどあんたいなかったから』

 ネクタイ、と言われ東都水族館でのことが瞬時に脳裏に浮かんだ。左腕に巻かれたネクタイに滲んだ血がじわじわと広がっていく様子は今でもはっきりと覚えている。事件後、確かに彼は返しに行くと言っていたが風見は忙しさのあまりそのことをすっかり忘れていた。というのもネクタイの一本なんてどうでもいいとさえ思っている。しかし電話の向こうから返したいんだけど時間は空いていないのかと問われ慌ててスケジュールを確認するのだった。
 それから数日後の夕方。仕事の合間にできた空き時間を利用し待ち合わせ場所へ向かった風見を待っていたのは、バイクに寄りかかり煙草を吸っている青年だった。見間違えるはずもない。自分を庇い怪我をした苗字名前だ。妙に煙草を吸う姿が様になっていて一瞬気が逸れてしまったが、彼はまだ高校生のはずだとすぐに顔を顰める。

「二十歳未満の喫煙は法律で禁止されている」
「知ってる」

 こちらを見ずに答える彼の口元から煙草を奪うと、ようやく顔を向けてきたその表情は随分と不満そうだった。どんな表情をされても大人として、警察として見過ごすわけにはいかないのだ。

「それ、火つけてないからまだ喫煙はしてないけど?」

 試すような目線を向けられ、煙草を見てみると確かに火はつけられておらず真新しいままだった。だが名前の言葉に引っかかりを覚えて眉を寄せる。

「まだ、ということはこれから吸うんだな?」
「あー……」
「没収だ。他の煙草も出しなさい」

 手を差し出し一向に引く気配もない風見の態度に名前が溜め息を一つ吐いた。面倒くさいという雰囲気を隠すことなくポケットから煙草の箱を取り出すと、なんと投げて寄越してきたのだ。一瞬呆気にとられたがなんとか落とすことなくキャッチする。ついでとばかりにどこで購入したのか聞けば学校近くの自動販売機だという。それを聞いて今日は没収できたがまた喫煙をするのだろうことは容易に想像できる。吸わないように注意してみるも適当な返事をされるばかりで効果はなさそうだ。

「もう煙草の話はいいだろ。それより、これ」

 うんざりしたような表情を露わにする名前はバイクのシートを開けると中に入っていた紙袋を突き出してきた。受け取った紙袋の中には見覚えのあるネクタイと一つの箱が入っている。しっかりとクリーニングされたネクタイは血に染まったとは思えないほど綺麗になっていたが、しかしこの箱はなんだろうか。不思議そうに箱を手に取ると開けてみろという目線が向けられた。
 綺麗に包装されたそれを開けるとなんと新品のネクタイが入っていた。普段から使用している装飾品だからこそ生地に触れればそれが安物ではないことが解る。だがなぜこの新品のネクタイを一緒に渡されたのか、その意図が解らなかった。戸惑いから固まっていると得意気な顔をした名前がネクタイを手に取り、動向を見守る風見の首元に押し当てる。その行為にさらに戸惑いが強まった。

「お、おい」
「暗くてよく見えねぇけど、あんたに似合う色を選んだつもりだから使ってよ」
「そういうことを聞いているんじゃない」
「あぁ……あんたから借りたネクタイな、結構血を吸ってたしクリーニングには出したけどあんま使いたくねぇだろ」

 だから買ってきた。平然とそう言いながらネクタイを箱に戻した名前に開いた口が塞がらない。そもそもネクタイを彼に貸したのは自分が原因で怪我を負わせてしまったからだ。正直なところ汚れてしまったものをわざわざクリーニングにまで出してもらう必要だってなかった。命を救われた挙句、新品の贈り物まで用意されるなんて喜べるものじゃない。しかも一回りも年下の高校生にだ。

「受け取れない!」
「なんでだよ。警察ってこういうの受け取っちゃいけねぇの?」
「いやそうではないが……むしろお礼が必要なのは私だろう」
「なんで。あんたを庇ったことへの礼なら治療費出して貰ったしそれでチャラだろ」

 これはネクタイを借りたことへの礼だと言いながら箱を持っている手を強く押される。それでも納得できない風見であったが好意を無下にすることもまたできなかった。この場は仕方なく、そしてありがたく受け取っておこう。

「やはり私からもなにか──」
「じゃあさっきの煙草返して」
「それはダメだ」

 戸惑いから打って変わって厳しいその返答に名前が舌打ちをして顔を背ける。
 風見は事前に彼のことを調べていた。母親は数年前に病死しており、父親については記載がなかったこと。一人暮らしをしていたがアパートが火事に遭い今は阿笠邸に居候していること。そしてかなり有名な不良高校に通っていること。時間があればもう少し詳細を調べることは可能だが今はこれだけで十分だろう。口調の悪さや年上への態度、喫煙は見過ごせないがそんな彼にも正義感があることは身を持って知っている。だから先ほど没収した煙草を返すことはできないがこれ以上うるさく言うのはやめようと肩を竦めた。
 一方の名前はこれ以上お節介なやつが増えたら堪ったものではないと内心文句を言っていた。話していて改めて認識したが風見という男はすごく真面目なお巡りさんなのだ。まぁ警察は大抵真面目な人ばかりであるが細かいことはどうでもいい。
 そんなことを思われているとも知らない風見の視線が名前の左腕へと向けられる。

「怪我はもう大丈夫なのか?」
「ん、平気。バイクも乗れるしバイトも問題なくできてる」

 俺は傷の治りが結構早いから、と続けられ風見は安心したように強張っていた顔を和らげた。

「バイトで思い出したけどポアロでバイトしてる安室さんも公安なんだよな。東都水族館のときも観覧車にいたし、もしかしてあんたの部下?」
「あの人が私の部下!? ありえない!!」
「なんだ、上司はあっちか」

 本人がここにいるというわけでもないのに慌てふためく姿がちょっと面白いなと名前が口元を緩めた。それに気付いた風見はわざとらしく一つ咳をして気持ちを落ち着かせ、それから真剣な面持ちで目の前の高校生に視線を向ける。

「君に聞きたいことがあるんだが、あの人……ポアロではどんな感じなんだ?」

 随分と中身のない問いかけになってしまったと思わず眉を寄せた。自分でも分かっている。こういうことは本人に聞くのが一番いいのだと。しかしそれができないからこそ尋ねたい。

「どんな感じもなにも、客受けはいいし器用で手際もいいからとくに問題ないんじゃねーの」
「そうか……確かにあの人ならそこは問題ないが……」
「気になるんなら本人に聞けばいいだろ。同じ公安なんだし」
「あぁ、いや……そうだな」

 煮え切らないその返事に名前は内心面倒だと思いつつも話だけでも聞いてみることにした。

「俺でよければ話くらい聞くけど?」

 愛想のない態度だったがそう言われた風見は堰を切ったように不安や不満を吐き出した。その内容を簡単にまとめるとこうだ。上司は用件を伝えるだけ伝えて一方的に電話を切ってしまうため事の次第が全て事後報告で困っている。尚且つ彼は無駄なことを話さないから理由も解らず自分はただ指示に従っているだけ。一体上司がどこで何をどうしているのか、自分は本当に役に立てているのか、そればかりが気になってしまって不安もある。そこでポアロでバイトをしている安室と接触している時間の長い名前に、少しでもいいから彼の身の回りで起こったことなどの情報を教えてもらいたい、と。
 その話を聞いて実にどうでもいいなと名前は思ったがさすがに口には出さなかった。本人に聞け、とも思ったがこれも胸の内に留めておく。

「あんた何歳だっけ?」
「なんだ突然……30だが、それがどうした?」
「いや別に気になっただけ」

 名前は腕を組んでバイクに軽く寄りかかった。確か安室は29と言っていたからなるほど年下上司か。警察は縦社会って言うし結構振り回されて苦労しているのかもしれない。年下に生意気言われるのは腹が立つ時もあるしなぁと高校での生活を思い出しながら風見の気持ちも理解できなくもないと考えを改めた。

「ま、気が向いたらあんたに教えてやるよ」
「本当か!?」

 これでもかと嬉しそうな表情を浮かべる風見にこの人本当になにも知らされていないんだなと、なんだか少し同情心を抱いてしまいそうになる。そうは言っても名前自身も安室に対してそこまで興味がないせいかバイトを共にする日以外の行動など知るはずがない。だが、うまくいけば逆に公安から組織の情報を得ることができる可能性もなくはないだろう。風見と繋がることで今後、哀になにかあった時に公安を頼ることだってできるかもしれない。
 風見が名前を利用して安室の情報を手に入れたいというのなら、名前が風見を利用したいと思うのは当然だ。

「あんまり期待すんなよ? それから、このことは他言無用な」
「もちろんだ。こちらとしてもあの人には知られたくはない」

 懸念があるとすればこのことをコナンに言ってしまえば根掘り葉掘り聞き出してこいと言われるに決まっていること。それはとても面倒だと知っているから、二人の繋がりは内緒にしておくことにした。
 それは風見も同様で、降谷に知られてしまえば余計な詮索はするなとお叱りを受けてしまうだけでなく、信用問題にまで発展してしまう可能性もなくはない。仕事に影響が出てしまえばそれこそ本末転倒だ。だから名前からの申し出はとてもありがたいことだった。
 そして話しを聞きたい時は時間に融通の利かない風見のほうから連絡をするという取り決めをしてその日はお互いの連絡先を確認した後に解散した。


 後日。哀の無くしたストラップを探すためたまたま現場の近くにいた風見が事情を知らされないまま安室に手足のように使われたと知り、名前が可哀想にと同情したのは言うまでもない。