「結婚しよっか」
それは三度目のプロポーズへの返事だった。
恋人の名前と同棲を始めたのは上司である降谷が潜入調査を終えて暫く経ってからだった。
規模の大きな組織の壊滅の後処理に駆り出されて初めて、彼が大事にしていた女の子──灰原哀の正体を知ることになる。
それまで頑なに一緒に住むことを断っていた理由は彼女を傍で守るためだったのだ。
そんな彼女も組織からの脅威がなくなり元の姿に戻って晴れて自由の身となった、というわけにもいかず危険な薬を開発していた経緯からその身は一時的にFBI預かりとなった。
ずっと傍で守り続けた彼も一緒にアメリカへ行ってしまうのではないかと不安になっていたが、
「向こうには赤井がいるから心配はいらない」
その心配は必要なかったようだ。
そんなわけで阿笠邸にいる必要がなくなった彼がアパートを探していると言うから、なら僕のところへ来て欲しいとお願いをした次第だ。
同棲を始めてから二年。これまで三度のプロポーズをした。
彼が高校を卒業するのを待ち、意外にも大学へ進学することに驚きながらもやりたいことを見つけた彼を応援した。
最初のプロポーズへの返事は「まだ早い」だった。確かに高校を卒業したばかりで早かったかもしれない。
いくつかのバイトを掛け持ちしながら短大へと通う彼との生活は順調であった。
自分しかいなかった部屋に増えていく彼の私物に時々感情が溢れそうになって、その度に「なにニヤけてんの?」と眉を寄せられたものだ。
二度目のプロポーズへの返事は「今は無理」だった。じゃあいつならいいのか。
恥ずかしながら僕は焦っていたのだ。自分の年齢がとか、両親から結婚はまだなのか急かされているからとか、そんな理由ではない。
なにかのきっかけで彼が離れていってしまうことを恐れている 。
冷静で物分かりが良くて、素直に我が儘を言えない彼だから僕のためにと言って離れていくのがとても怖い。
だから繋ぎ止めておきたい。離れていってしまわないような理由が欲しい。
「僕と、家族になってほしい」
三度目のプロポーズには曖昧な言葉を返されただけだった。
その翌年、大学を卒業した彼は保育士として働き始めた。経験を積んで幼稚園の教員免許を取得する予定らしい。
相変わらず無愛想な時もあるが高校時代よりも雰囲気は随分と柔らかくなった。
降谷さんに対しては変わらず刺々しいが……。
保育士はなかなかの激務だと聞く。それでも彼は僕が帰宅すると必ず「おかえり」と安心しきった顔で出迎えてくれる。
さすがに帰宅するのが深夜だと彼はすでに寝ているが、二人で寝るために買った広いベッドへ横になれば彼は眠そうな声で「おかえり、お疲れ様」と言ってくれることにいつも幸せを感じた。
この幸せがずっと続いていくのであれば結婚を急ぐ必要はないのかもしれない。
一緒にいれるだけでいいんだと、幸せならそれでいいんだと、焦るのをやめてゆっくり待とうと思った矢先だ。
それは珍しく二人の休日が重なった朝だった。
隣で寝ている彼の温もりをすぐ傍に感じてうっすらと意識が浮上した。
「どうした?」
胸元に顔を寄せてまるで心臓の音を聞いている様子の彼の髪を撫でる。あの頃よりも伸びた彼の髪はさらさらと指の間を抜けていく。
待てども返事はなくただただ猫のように擦り寄ってくるだけの仕草に愛おしさを感じその温もりを抱き寄せた。
もしかしたら寝惚けてした行動なのかもしれない。
せっかくの休日だ。このまま起こさないで自分ももう一度寝てしまおうとボヤけた視界を閉ざした。
「結婚しよっか」
確かに聞こえた小さな呟きはいつかの三度目のプロポーズへの返事だった。
君はずっと断り続けていたのに三度目だけは答えを濁したから、それだけが全てじゃないと諦めかけていたのに。不意討ちじゃないか。
都合のいい夢でも見ているのだろうか。
寄り添う温もりが気持ちよくて真意を確かめる暇もなく眠りへと落ちていった。
二度寝から起きた裕也さんはそれはもう笑えるくらい慌てながら「夢じゃないよな?」と何度も確認してきた。
ちょうど二人とも休日だったから現実なんだってことを分からせるために、母と松田さんのお墓へ行き「この人と結婚するよ」と報告をした。
本人がいないのに緊張で言葉を詰まらせる裕也さんに握られた手がすごく熱かったのを覚えている。
最初に結婚と言われた時は冗談かと思った。
冗談が得意な人じゃないことくらいとっくに知っていたけど俺は本気のことだと受け止められなかったんだ。
でも三度目になって「家族になろう」と真剣な眼差しを向けられた時、この人は本気なんだ、本当に俺でいいんだと思い知らされた。
“家族”
俺が今まで失い続けたものだ。心の奥底でずっと欲しがっていたのに、手にすることが許されなかったもの。
三度目のプロポーズを受けてからずっと悩んでいた。
俺は、裕也さんを欲しがっていいのだろうか。家族を欲しがっていいのだろうか。失って、手放したくせに、欲しがっていいのか。
だから答えが得られないと分かっていながら松田さんに会いに行って「どうすればいい?」なんて弱音を吐いた。
もちろん答えなんて返ってこない。もうこの世に松田さんはいないのだから。
「あなたには幸せになってもらわないと私が松田くんに怒られちゃうわ」
事情を知った上で頼れる人から受けた言葉は、いつか俺が彼女に贈った言葉だった。
あの時は彼女が高木刑事との結婚になかなか踏み込めないでいることに悩んでいて、俺は同じ言葉を贈ったんだ。
それを、返されてしまった。
答えを出さなければいけない。
一緒にいれることで自分は満足していたけど、あの人はそれ以上を望んでいる。なら自分は、その望みを受け入れたいと思ったのだ。
それから暫くはお互いの休日が重なる度に手続きやら裕也さんの実家に挨拶に行ったりと忙しい日々を過ごした。
時代は変わるもので今では同性婚なんて日本でも珍しくない。
式を挙げなかったのは俺があまりそういうのが得意ではないからだ。佐藤さんは残念がっていたけど、祝いと称して飲みに連れて行かれたからよしとしよう。
苗字が風見に変わったものの保育園では名前先生と呼ばれているせいかあまり実感がない。
唯一後悔したことと言えば降谷さんから下の名前で呼ばれる羽目になったことだけだ。それ以外に不満なんてない。
今日は早く帰れると連絡を受けたから久々に夕飯を共にすることができそうだ。
組織がなくなったからと言って事件がなくなるわけじゃなく、相変わらず公安刑事は忙しいのか帰ってこれない日も珍しくない。
夕飯の準備を進める俺の左手薬指にはなにも嵌められていない。それは裕也さんも同じである。
結婚指輪というものに興味がなかった俺と仕事柄指輪を嵌めたままだと都合が悪い裕也さんであったためだ。
そろそろ帰ってくるだろうかと部屋の壁にある時計に目を向けるとタイミングよく玄関のほうから鍵を開ける音が聞こえてそちらに向かう。
俺はこの瞬間が少しだけ不安だ。いつまで経ってもこの不安感は消えない。
「ただいま」
「……おかえり」
ドアが開いて、顔を見て、ようやく安心する。一人で待つのはやっぱり苦手だ。
「飯、できてるよ。それとも先に風呂がいい?」
「先に食べるよ」
夕飯を食べながら今日あったことをお互いに話すが裕也さんは高木刑事ほど口が軽くないからどんな事件に関わっているとかはあまり話さない。
まぁ当然ではあるが。
話せないことを無理に聞く必要もないし、もし俺がいることで仕事に支障が出るのであれば何も言わずにここを出て行くつもりだ。
「名前」
「なに?」
「いや……風呂、一緒に入るか」
「逆上せる前に終わらせてくれるならいいよ」
ずっと傍にいてほしいと思っている。だけど、それと同時にこの人の迷惑になることだけは避けたいとも思っている。
大学へ行ってちゃんと就職したのだって裕也さんの隣に立つのに相応しい人間になろうと自分なりに考えて出した答えだった。
真面目で、少し天然で、不器用で、優しい人。
俺には勿体ない人だな。
風呂から上がって怠い身体を広いベッドへと沈める。二人で寝るために買ったベッドだ。
ガタイのいい男が二人で寝ても全然余裕のある広さは気に入っている。
ベッドの縁に座った裕也さんが俺の足を掴んで指先に口付けるのは結婚してからよくやる行為だった。
俺逹は普通の結婚指輪は買っていないが、なにか証が欲しいというこの人のために手ではなく両足の薬指にシンプルなリングを嵌めている。
トゥリングというらしく、きっと降谷さんの入れ知恵だろう。本当お節介な人だな。
「相談があるんだが、いいか?」
足を離して一息吐いたと思ったら急に真剣な表情をするものだから、重い身体を起こして向き合った。
ベッドに乗り上げて目の前に座った裕也さんに手を取られ包み込むように握られる。
「子供を……つくらないか」
「……は?」
予想にもしていなかった内容に開いた口が塞がらない。なにを言っているんだこの人は。
確かに技術の向上で同性同士でも子供を作れるようにはなったがそう簡単なことじゃないはずだ。
「君との子供が欲しい」
「ちょっと待ってくれよ。そんな、急に言われても、」
「名前」
名前を呼ばれ無意識に反らしていた顔を戻すと優しく唇を塞がれて、そのまま後ろに押し倒された。ダメだ流される。
触れるだけの口付けはゆっくりと離され、まるで逃がさないとでも言うように顔の脇に手を置かれ閉じ込められた。
あぁ、ダメだ。言わないでくれ。
「僕と、家族をつくろう」
その言い方はずるい。ずるい人だ。俺は”家族”という言葉に弱いんだよ。
「君を手放したくないんだ……君と僕を繋ぐ、確かなものが欲しい」
「……あんたが望むなら、俺は、受け入れるよ。でも俺は、自分の子供を見捨てた男の血を引いてるんだ」
妹だって自分の手で守ることができなかった。ただ見送ることしかできなかった。
そんな俺に子供を持つ資格があるのか。
「大丈夫だ」
体を起こした裕也さんに手を引かれて起き上がると緩やかに抱きしめられ、切らずに伸ばしていた髪を梳くように頭を撫でられた。
本当に、ずるい。そんなに暖かく優しい手で撫でられたら、俺は全てを受け入れたくなる。
「君が本当は愛情深くて大切なものを必死に守る人だって、僕はよく知っている」
ずっと家族が欲しかった。自分だけの、失うことのない家族を、手放すことのない家族を、ずっと欲しがっていたんだ。
それをあんたが与えてくれるというのなら、俺はずっと離れずに傍にいたいと思うよ。
言葉で返事をする代わりにそっと裕也さんの背中に腕を回すと、俺を抱きしめる腕に力がこもった。
俺のような人間にこんなにも本気になるなんて、この人のことを甘く見ていたのかもしれない。
どこまでも真面目な人だから困る。
でも、俺はそんな裕也さんを好きになってしまったのだ。