ハンドルを握る手を徐に触れられて赤信号から助手席に視線を向けた。
そこに座るのは交際を始めたばかりの年下の恋人。
「どうした?」
平静を装って声をかけてはいるが、彼の行動にはいつも気持ちが落ち着かなくなる。
自分だけが意識しすぎているようで恥ずかしい。
青信号に変わったのを機に温もりが離れていくのが少しだけ名残惜しく感じた。
「俺……あんたの手、好きだな」
深く椅子に座る名前が自分の手を眺めながらポツリと漏らした言葉に思わず目を瞬かせる。
随分と急な告白に返す言葉が咄嗟に浮かばない。
ついさっきまでの彼との会話を思い出してみても、それはあまりにも唐突だった。
風見が応えられないでいることは気にしていないのか、名前は運転中の横顔を見つめて挑発的に口元を緩めた。
「なぁ……もっと触らせてよ」
その艶の色が込められた声音で呟くように吐かれた言葉に、カッと体に熱が走る。
「っ……運転中だ」
「運転してなきゃいいんだ?」
「あ、いや……っあまり困らせないでくれ」
頬を少しだけ染めながら眉を寄せる風見に、つい笑いが漏れた。
隣から聞こえる控えめな笑い声に思わずムッとして交差点を曲がり、名前を送っていくためのルートから少しずつ逸れて街外れの高台へと車を走らせた。
「素直じゃねーよな、あんた」
揶揄うような彼の声は聞こえないふりをして、車通りの少ない道路脇に停車する。
窓の外に視線を向ければ都内の夜景が一望できた。
ピントを外の風景から窓に映り込む挑発的な笑みを浮かべた名前に合わせると、間接的に視線が噛み合った。
眼鏡を押し上げる仕草でその視線から逃れて息を吐く。
「ただ手を触るだけだって」
「……触らせるだけで済ませる自信がない」
「別に襲ってくれてもいいけど?」
「そう簡単に言ってくれるな。僕にだって立場ってものがあるんだ」
そんな大人の言い訳に内心舌打ちした名前は綺麗に整えられているネクタイを掴んで引き寄せた。
「じゃあ、なんでここに来たんだよ」
真っ直ぐに向けられる瞳に捕らわれて、無意識に息を飲み込んだ風見の耳元へ唇を寄せる。
息を吹きかければ肩がビクリと震えるのが伝わってきて口角が緩く上がっていくのが自分でも分かった。
「期待だけさせるなんて、卑怯だと思うけど」
手を触るだけと言った手前これ以上刺激するのはやめておこうと顔を離せば、ネクタイを掴んでいる手を上からそっと握られる。
「手、だけでいいんだな?」
「いいよ」
自分のより少しだけ大きな手を両手で包み、骨ばった指を一本ずつ撫でた。
よく見ると小さな擦り傷や古い傷跡があることが分かり、その一つを指先でそっと触れる。
この手が、日本を守っているのか。
くだらない喧嘩で傷跡を残す自分とは違う、名誉あるもの。
それを自分なんかが触ってしまっては穢れてしまうんじゃないか?なんて、考えすぎか。
「あまり綺麗な手ではないだろう?」
「……俺には、綺麗に見えるよ」
以前、怪我の手当てをしてもらったときに風見から己の手が綺麗だと言われたけど、名前自身はそうは思わなかった。
人を傷つけることばかりするこの手が綺麗なもんか。
「好きだよ、あんたの手」
たくさんのものを守る大きな手が、好きだ。
別に守って欲しいわけじゃないけど、この人が守るたくさんの中に自分は含まれているのだろうか。
「そんなに好きなのか」
「あんたが思ってる以上にね」
もっと触れていたい。でも、それ以上に、この手に触って欲しい。
あんたに触って欲しい。
俺に、触れて欲しい。
皮膚の下の骨をなぞるように手の甲に指を滑らせ、そのまま指先まで撫でていく。
その指先の感触にぞくりと背中を快感が駆け上がり風見は思わず下唇を噛んだ。
それに気づいているのかいないのか、名前の手つきがだんだんと色を含んできているように思えてならなかった。
「風見さん」
「っなんだ」
「俺、触ってるだけなんだけど?」
やはり確信犯だった。
目を細めて挑発的な笑みを浮かべる名前の緩んだ口元に、衝動的にキスをしようと顔を寄せれば寸前で手を挟まれ阻止される。
「まだダメ。あんたの手にもっと触っていたい」
眉を寄せる風見に小さく笑って、その唇を塞いでいる自分の手に口付けた。
擬似的なキスの行為がより一層風見の心を焚きつける。
再び自分よりも男らしい手に触れ始めた名前は、骨ばった指先にキスを落としてそのまま手の甲へと唇を滑らせた。
「お、おい! 触るだけと言っただろうっ?」
「うん、言った。だからこうして口で触ってるだけ」
そう言いながら、わざとらしく何度も軽い音を立てていく。
「、あまり揶揄うんじゃない」
吐く息に熱が混じっていく風見を見上げれば、困ったような表情を浮かべていて思わず溜め息を吐いた。
触れている手を持ち上げて自分の頬に添えるように当てがい、擦り寄るようにすれば優しく撫でられる感触に目を細める。
「まぁ半分は揶揄ってるけど、もう半分はあんたに触ってほしくてやってんだよ」
まるで誘うような仕草に風見はぎゅっと眉を寄せた。
本当に、心が落ち着かなくなるから困る。
気を抜けば手を出してしまいそうで、必死に歯止めを効かせているのに彼はそんなのお構いなしに枷を外しにくる。
触れている名前の頬が暖かい。いや、少し熱い、か。
「もっと触って、風見さん」
できるならとっくにやっている。
理性と欲望の間で必死に闘っているのが彼には分からないのだろう。
大人であり、警察である自分がたとえ同意の上であろうと無責任に手を出していいはずがないんだ。
これはモラルの問題なんだ。
「なぁ、触ってよ」
なのに、そんな自分を求めてくる年下の恋人に触れたくて仕方がない。
触れるだけだ、触れるだけ。
頬に触れている手を滑らせて首筋を撫でると気持ちよさそうに目が閉じられた。
──無防備すぎる。
付き合う前まではこんな無防備な姿を見たことがなくて、未だに戸惑ってしまう。
視線がわずかに開く唇に惹きつけられる。先ほど押し止められた欲求が振り返してしまいそうだ。
顎下を指先で撫でてから親指でゆっくりと下唇をなぞった。
うっすらと目を開いた名前が何度も唇を撫でる指を舐めるとすぐに顔から手が離される。
視線を上げれば驚いたような表情をする風見に口元を緩めて、離れていった手を握り口元へと誘う。
「やっぱ触るだけじゃ足りねぇな……ね、風見さん」
「っ待て、」
焦ったような声は人差し指を名前に咥えられたことにより最後まで続かなかった。
関節部分を甘噛みされ、濡れた舌が撫でる。
伏し目がちに風見の指を愛撫する姿を直視できず視線を逸らすと、視覚情報がなくなりより一層感覚が鋭くなった。
「……っ」
口内から解放された指を根元から先へゆっくりと唇と舌が滑っていく。
触れられているのは自分の手のはずなのに、まるで情事のような錯覚に陥ってじわじわと熱が孕んでいくのが分かる。
もう一度咥えられて舐めてくる舌を押すように指を動かすと、それに応えるように絡みついてきた。
気づけば逸らしていたはずの目は唇を濡らす名前をしっかり捉えていて無意識に唾を飲み込んだ。
「どこでこんなこと、覚えたんだ」
「ん……大人のビデオかな」
「待て、それいつの話だ。18になる前か?」
「ほんと真面目だね、あんた。皆見てるよ」
上目遣いになりながら唾液で濡れた風見の指を綺麗にするように舐めていく。
視界に映る光景がじょじょに思考を掻き乱していった。
風見の手から顔を離した名前は自分を見つめてくる熱を孕んだ瞳に唇を舐め、そっと眼鏡に手を伸ばす。
「なぁ」
ゆっくりと眼鏡を外してやり前のめりになるように顔を近づけていった。
「キス、してもいいよ」
その言葉が言い終わる前に風見は噛みつくように濡れた唇を塞いだ。
口付けを交わしながら後頭部を撫でる大きな手に、名前はうっすらと開いていた目を閉じてその温もりをもっと感じたいと風見の背中に腕を回した。