安室透として活動する上司の様子が気になりいつも年下の恋人に聞いていたがついに話すのが面倒になったのか「もう直接見に来れば?」と素っ気なく言われた。
確かにそうだ。別に降谷からは来ないでくれとは言われていない。
部下としてではなく客として行けば問題ないだろう。
そして遂にやってきてしまった喫茶ポアロに足を踏み込めば、見たこともない爽やかな笑顔の上司に出迎えられてしまった。
すごいな、まるで別人じゃないか。
「ご注文はお決まりですか?」
「えっ……あ、ちょっと待ってくださいっ」
席に案内されてからメニューも見ずにチラチラと見ていたせいかそう声をかけられ慌ててメニュー表を手に取る。
「えっと……サンドイッチとコーヒーを」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
聞けば降谷さん扮する安室透の作るサンドイッチは絶品だという。
それを楽しみに待ちながら店内を観察するとカウンターの向こうに立っているのはここに来ることを勧めた名前だった。
じっと見つめていたことに気付いたのか手元の作業からスッと顔を上げ視線が合ったがすぐに目線が下げられる。
当然だ。彼は今仕事中なのだから。
そんな彼の隣に降谷さんが立ちきっと僕が注文したサンドイッチを作り始めたのだろう。
店内を見渡せば客は僕の他に数名。時間はお昼時を過ぎていて客入りは落ち着いているようだ。
「そうだ苗字くん」
静かな店内で発せられた降谷の声は自分の耳にも届いてきた。
そういえばあの二人が直接会話をしているところを見るのは以前名前に事件解決の協力を仰いだ時以来だろうか。
「……なに?」
「そんな露骨に嫌な顔しないでくださいよ」
眉を顰めてまるで話しかけてくるなというような警戒心を露わにする名前にはもう慣れたのか、降谷さんは苦笑するだけだった。
どうしてそこまであの人を嫌うのか聞いてみたことがありその時は「胡散臭くてヤダ」と即答されたのを覚えている。
他にも何か言いたげだったがそれ以上口にすることはなかった。
「こら名前くん。まだお客さんいるんだから愛想良くしてなきゃダメだよ」
「はいはい。んで?」
ポアロの従業員であろう女性に窘められ適当に返事をした名前が面倒そうに隣に立つ降谷に視線を送った。
「そろそろ僕と連絡先交換しませんか?」
「嫌だけど」
「さすがに即答は安室さんが可哀想よ」
「知るか」
あの完璧超人の降谷さんが見るからに落ち込んでいる。あれは多分演技でもなんでもない本心だろう。
名前のほうからは降谷さんの、降谷さんからは名前の話をよく聞くためてっきり二人はもう連絡先を知っているのだとばかり思っていたが違ったようだ。
まぁ降谷さんなら違法な手を使えば入手できそうなものだが名前に本格的に嫌われるのは避けたいのかもしれない。
従業員の女性が名前からコーヒーの入ったカップを受け取り僕のテーブルへと運んできた。
「コーヒーお待たせしました」
「ありがとうございます」
さっそくカップを持ち上げるとよく差し入れで貰うコーヒーと同じ香りが鼻に届く。
淹れたてな分その香りは強く、口に含めばすっきりとした苦味が広がる。美味い。
美味しさのあまり顔が少しばかりニヤけてしまい慌てて表情筋に力を入れたが、チラリとカウンターのほうへ視線を向ければ僅かに目を細める名前とがっつり視線が合ってしまった。
「もう知り合ってから随分経つんだから教えてあげてもいいんじゃない?」
視線は自然な流れで外され、名前は呆れた顔で女性を見る。
「梓、お前はよく知りもしない男からしつこく連絡先を交換してくれと言われたらすんのか」
名前、それじゃあ例えになってないぞ。それは絶対に降谷さんのことだろう?
「教えるわけないじゃない!」
「だろ?」
「ちょっと待ってください!?」
落ち込んでいた降谷さんが思わずと言ったように声を上げた。
ショックにはショックを。なるほど、ある意味でショック療法ということだな。
それより降谷さん、サンドイッチはまだでしょうか。
「僕と苗字くんはよく知りもしない仲ではないですよね? 僕のことよく知っているでしょう!?」
「気持ち悪い言い方するなよ……」
「確かに僕は少々粘り強かったかもしれませんけど」
「少々……? こいつ自覚ねぇのか」
「まぁまぁ名前くん。聞いてあげよ?」
すごいな、あんなに嫌がる名前は見たことない。一体どれだけ降谷さんが苦手なんだろう。
というよりどうしたらあそこまで嫌がられるのか謎だ。
もしかして降谷さん、自分の知らないところで彼になにかしてしまったのでは?
なんだか僕まで心配になってきましたよ。
「僕は仲良くなりたいんです」
「俺はそうでもないから大丈夫」
「苗字くん……っ!」
懇願するように見つめる降谷さんを軽くあしらう名前を他の部下が見たら驚くだろうな。現に自分がかなり驚いてるわけだから。
あの降谷さんをぞんざいに扱う人なんて見たことがないし、理想とする上司のあんな姿はあまり見たくない。
「それよりサンドイッチ作れたなら早く持ってけば?」
名前に言われてようやくサンドイッチが盛り付けられた皿を片手に降谷さんがテーブルに近づいてくる。
なんだかものすごくオーラが怖い。
「お待たせしました。サンドイッチになります」
「あ、ありがとうございますっ」
上司の浮かべている営業スマイルが他の客の死角に入った途端に不満を訴えるように鋭い視線で睨まれ、声が上ずってしまった。
「それ食べたらさっさと仕事に戻れよ、風見」
「は、はい……っ」
僕にしか聞こえないような声量で呟かれたそれに小さく返事を返すと、再び営業スマイルを貼り付けて離れていく。
ひどいですよ! 完全に八つ当たりじゃないですか! サンドイッチはとても美味しいです!
「あまりいじわるしちゃ安室さんが可哀想よ」
「……はぁ」
「とりあえず電話番号だけでも教えてあげれば?」
梓と呼ばれた女性にそう諭された名前が洗い物をしながら口を開いた。
「つーか、今まで知らなくても困ってなかったんだしこのままでいいんじゃねーの」
その言葉に異論を唱えたのは降谷さんではなく彼女であった。
「あ、名前くん私の苦労知らないんだー」
「は? なんだよ」
ジト目になりながらカウンターの奥に立つ名前へ詰め寄る彼女の勢いにさすがの彼も困惑している様子だ。
明らかに降谷さんへの対応との差がある。こればかりは付き合いの長さもあるだろうがちょっと同情してしまう。
「シフト変更の連絡、安室さんと名前くんのは私を経由してるんだからね」
なるほど。それは確かに彼女は苦労しているのだろう。
なんでも完璧に熟す降谷さんであっても、3つの顔を使い分けているのだから突然バイトに行けないなんてことだってあるはずだ。
そんな時名前に代わってもらいたくても直接連絡を取ることができないから一旦彼女を経由しなければいけない。
なかなかに面倒な遣り取りだな、と思っていると名前も自覚があるのか申し訳なさそうにしている。
「そうですよ! 僕と苗字くんで繋がっておけば梓さんに迷惑をかけることはありません」
その隙を逃さないところはさすが降谷さんですね。
「急に元気になるなよ」
「私の負担も減るし教えてあげて!」
「教えてください!」
他の客はもう見慣れた光景なのかなぜか微笑ましく店員の三人を見ている。
あ、これいつもやってることなんですね。
二人から熱い視線を送られる名前は無視を決め込んで洗い物を続けるが、諦めずあまりにも粘る二人に根負けしたのか溜息を吐いた。
「あーもう分かったよ」
「本当ですか!?」
まさか名前が折れるとは思っていなかったのか本当に驚いている様子の降谷さんが次第に目をキラキラさせていく。
その姿がまるで少年のようで微笑ましい。と思っていたら急に振り返るのやめてください。
「じゃあ番号言うから覚えろよ」
折れたと言ってもやはり不本意なのかその口調は素っ気ない。
「任せてください!」
でも降谷さんは気にしていないみたいだ。
「0」
まさか本当に教えるのか?
ちょっと待ていくら常連と僕しかいないからと言ってそれはあまりにも無防備で危険ではないか?
しかし僕の心配は無駄に終わるのだった。
「1、2、0──」
「名前くんそれフリーダイヤル」
やはりそう簡単には教える気はないようだ。
サンドイッチも食べ終わる頃には常連の客は帰り残ったのは僕だけだった。
客入りの少ない時間帯だからか梓と呼ばれた彼女も上がってしまい店員は名前と降谷さんだけになる。
「コーヒーおかわりは?」
早く仕事に戻れと降谷さんに突かれる前に出て行くかと思った矢先にコーヒーの入ったポッドを手にした名前にそう声をかけられた。
「サービス」
「あ、じゃあ、いただくよ」
せっかくの彼からの厚意だ、無下にはできない。
少し浮かせた腰を椅子に戻して注がれるコーヒーから視線を彼に移し礼を言う。
「僕にもそれくらい優しくしてくれてもいいのでは?」
先ほどまで客のいたテーブルを拭いている降谷さんからの視線が痛い。
これを飲んだらすぐに帰りますので!!
「必要性を感じない」
「本気でヘコみますよ!」
「どうぞ」
頑張ってください降谷さん。僕も応援します。
あ、でも僕からは教えないので聞かないでくださいね。