ソテツの思惑


 今夜もスターレスのショーは盛況のままに幕を閉じた。
 ホールの仕事を終えてバックヤードに戻ると、そこには何かと騒動に巻き込まれるスターレスのお姫様がいた。お優しい彼女のことだ、ステージに立っていたキャストに労いの言葉でもかけていたのだろう。今日も素晴らしかったです、と口にするだけで喜ぶ人間がここには多くいる。まさに男共の心のオアシスだ。本人にその自覚があるのならとんだ小悪魔だと揶揄うこともできるのだが、厄介なことに彼女は純粋すぎた。
 ともかく、とソテツはこちらに背を向けている彼女に視線を向けた。これから帰るところなら都合がいい。今日はやけに気分が乗らなかった。未だホールで掃除をしている他の連中に手伝ってくれと頼まれる前に、さっさと退散してしまいたかったところだ。彼女を駅まで送っていくという口実があれば誰も文句は言わない。ならば、使わない手はないだろう。
 そうして声をかけようと後ろからこっそり近付こうとした時、背後から肩を掴まれた。

「待て、ソテツ」

 振り返れば、そこにいたのは相も変わらず無愛想な我らがチームKのリーダーだ。お姫様の危機を察して颯爽と登場するとは、さすがは筆頭騎士と言えよう。

「彼女のことは俺に任せてもらおう」
「なんだ、今日は忙しくないのか」
「ふっ。どうやら食わせ者がいるようなのでな。事態が悪化する前に大人しくさせねばなるまい」

 口元に笑みは浮かべているが、澄んだ蒼瞳は全てを見透かしているようだった。事実、こちらの考えていることは見抜いているのだろう。
 ソテツとしてはバレているのならそれはそれで面白くはあるが、一方で戯れを妨げる煩わしい障害でもあった。その上、いくら彼女が自分に好意を寄せていようとも、ケイがいてはその気持ちを思惑通りに動かすのは難しい。

「そりゃ大変そうだな」

 だからこそ挑発には乗らず、肩を竦めておどけてみせた。ケイを相手に張り合うつもりなど端から無いのだ。
 そうと決まればもうこの場にいる意味はなく、ソテツは軽く別れの挨拶をすると二人に背を向けて歩き出した。魅惑の盾を失ったのは痛いが、ホールスタッフに見つかる前に帰ってしまえば済む話だ。何も難しいことではない。例え見つかってしまっても、言葉巧みに躱してしまえば問題はなかった。
 ただ、それが面倒で今は避けたいというのが本音ではあるのだが。


 思い通りにいかない日だな、と心の中で愚痴りながらロッカールームまで歩いているとレッスン室のドアが開いた。まだ表には出ていない曲のサウンドが廊下にまで響く。数日後から開催されるイベント公演の後に控えているチームから察するに、レッスン室を使用しているのはモクレン率いるチームCだろう。
 案の定、一拍置いて中から出てきたのはカスミだった。相手もこちらの存在に気付いたのか、後ろ手にドアを閉めながら顔を向けられ目が合う。とは言え、目元が前髪で隠れていて本当に視線が合ったのかどうかは分からない。あれでよくステージの上で動けるものだと出会ったばかりの頃は感心したものだ。
 普段であればここで雑談でもするところだが、やはり今はそんな気分ではなかった。

「よう、お疲れさん」

 素通りするのも不自然だろうと、一言声をかけてソテツはそのまま歩みを止めずにカスミの横を通り過ぎた。

「いいんスか……名前さんを放っておいて」

 背中に投げかけられたその言葉に足を止める。返されたのは定型的な挨拶なんかではなく、今は触れてほしくない話題であった。
 近い内に誰かにそう突っ込まれるだろうことは想像していた。そして、それを告げるのは誰なのかも大方予想通りだ。思わず釣りあがった口角に、我ながらいい性格をしていると自嘲する。

「慰めや励ましの言葉なんざ、今のあいつは求めちゃいないさ」
「だからって彼女を利用するのも違うと思うッスよ」
「人聞きが悪いな。これはケイの命令だぜ?」

 スターレスの特別なお客様である彼女は誰かに狙われている。実際に襲われかけたこともあり、対策として手の空いている従業員が駅まで送り届けることになっていた。ソテツもチームリーダーの指示に従って行動しているに過ぎない。その頻度が他のキャストに比べて多いことは確かだが、ただ、それだけのことだ。
 疑われるなんて心外だ、という意味を含めて軽く振り向いてみる。やはり前髪で目元が覆われたカスミの表情は読めない。

「あくまで彼女の護衛をすることが目的であって、あの人を遠ざけるためじゃない。そういうことッスか」

 問いではなく、確信めいた返答に思わず溜め息が出そうになった。
 そこまで察しているなら、今さら探るようなことを言わなくてもいいだろうに。モブに徹する姿勢はどうした。忘れてしまったのか。こちらの腹の内を確かめる様な目が、前髪の隙間から僅かに覗いている。隠れた瞳は確かに言葉の裏を読み取っていた。
 カスミのこういったところは侮れない。けれど、見透かされているのは何も一方だけではないのだ。

「お前にとってはチャンスじゃないのか」

 モブでいることを信条としている男が、わざわざ首を突っ込んでくる理由なんてとっくに分かりきっている。
 名前はただの優しさだけで救えるような浅い性ではない。複雑で、繊細で、面倒な気質だ。だからこそカスミはわざわざ挑発してきたのだろう。自分では何も変えられないことを悟っているから。
 そして、ソテツがその虚しさを見抜いていることもカスミは気付いている。

「なんのことッスか?」

 だからこそ惚けるしかない、と二人は口元の笑みを深くした。
 素直な言葉や反応など初めから望んでいないし、期待されてもいない。今はまだ踏み込み過ぎてはいけないとお互いに理解している。気付かぬ振りをしてやり過ごすのが最善なのだ。
 そうと分かっているのに、浮かべた笑みの下でソテツは静かに舌打ちをした。


 私服への着替えを済ませ、ジャケットに腕を通したソテツはロッカーの扉を少し乱暴に閉めた。有難いことにその行動を咎める者はいない。
 人気のないロッカールームを出て、ホールとは反対の方向へと向かう。これ以上、自分だけが楽しんでいるこの状況に釘を刺されるのは御免だった。どうせ首を突っ込むのなら、せめて楽しませてくれないと困ってしまう。ただオモチャを取り上げられては退屈してしまうのだから。
 一方で、あの二人が口を挟んできた意味も理解できないわけではなかった。
 裏口へと続く分かれ道で足を止め、普段は人が寄り付かない通路に顔を向けた。廊下の先にはスターレス専属のファッションデザイナーが篭るアトリエがある。

「……久々に顔くらい見ておくか」

 ぽつりと吐いたそれは単なる独り言であったが、どこか、誰かに言い訳でもしているような声音でもあった。
 後ろ髪をかきながら廊下を進み、ドアの前に立ったものの中から物音は一つも聞こえてこない。いつも通りノックをせずに無遠慮に中へと入る。
 室内はお世辞にも片付いているとは言えない有様であったが、衣装制作も佳境ともなれば見慣れた光景となっている。床に散らばった布切れや糸くずが綺麗に掃除されるのは、衣装が完成し、ショーが開始されてからだ。掃除係を担うカスミや真珠が手を出すまでは、この混沌とした状態が続く。
 その散乱する型紙や布の上に名前は横たわっていた。いや、彼の場合は倒れているが正しいだろうか。
 何度もその光景を見慣れているソテツは慌てることなく歩み寄り、傍らに膝をついて名前の顔を覗き込んだ。青白い顔色に眉を寄せ、薄紫色の唇に手を近付けて呼吸を確認する。浅く繰り返される吐息に、無意識に肩の力を抜いて顔を上げた。室内を見渡せば完成したであろう衣装を着せられたトルソーが並んでいる。おそらくは次のイベント公演のものだ。衣装を着ての通しや微調整を考慮すれば、今回も期日ギリギリだったのだろう。
 再び名前を見下ろし、倒れた拍子にズレたであろう眼鏡を外す。目元にはくっきりと隈があり、指の背でそっと撫でた。
 人生を賭けた対決や何かと騒動の多いスターレスだが、これまで解雇されたキャストはいない。むしろ行方不明だったネコメが戻ってきたり、誰かさんの差し金で加入してきた奴がいたりと賑やかになるばかり。結果、名前の負担は日を追うごとに増えていった。それでも、服を作ることを生きがいとしていた彼には辛いことではない。
 けれど現実は甘くはない。たった一人のデザイナーだけで全キャストの衣装を作るには、あまりにも時間が足りなかった。外注へ委託することも仕方なしに受け入れたものの本位ではなかったはずだ。
 それだけに、青桐がスターレスに来てからはひどくなる一方だった。

「俺を選べば楽になれるのにな」

 撫でた肌白い頬は冷たそうに見えて温かい。それでも自身の体温は高く、触れた手で溶かしてしまいそうなほどに冷たかった。
 彼の中にある天秤はいつでも片方に傾いている。己の命でさえも均衡を覆すことはできず、望んで茨の道を進んでいた。もしこの手を取ることがあれば、それは生き甲斐を捨てた時だろう。
 だから名前がソテツを選ぶことはない。
 疑う余地すらなく理解しているからこそ、より一層、追い詰めてしまう。いっそ壊れてしまえばいいと望んでしまう。彼の胸の内から溢れる焦りや絶望は、なんと甘美な香りで惹きつけられるものであろうか。己の手でズタズタに斬り付けて、その傷をゆっくりと、じっくりと、骨の髄まで癒してやりたい。

「退屈させてくれるなよ?」

 抱き上げた身体は軽く、脆く壊れてしまいそうで、どうしようもなく愛おしかった。