hold you


 夏の暑さは何処へ行ったのか段々と下がっていく気温にそろそろバイクに乗るのが辛い時期だな、とグローブを着けたまま体を温めるように摩る。
 駐車場のスペースを少しだけ借りバイクを停めてフルフェイスのヘルメットを脱いだ名前はシートバッグから荷物を取り出し、慣れた足取りで恋人の待つ部屋へと歩いていた。
 事前に来ることを連絡していたおかげでチャイムを鳴らせばすぐにドアは開かれた。

「いらっしゃい」

 部屋の中の暖かい空気がドアを開けた風見の香りとともに頬を撫でる。
 靴を脱いで玄関先に持っていたヘルメットを置かせてもらいリビングへ向かうと、足裏から感じる暖かさに思わず足を止めてしまった。

「さすが高級マンション。床暖も完備かよ」

 どうりで目の前に立っている風見が裸足でいても寒そうに見えないわけだ。

「そこまで高級じゃないんだが……」
「俺からすれば十分高級ですけど」

 苦笑する恋人に持っていた荷物を無愛想に渡せば不思議そうに受け取り、紙袋の中を覗いた。

「ドーナツ買って来た」
「気が効くな」
「適当に選んで来たから好きなの食っていいよ」

 グローブを外して上着のポケットに仕舞い、その上着も脱いでソファの背もたれへとかける。
 リビングのテーブルに紙袋を置いた風見がキッチンへと向かうのを見てその背を追い掛けるように足を向けた。

「コタツはねぇの?」

 電気ポッドのスイッチを入れて棚からマグカップを取り出す背中にそう声をかけると、一瞬考えるように動きを止めてからゆっくりとワークトップに置いた。

「そういえば持ってないな。あまり家にもいないから暖房だけで事足りる」
「残念。コタツがあれば入り浸るのに」
「ははっ、なんだそれ。コーヒーとココア、どっちがいい?」
「あんたが飲みたいほうでいいよ」

 名前の言葉がおかしかったのか小さく笑いながら別の棚からココアパウダーの入った袋を取り出した風見の甘党っぷりに思わず苦笑してしまいそうになる。
 上着を脱いだせいか少しだけ肌寒さを感じ風見の背中に寄りかかるように自分の背中を合わせた。

「それは買って欲しいっていうお強請りか?」
「さぁ?」

 マグカップにココアパウダーを入れる動作を背中から感じ取りながら冷えた手の甲を摩る。

「でも、俺がここに来る理由の一つにはなるだろうね」
「なるほど」

 電気ポッドからはお湯が沸騰する音が聞こえ暫くすると自動でスイッチが切り替わった。
 ゆっくりとポッドのお湯をマグカップに注ぎスプーンで掻き回す音に合わせていた背中を離し振り返る。

「寒いのは苦手か?」
「まぁちょっとだけ。暖かいほうが好き」

 手渡されたマグカップは冷えた手を温めるように両手で掴んだ。
 リビングに戻りソファへ座って淹れたてのココアを口にすると、ようやく体の中から温まったような気がする。
 隣に座っていた風見も何口かココアを飲んだところでソファから降りテーブルにマグカップを置いて、床に膝をつきながらドーナツの入っている箱を袋から取り出して中を覗き込んだ。

「結構買ったんだな」
「前のバイト先だったからおまけでくれた」
「君は様々な場所でバイトしてるんだな」
「一つの場所が長く続かないだけ」

 特に荒れていた時期なんかは怪我が絶えなかったせいかすぐにバイトを辞めさせられていた。
 唯一長く続いているのはポアロだけで他はあまり長くは持たなかった。
 敢えてそのことは口にしなかったが風見はなんとなく理由を察してこれ以上聞くことはせず、箱から一つドーナツを取り出して口に含んだ。

「美味いな」
「そりゃよかった」

 再放送のドラマが流れるテレビからソファを背もたれにして床に座ったままドーナツを食べる風見にちらりと視線を向け、半分ほどに減ったココアの入ったマグカップをテーブルに置く。
 ソファに座る位置を変えて風見の後ろから抱きつくように上体を屈めた。

「なぁ、一口ちょーだい」

 突然後ろから伸ばされた手が鎖骨辺りを撫で、耳元では甘えるような声で囁かれてしまい心臓が大きく跳ねる。

「っ……たくさんあるだろう」
「あんたが食べてるやつがいい」

 頬と耳を赤くする風見に笑ってより体が密着するように擦り寄った。
 だがそれが余計に羞恥を煽ってしまったようで手にしていた食べかけのドーナツを無理矢理に口に含んで食べてしまった風見に目を瞬かせる。

「残念だが食べてしまったからやれないな」
「……裕也さん」
「ん? なん──」

 どこか勝ち誇ったような表情を浮かべた風見の名を呼び無防備にもこちらに顔を向けたのをいいことにその唇を塞いだ。
 驚いたように固まる相手を気にもせず、名前は重なった唇を少しだけ離し自分の唇を舐めた。

「甘っ……」

 そのまま風見の唇にも舌を這わせてからもう一度塞ぎ今度は唇の間から舌を侵入させる。
 じっくりと味わうように絡めた舌の刺激にようやく我に返った風見は、服の上から鎖骨辺りを撫でるように触れる名前の手を掴んだ。
 それに気づき顔を離せば、さっき以上に頬と耳を染めている年上の恋人に思わず口元が緩む。

「ごちそうさま」

 おまけとばかりに熱くなった頬に口付けを送り体を離した。
 テーブルに置いていたマグカップを持って元々座っていた位置に座り直すと、床に座っていた風見が立ち上がりドーナツの箱を閉じてキッチンへと向かってしまう。

「もう食べねぇの?」
「あ、あぁ……あとで食べるよ」

 焦ったような照れているような顔を隠すように背を向ける風見に、少し悪ふざけが過ぎたかと心の中で反省し残りのココアを飲んだ。

 一方でキッチンに避難した風見は持っていたドーナツの箱をワークトップに置くと頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。
 未だにうるさく鳴る心臓の音に「落ち着け」と何度も小さく呟いた。
 完全に不意打ちだった。
 キスなんて何度もしてきたのにまるで初めてみたいな反応をしてしまった自分が恥ずかしい。
 ──全然そんな雰囲気じゃなかっただろう!?
 スイッチが入ったように急に艶を出してくる名前には今でもまだ慣れない。
 今更後悔しても遅いがこんなことなら素直にドーナツを食べさせてやればよかった。

「はぁ……そろそろ戻るか」

 暫くそうしているとようやく心が落ち着いたのか、立ち上がって次はコーヒーでも飲むかと電気ポッドに水を注ぎスイッチを入れる。
 名前にも声をかけようとキッチンからリビングを覗いてみるがソファには誰もいない。

「名前?」

 不思議に思って近寄ってみると床に寝転がりながら携帯を弄る年下の恋人がいた。

「なにしてるんだ」
「んー床が暖かくてさ」
「暖房の温度上げるか?」
「いいよ、そこまでは寒くないし」

 その姿がまるで床暖房を満喫する猫のように見えてしまい思わず笑いが漏れる。
 なに笑ってんだよ、と怪訝な目を向けてくる名前に慌てて首を横に振って「なんでもない!」と答えた。

「そういやあんたの携帯さっきから光ってるよ」

 そう言われテーブルに置いておいた携帯を見れば確かに通知のランプが点滅しており、まさか電話だったかと急いで確認する。

「仕事でも入った?」
「いや……ただのゲームの通知だ」

 先ほど座っていた位置に腰を下ろし内容を確認するとここずっとハマっているゲームのイベント通知だったようで、そういえばと時計を見た。
 もしかしたらフレンドであるあの人がすでにログインして待っているかもしれない。
 そうなら今日は参加できないと一言あったほうがいいだろう、と判断してアプリを起動した。

「あんたでもゲームとかするんだな」

 気になったのか上体を起こして風見の横に移動してきた名前が覗き込んでくる。
 ゲームの集会所を確認したがまだ相手はログインしていないようで無意識にホッと息を吐いた。

「それ、面白ぇの?」
「知らないのか? 結構人気のあるタイトルなんだが」
「俺あんま携帯でゲームやらねぇから」

 結構やってそうなイメージだったからこれは意外だ。
 聞けば名前の携帯には阿笠博士が作ったゲームとナンプレしか入っていないらしい。

「ナンプレって……随分渋いな」
「数字関連は結構得意なんだよ。頭も鈍らせたくないから」

 そう思うのならちゃんと学校へ行って勉強をすればいいのに、と言いかけてやめる。
 彼が通う学校はまともに授業もできないほど荒れているとはよく聞いていたから言うだけ無駄だろう。
 どういうゲームなのか聞いてくる名前に説明しようとしたが、彼の近くで同じゲームをプレイしているであろう人物を思い出した。

「その、降谷さんがやってるとこ見たことないか?」
「は? あの人がなにやってんのかなんて興味ねぇし」
「そ、そうか」

 相変わらずの降谷へ向ける興味は1ミリもない様子に口元を引きつらせながら上司へ同情する。

「博士が作ってるゲームの参考にしたいからやってるとこ見せてよ」
「じゃあ……丁度イベントやってるからこれでいいか?」
「お好きにどうぞ」

 さっそくイベント戦を開始しようと進めていたが横から覗いてくる名前には少し見辛いかもしれないと気付いて一旦携帯を床に置いた。
 不思議そうにこちらを見る名前の手を引いて自分の足の間に座らせた風見はその体を後ろから抱きしめるような体勢になる。

「こうしたほうが見やすいだろ?」
「あー……うん、まぁ見やすくはなったよ」

 ──あんたも大概無意識にこういうことやってくるよな。
 名前は静かに息を吐いて遠慮なく風見の体に寄りかかった。
 さっきはあんなにも焦っていたのに今こうして顔が真横にあってもあまり気にしていないのは意識がゲームに向いているからだろうか。
 手慣れた動作でゲームを進めていくプレイ画面よりも背中から伝わる温もりと、耳元で聞こえる解説する声にばかりに集中してしまって仕方がない。
 そもそもゲームに興味があったわけではない。
 ゲームをするという風見に興味が湧いただけだ。

「それで、このゲームの一番面白いところが──」

 参考にしたいと言ったのはただの口実にすぎないから別に見なくてもいいだろう、と目を閉じる。
 すぐ近くで聞こえる低すぎない声が鼓膜を撫でるように揺らしてくれるのが心地いい。
 床暖房のせいなのか、それとも後ろにいる風見の温もりのせいなのか、眠気を誘うような暖かさにだんだんと意識が沈んでいく。

「ここが判断の難しいところで…名前?」

 暫くして寄りかかってくる体重が重くなってきたことに気付いた風見が声をかけてみるが返ってきたのは心地良さそうに眠る名前の寝息だった。
 せっかく説明しているのに、とムッとなった風見だったがすぐに困ったような嬉しいような表情になりその体を抱きしめる。

「さっきのお返し、だな」

 頬に唇を寄せて優しく触れたあとそのまま耳元へ顔を寄せそこにも口付けを落とす。

「おやすみ、名前」

 そう呟いてベッドにでも運んでやろうと思った矢先に例のフレンドがログインしてきて一緒にイベントに参加することになってしまい、体勢を変えることもできずにゲームを続けることになった。


 名前が目を覚ました頃にはなぜか風見は携帯片手に疲弊しきっていて、自分のせいかと思いすぐに離れようとする体を風見は引き止めた。

「いいんだ……君のせいじゃないんだ」
「……夕飯作ろうか?」
「……頼む」

 でも今はもう少しだけ癒して欲しい、弱々しく呟きながら抱きしめてくる恋人に訳が分からない名前は肩口に額を押し付けてくる頭を慰めるように撫でるしかできなかったのであった。