lily of the incas 01.5


 深い闇の中から押し上がるようにして体を引っ張られ、気付けば赤ん坊の姿となり第二の人生を歩むこととなった。
 生まれたばかりの時は訳も分からずいろんな感情だけが胸や脳を支配していてただ泣くことしかできなかったが、数日経ってようやく状況を理解することができた。
 赤ん坊になってしまったと自覚できたのは自分が別の人生を途中まで歩んでいたことを漠然とだが覚えているからだ。
 なにかがあって自分は死んでしまい、こうして生まれ変わったのだろう。
 記憶はぼんやりとしていてうまく思い出すことはできないが、確かに自分は大人であった。

 赤子になってしまったのなら仕方がない。
 まったりと赤ちゃんライフを送るほか道はないのだとすんなり受け入れられたのは、前世の性格も少なからず関係があるのかもしれない。


 安定感のあるしっかりとした腕に抱かれ睡魔と闘いながらぼやけた視界の中で懸命に見上げた。
 生まれたばかりの赤ん坊というのは視力が完全ではないんだなぁ。耳もまだ聞こえにくく雑音のようだ。
 でも、ボクを抱いているこの人から紡がれる唄はすんなりと耳へと入ってきて心地いい。すぐ眠くなってしまう。
 生まれてからずっと傍にいてくれる人。きっとボクの親だろう。伝わってくる心臓の鼓動が与えてくれる安心感がそう言ってる。
 母親の姿を一度も見たことがないから片親なのだろう。
 男一人で子育てするなんてすごいなぁと感心していた時、驚くべき事実が分かった。
 それは生まれてから半年が過ぎた頃だ。

「ただいま光くん」

 光というのはボクの名前だ。結構気に入っている。

「元気にしてたか? お父さんだよー」

 そう言ったのはたまに家へとやってくる人だ。なんだか懐かしいような、でも誰だか分からなくて泣いたこともあったっけ。
 最近は音も聞き取りやすくなったからかその言葉を聞いてビックリした。そういえば前にもそんなことを言っていたような気がする。
 え、この人がお父さんだったの!? じゃあいつも一緒に居てくれる人は!? え? えっ!?
 パニックで涙目になるボクに焦った自称お父さんは慌てて「名前っ」とお父さんを呼んだ。
 お父さんがお父さんを呼んだ……? もう分からん。どういうこと?

「あー、起きてる時に会うの久しぶりだっけ。また忘れられたんじゃね?」
「こういう時ばかりは仕事が憎いな……くっ」
「そのうち警察官のお父さんかっこいいって言ってくれるよ」

 なんとまた驚くべき事実だ。どうやら自称お父さんは本物のお父さんで警察官らしい。
 道理であまり家に帰ってこれないわけだ。よく分かる。
 なぜか親近感が湧いてしまったのは多分前世のあやふやな記憶のせいだろう。ボクも昔は警察官だったのかな。
 ここ数日で座れるようになったボクは床に座ったまま二人の足元を見ていた。上を向くと後ろに転がってしまうので気をつけている。

「光くん、座れるようになったのか」
「一昨日くらいにな。保育園で周りの子がやってることよく真似してるから」

 そりゃあ大人であった時の記憶が少なからずあるボクだから、子供らしからぬ行動を取らないようにと注意しているんだ。
 だからと言ってオモチャを取られて泣くなんてことは子供っぽくてしないけどね。

「僕の知らないところで光くんはどんどん成長するなぁ」
「嘆くなよ。そういえばカメラ買ったんじゃなかったっけ?」
「そうだった!」

 軽い足取りで部屋を出て行ったお父さんはスーツ姿からラフな格好へと変わり、手にはデジタルビデオカメラが握られていた。
 もしかして今からホームビデオなるものを撮影するのか? うわー恥ずかしい。
 体勢を低くしてカメラを構えたお父さんの表情はそれはもう輝いていた。なんだかこの人のほうが子供みたいだなぁ。
 床に手をついて不恰好な四つ這いでカメラから逃げるように手足を動かすとお父さんもボクについてきてちょっとだけ怖くなり、助けを求めるようにこちらの様子を眺めているだけの名前お父さんの足にしがみついた。

「あぅー」
「いやもうちょい距離置けよ」
「すまん。ハイハイもできるようになったと分かってつい、な……」

 冷静になったのかお父さんは息を深く吐くとソファへと座って改めてカメラを向けてくる。諦めたわけではないらしい。
 ふと、お父さんの足元でキラリと輝くものが目に入った。
 目を凝らしてよく見ると両足の薬指にシンプルな指輪がしてあることに気付き、どこかで見たことのあるそれに視線を下げると名前お父さんの足にも同じものが嵌められている。
 そこでようやく理解することができた。手の指につけていたらすぐに分かったのに、そういうことだったのか。

 ボクには母親はおらず父親が二人いるということらしい。
 僅かばかりの違和感を覚えるのは以前生きていた時代ではまだ一般的ではなかったからだろう。
 前のボクの両親は父と母だったし、時代は進んでいるんだな。そういえば兄もいたような気がする。

 いつまでも足にしがみついて離れないボクを抱き上げた名前お父さん──ややこしいからパパと呼ぼう──パパはソファに座っているお父さんの隣に腰掛けた。
 近くなったカメラの存在に思わずぷいっと顔を背けると笑い声が降ってきた。

「ほら光。裕也さんとも仲良くしてあげないと可哀想だろ?」

 優しく暖かい手に頭を撫でられて仕方なく背けた顔を戻すとお父さんはもうカメラを構えていなかった。
 不安そうな表情に、確かにちょっと邪険にしすぎたかもしれないと反省する。

「あー、」
「ひ、光くん……っ!」

 言葉にならなら声をあげながら手を伸ばせば、ぱぁっと顔を輝かせて大きな手で持ち上げられた。
 パパ程の安定感はないけどがっしりとした腕に抱えられるのは思ったほど悪くない。すっぽりハマってる感じがする。
 でも抱きしめる力が強すぎるのは勘弁してもらいたい。潰れるっ!

「名前、名前、撮ってくれ! はやく!」
「分かったから落ち着けよ」

 カメラを向けつつボクを抱っこする腕を叩いて力を緩めさせるパパはお父さんの扱い方がとてもうまかった。
 二人は結構歳の差があるように見えるけど若いパパのほうがどうやら主導権を握っているみたいだ。
 窮屈さがなくなって広い膝の上にゆったりと座りながら二人の父親を見上げる。

 ボクを抱えて嬉しそうに顔をニヤけさせるお父さんと、それに目を細めて笑うパパに挟まれなんだか自分も楽しくなってきた。
 生まれ変わって不安なこともあるけれど、この二人と一緒なら第二の人生も楽しく歩めそうだ。