大晦日や正月であっても職業柄休暇というわけにはいかない。むしろ国内外への人の出入りが多い時期であるからこそ、一層の警戒心を強く持つのがこの仕事だ。しかしなんと珍しいことか、年末年始にちょっとした非番を上司から頂いた。こんなことは滅多にない。とはいえ非番であって休暇ではないため、待機状態であることには変わらない。急な呼び出しにもすぐさま対応できるよう、実家には帰らず一人暮らしのマンションでゆっくり過ごす予定だ。
特番ばかりのテレビ番組を適当に眺めながら、帰れない代わりにと実家の母へと電話を掛ける。すると、病気や怪我はしていないかとこちらを心配する言葉をいくつも貰った。そのせいか少しばかり人恋しくなったものだ。けれど次いで出てきた、彼女はできたのか、結婚はまだしないのか、せめて死ぬ前に孫の顔を見せてほしい、といった半分脅しのようないらぬ世話まで焼かれてしまい早々と通話を終わらせた。
そろそろ仕事を理由に先延ばしにするのは限界なのかもしれない。
思わず溜め息が漏れたタイミングでインターホンが鳴った。宅配便が来る予定はないし、デリバリーを頼んだ覚えもない。年末のこんな時間に訪ねてきた非常識は一体誰だ。億劫になりながらもインターホンのモニターを確認すると、そこに映っている人物に驚いて急いでリビングを出た。
玄関のドアを開ければ、そこには鼻の頭を少しだけ赤くしている名前がいた。
「阿笠さんたちと過ごすと言っていなかったか?」
「あんたが休みだってことを教えたら、哀に追い出されたんだよ」
寒いから入れてくんない、と続けた彼をもちろん追い返すなんてことはせずに迎え入れる。日が暮れると気温も一気に下がる季節だ。連絡さえあれば迎えに行ったのだが、ツーリングが趣味の彼ならばあまり苦ではないのかもしれない。
暖房の効いた部屋の中に入ると名前はリビングに鎮座するある物に気付いて表情を綻ばせた。
「お、コタツだ」
「外は寒かっただろう。今コーヒーでも淹れてくるから入って温まるといい」
「遠慮なくそうさせてもらう」
ネックウォーマーを外し、上着を脱ぎながら嬉々としてコタツに足を入れる寒がりな恋人に思わず笑みが零れる。そして母との通話を思い出しつつキッチンへと向かった。
彼女はできていないが恋人はいる。結婚は、どうだろう。まだ考えていない。職業的にプライベートを優先できるものではないし、家庭を第一に考えることは難しい。そもそも今の日本の法律では同性同士の結婚は厳しいものだ。それに、と続けかけて間を置くように言葉を止める。
棚からマグカップを二つ取り出し、それぞれにインスタントコーヒーの粉を入れる。そこに電気ケトルで沸かしたお湯を注ぐと、ほろ苦い香りがふわりと立ち上った。スプーンで軽くかき混ぜながら揺れる黒い液面を眺める。
自分が望んでいても相手がそうだとは限らない。なにせ名前はまだ若く将来性もある。もし、両親を喜ばせる報告ができるとしたら、それはずっと先のことになるだろう。
コーヒーを淹れたマグカップを手にリビングに戻ると、名前はコタツのテーブルに突っ伏すようにしながらテレビを眺めていた。すっかり自宅のように寛ぐ恋人の姿に、先のことを不安に思うよりも今目の前にある幸いを噛みしめるべきだなと肩の力を抜く。
「こんなクソ忙しい時期でも休みが貰えるんだな」
コトッと軽い音を立ててマグカップをテーブルに置くと、突っ伏していた上体を起こした名前がこちらに視線を向けながらそう言った。警察関係者との関わりも多い彼だからこそ、年末にこうして家でまったりしていることに対して疑問を抱くのも当然だ。
「たまたまだよ。つい先日、一つ険しい山を登り切った後だったからタイミングが良かったんだ」
「ふーん。じゃあ……お疲れ様?」
腰を下ろしながらそう答えると名前はマグカップを軽く持ち上げた。なんで疑問形なんだと笑い、同じようにカップを持ち上げて軽くコツンと合わせる。
「君こそ稼ぎ時なんじゃないか?」
「もう稼いできた後だよ。早朝っつーか夜中から夕方までがっつりシフト入れてもらった」
カップに口をつけた名前の目元はよく見ると確かに眠たげであった。体が温まってきたから余計に表情に出てきているのだろう。
本当なら咎めるべきだ。まだ学生なのだから深夜帯にまでバイトをするなと。いや、むしろこれは雇っている側を注意するべきなのだが、それは一旦置いておこう。
唇からカップを離し吐息を漏らす彼の目元を指の背でそっと撫でる。
「あまり無理はするなよ」
「ん。あんたもね」
学生の身でありながら働かなければならない家庭環境を知っているからこそ、その生き方を強く否定することはできない。支えたいけれど、彼の性格を考えればどんな施しも受け取ってはもらえないだろう。力になりたいのにできない。それがとても歯がゆい。
けれど、そういう子供らしくないところが愛しいと想ってしまうのは惚れた弱みなのだろうか。
それから二人して年末の特番を見ながら他愛ない話をした。ちょっと小腹が空いてカップ麺でも食べようかとキッチンで準備をしていた数分の間に、名前はコタツに入ったまま寝てしまっていた。おそらく少しだけ横になろうとしてそのまま落ちたのだろう。
カップ麺ができ上がるのを待つ間、同じようにコタツに入って横になる。腕を枕にして名前の寝顔を見つめながら、ほんのりと火照った頬を撫でた。起きる気配はない。そのまま顔にかかった髪を耳にかけるように梳いて、前髪を指先で優しく払い、もう一度頬に触れた。
「来年もこうして、君と過ごせたら……」
それだけで幸せだと声には出せなかったが強くそう想った。
願わくばこれから先もずっと。けれどそれは欲しがりと言うものだろうか。我儘だろうか。彼が起きたら初詣へ行って、試しに神に祈ってみるのもいいかもしれない。