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 どうやら週末に花火大会があるらしい。
 隣のデスクから仕事がひと段落した部下がそう話題をふってきて、もうそんな時期なのかとカレンダーに目をやった。
 どうりで交通課がピリピリしているわけだ。

「やっぱ祭りって言ったら浴衣デートですよねぇ」
「そういうものか?」
「ド定番ですよ」
「……なるほど」

 行くつもりはなかったが、何となしに言われた部下の言葉に年下の恋人を誘ってみようかと自分のスケジュールを確認した。
 ふと浴衣なんて持っていたかと記憶を辿るが、この職に就いてからというもの仕事第一の生活ではそんなものは持ち合わせていない。

「浴衣ってどこで売ってるんだ?」
「さっそく実行に移すあたりが風見さんだなって思いますね」

 親切にもいくつか店を教えてくれた部下に感謝して、さっそく仕事終わりに車を走らせる。
 女物に比べて彩り豊かなわけではない男物の浴衣は選ぶのに時間はかからなかった。
 閉店までの時間はまだあるのでせっかくなら、と名前に合いそうな浴衣を探すがこれがなかなか見つからない。

「どれを着ても似合いそうというのも難しいな……」

 風見の目から見ても名前の顔は整っているし、無愛想でなければかなりモテるだろう。
 上司から聞いた話じゃ「苗字くんは年上の人に人気がある」らしい。その情報、できれば聞きたくなかったです。
 普段の服装を思い返してみたが、柄物から無地までを着こなしているのであまり参考にはならなかった。

「すみません、そろそろ閉店のお時間になりますが……」
「えっ、あ、すみません!」

 店員に声をかけられるまで気づかなかったことに羞恥心が込み上げ、慌てて自分用に選んだ浴衣を手にレジへ向かう。
 その途中、視界に入った一着の浴衣に足を止めた。

「お客様?」
「あの、これも一緒にお願いします」

 二着の浴衣が入った袋を手に、緩む口元を我慢しながら車に乗り込んだ。
 ──名前は喜んでくれるだろうか。
 我ながらいいものを見つけたと自負する。きっと名前に似合うだろう。

「早く見たいな」

 生憎と仕事は入っていたが前日まで頑張れば夜はなんとかなりそうだ。いや、なんとかしよう。
 
 そう決意して仕事にのめり込んだせいか誘いの連絡をするのが当日となってしまった。
 今日はバイトがないことはすでに把握済みだ。遠乗りするとも聞いていないしきっと家にいるだろう。
 浴衣も準備した。あとは名前が誘いに乗ってくれるだけ。
 昼休憩に合わせてデスクを離れ、誰もいない階段の踊り場で電話をかけた。

『今日仕事だろ?』
「休憩中だ」
『そう。お疲れ様』

 電話の向こうはなんだか賑やかで、微かに子供の声が聞こえる。

『休日なのにご苦労なことで』
「警察に休日なんてあってないようなものだからな」
『知ってる。それで?ただお喋りがしたいわけじゃないだろ?』

 要件を催促されて言葉に詰まる。
 いざ誘うとなるとなんだか気恥ずかしいものがあり、別に誰かに聞かれても困らないが周りに誰もいないかを確認した。

「今日は仕事が早く終わりそうなんだ」
『へぇ珍しい』
「それで……その、よかったら今夜−−」
『ねぇ名前お兄さんも一緒に浴衣着てこーよ!』

 風見の声を遮ったのは可愛い女の子の声だった。

『着ねぇよ動きづらい。さっさと準備しないと連れてかねーぞ』

 次いで聞こえた名前の言葉に出かかった声が止まる。
 まったく気にしていなかった。
 名前が浴衣を好まない可能性なんて十分にあり得たのに、そんなこと考えもしなかった。

『ごめん。それでなに?』
「あ、いや……花火大会、行くのか?」
『ガキどもに連れてけって強請られてな。今日は保護者が誰もいねぇんだよ』
「そうか……」

 そういえば彼はああ見えて面倒見がよかったんだったな。
 相手が子供じゃ仕方がない、か。

『なぁあんたもしかして−−』
「人が多いから気をつけて行くんだぞ。仕事に戻るからそろそろ切る」
『あ、おいっ』

 通話を切って息を吐く。自分からかけておいて一方的に切るなんてまるで子供だ。
 勘のいい彼のことだから、きっとこちらの意図に気づいてるかもしれない。
 恥ずかしい。中学生みたいにワクワクしていた自分が恥ずかしい。
 冷静になって考えてみたが、最初に誘ってから諸々準備するのが正しいんじゃないか。
 風見は思わず片手で顔を覆った。


 切られた電話に眉を寄せ、ちらりと後ろを見る。
 そこには少年探偵団が浴衣を身にまとい、屋台で何を食べるかで盛り上がっていた。
 今日の保護者を任せられたのは今朝のことだ。
 バイトがなく1日フリーの名前がソファで微睡んでいると慌てた様子の阿笠に起こされ、急遽用事が出来てしまった彼の代わりに子供達を花火大会へと連れて行ってくれと頼まれたのだ。
 世話になっている手前断れるはずもなく了承した。

「デートのお誘いだったんじゃない」

 歩美にお願いされて浴衣を着ることにした哀が隣に立ちからかうように見上げてくる。

「誘われる前に切られたよ」
「あら残念ね」

 肩をすくめた名前はどうしたものかと思考を巡らせる。
 コナンの話では、蘭は園子や高校の友達と一緒に行くことになっていて子供達を任せることはできない。
 安室は却下だ。子供達だけなら構わないが哀がいるからダメだ。
 他に適任はいないものか考えていると、ふと思い浮かんだ人物に思わず哀へ視線を向ける。

「なに?」
「いや、なんでもない」

 最近の彼女の対応を見る限り問題ないだろう。
 名前は握られたままだった携帯を操作して電話をかけた。

「あんたに頼みてぇことがあるんだけど」

 電話をしている間に準備が整ったのか、手を引かれるまま名前は家を出た。

 夕方になり花火を見るために人が多くなり始めた頃、待っていた人物がようやく現れて安堵の息を吐く。
 子供達と金魚すくいをやっていた名前が立ち上がると、その人物もこちらに気づいて近づいてくる。

「苗字くん」
「やっと来たか」

 ここにはいるはずのない人物の声が聞こえ顔を上げたコナンが目を見開く。

「あれ? なんで昴さんが?」
「俺が呼んだ」

 なぜ?と首をかしげる子供達を見下ろし、申し訳なさそうに後ろ髪をかいた。

「ちょっと用事できたから俺はここまでだ」
「えー! 名前お兄さん行っちゃうの!?」
「花火見ていかないんですか!?」
「一緒に見ようぜー!」
「悪いな。大事な用なんだ」

 不満の声を聞きながら苦笑すれば、気を利かせた哀が子供達を宥めてくれて名前は隣に立つ男に向き合う。
 夏だというのに首元まで隠した服を着る、この場に似合わない男──沖矢昴。

「じゃ、あと頼むな」
「えぇ。デート楽しんできてください」
「はぁ!? デート!?」

 沖矢の余計な一言に反応したのは幸いにもコナンだけだったが、思わず名前は舌打ちする。

「おい余計なこと言うな」

 愉快そうに口元を緩める沖矢を睨んでから、名前は雑踏の中を歩き出した。


 来訪を知らせるチャイムの音に玄関を開けると、今頃は子供達と花火大会へ行っているはずの名前がいて目を瞬かせる。幻か?
 ドアを開けたまま固まっている風見に呆れた目を向け、その体を押し退けて玄関をあがった。
 触れた感触に幻ではないと馬鹿な思考を振り払いドアを閉める。

「なんで、ここに……」
「だって誘ってくれようとしただろ?」
「そうだが……子供達はいいのか?」
「あいつらは花火が見れるなら俺じゃなくてもいいんだよ」

 いつまでも玄関先に突っ立っている風見の手を掴む。

「でも」

 その手を強く引っ張りバランスを崩した自分よりも体格の良い体を抱きとめた。
 顔を上向けて耳元へ口を寄せる。

「あんたには俺じゃないと意味ないだろ?」

 羞恥で耳を赤らめる風見に笑ってから体を離し、気恥ずかしそうな、でもどこか嬉しそうな表情を浮かべる顔を見上げた。

「花火にはまだ間に合うし、行こうよ」
「ま、待ってくれ……実は……」

 すぐにまた玄関へ向かおうとする名前を引き止めて、リビングへと手を引いていく。
 ソファに広げられた二着の浴衣に思わず風見を見る。

「わざわざ買ったの?」

 口元を押さえ視線を逸らしながら頷く様子に、少しずつ口角が上がっていくのが自分でも分かった。

「俺のぶんも?」

 また頷かれる。
 ──ほんと、この人こういうところあるよなぁ。
 たまに可愛いと思わせる行動を無自覚でやってのける風見に、少しだけ胸が高鳴るのを自覚する。

「やっぱり見なかったことにしてくれ。君は着ないんだろうから」

 どうやら昼間に電話から聞こえた歩美との会話を気にしているようで、思わず笑いが漏れた。

「ガキどもと一緒のときは動きやすい格好でいた方が楽なんだよ」

 ソファから好みのほうの浴衣を手に取り、体にあてがう。

「着てもいいだろ?」

 嬉しそうに目を細める名前に、今度は何度も頷いた。

 浴衣に着替えて待っているとリビングのドアが開いて、名前が入ってくる。
 黒の布地に遠目からではあまり目立たないが近くに寄れば分かる和柄模様があしらわれた浴衣はとても名前に似合っていた。 
 自分が選んだ浴衣を身につけた名前の姿に湧き上がる高揚感。
 こんなにも嬉しく思うとは予想外だ。

「肌触りやばいんだけど、結構高かったんじゃねーの?」
「気にするな。よく似合ってる」
「なら、いいけど」

 あまり納得のいっていない顔をする名前の頬を撫でて、少しばかり開きすぎた襟元を掴み整える。

「脱がすのかと思った」
「せっかく着せたのにそんなことするわけないだろ」
「でも脱がせたいと思ったろ?」

 人をからかうような挑発的な笑みを向けられ視線を逸らす。
 断じてそんな破廉恥なことは考えていない。…ほんの少しだけだ。
 これ以上からかわれては堪らないと、名前の手を引いて家を出た。


 人混みの中、花火が見えやすいところへ歩いている途中に射的屋を見つけ足を止める。

「警察ってやっぱ射的とか得意なのか?」
「射撃訓練は欠かさないが、どうだろうな」
「試してみよう」

 何か欲しいものでもあるか?と尋ねてみたがこれといってないようだった。
 難しいやつを狙ってみてほしいと言われ、比較的に的が小さく倒れにくものに狙いを定める。
 一発目は惜しくも外れてしまったが、二発目で的を倒すことができた。

「へぇ……あんたすごいな」

 感嘆の声を出す名前に口元が緩む。あまり彼から褒めるような言葉は聞かないからかなり貴重だ。
 倒して棚から落とした景品を受け取り、再び歩き出す。
 人混みから少し外れた場所で足を止めて花火が打ち上がるのを待った。

「さっきの景品はなんだったんだ?」
「んー……ヘアピンだな」

 名前が小さな箱から取り出したのは和柄模様と小さな鞠の装飾が付いたヘアピンだった。
 どう見ても女物のそれに息を吐いて、歩美にでもあげれば喜ぶかと思っていると掌からそれを取っていく骨ばった手。
 不思議に思ってその手を視線で追えば、長い横髪を耳にかけられピンを差し込まれた。

「女物なんだけど」
「似合ってて可愛いぞ?」
「……それフォローになってねぇよ」

 思わず外してしまおうかと腕を上げた時、夜空に光が広がった。
 周りから上がる歓声と腹に響く大きな音。
 知らずのうちに手を下ろし、打ち上げられる花火に見入っていたようで繋がれた手に暫く気づかなかった。
 ちらりと風見の横顔を見る。
 こうして誰かと肩を並べて花火を見上げるなんてこと、なかった。

「裕也さん」

 その声は花火にかき消され届かなかったが、自分に向けられた視線に気づいた風見が見上げていた顔を下げる。
 少しの間視線が合い、名前は目を細めて口元を緩めた。

「なぁ……いいこと教えてやろうか」

 繋がれた手を一度離し、ゆっくりと指を撫でるように絡めていく。
 顔を近づけてくるのに合わせて、声を逃さないように風見も顔を寄せる。

「俺、真面目にお付き合いするのってあんたが初めてなんだよ」

 今度はしっかりと届いた声に、風見は目を瞬かせた。
 そして嬉しそうに笑みを浮かべるその頬を撫でる。

「君は……僕を喜ばせるのが上手いな」

 耳元でそう告げて、花火の光が消えた暗闇の中でキスを交わした。