目が覚めた。
毎年この日は、太陽が昇るよりも早く目が覚める。
枕元に置いていた携帯を見れば同居人が起きるまではまだ数時間ほどあり、起こさないように静かに身支度を整える。
煙草とライターをポケットに入れ、音を立てないように玄関を出た。
ガレージからバイクを押して家から離れてからエンジンをかけて走り出す。
今日はあの人の命日だ。
あの人が亡くなってから毎年この日は必ずここに会いに来ている。
朝の霊園は静まり返っており、冷たい風が名前の頬を撫でていく。
目的の場所で足を止め、ポケットから煙草を取り出して供える。
「あんたの好きだった煙草、今年も持ってきてあげたよ」
供えた煙草の箱の上にライターを乗せた。
「今日だけこれ貸してやる。そっちで好きなだけ吸ってくれよな」
まぁ貸してやるって言っても、元はあんたのだったけどさ。
松田の名前が刻まれたそのジッポライターは名前が中学の時にプレゼントした物で、大切に使われていたそれはあの日、持ち主を置いて帰ってきたのだ。
あぁ、違うか。置いてかれたのはこちらのほうだった。
出会いが突然なら、別れも突然だ。
松田と出会ったのは今から8年前の名前がまだ小学4年生のときだった。
──ここからだとよく見えるなぁ。
名前は人が行き交う交差点の近くにある花壇の塀に座ってぼうっとある一点を見つめていた。
チラチラと歩いている人が名前を気にしているのは、夜遅くに子供が一人で座り込んでいるからだ。
「よぉボウズ。こんなところでなにやってんだ?」
多くが見て見ぬ振りをしている中、名前に声をかけてきた者がいた。
視線を合わせるようにしゃがんだ男は、夜だというのにサングラスをかけており口元には煙草が咥えられている。
「母親でも待ってるのか?」
じっと男を見るだけで返答がない名前に続けて問えば、小さな頷きが返された。
「どこにいるんだ、お前の母さん」
「……あそこ」
名前の小さな指が男の背後を指差す。
男は立ち上がり指された方向へ目を向ける。そこには米花中央病院が建っており男は眉を顰めた。
「看護婦……なのか?」
「ううん、違う」
やっぱりな。
診断するだけなら子供をこんなところに置いておくわけない。つまりそういうことなのだろう。
男は溜め息を吐くように煙草の煙を吐き出し、名前の横に座った。
「こんな時間に子供が一人でいるもんじゃねーぞ」
「……もうすぐ帰るよ」
「本当かぁ?」
「本当だよ。お母さんの病室の電気が消えたら帰るって決めてるから」
今日が初めてではないらしいその言葉に男は再度眉を寄せた。
「いつから入院してるんだ? お前の母さん」
「……3日前から……でもすぐ退院できるよってお母さん言ってた」
「そうか」
行き交う人の視線が度々名前と男に向けられた。
主に男に対して厳しい視線が投げつけられるため、やはり子供の前で煙草はまずいだろうかと考える。
吸いかけの煙草を「もったいねーなぁ」と呟きながら、懐から取り出した携帯灰皿に入れる。
「俺、気にしないよ?」
「ガキが気使ってんじゃねーよ」
男の言葉に不満そうな顔をして、母親の病室があるであろう場所へ視線を戻す。
カーテン越しに漏れる灯が消えて名前は「あっ」と声を漏らした。
「どうした?」
「電気消えたから帰る」
「おー待て待て」
さっと立ち上がった名前の細い腕を掴んで引き止める。
子供一人で夜道を歩かせるわけにはいかないだろう、と男は頭をかいて立ち上がった。
「仕方ねぇから俺が家まで送ってやる」
名前は警戒を顕にして男を見上げる。
「知らない人について行っちゃダメだから」
「そりゃそうだ」
男は笑って懐から黒い手帳を取り出した。
「ならこれでどうだ?」
取り出したのは警察手帳だった。
名前が見やすいようにしゃがんでから、開いた手帳を顔の横に持っていく。
「……それ、本物?」
「あたりめーだろ」
疑りを込めた目がだんだんとキラキラ輝いていった。
手帳と男の顔を行ったり来たりすると、パアッと笑顔を浮かべる。
「お兄さん警察官だったんだね! えーっと……まつだ、さん?」
「おう松田陣平ってんだ。ボウズ、名前は?」
「はな、あ違う……えっと……苗字名前だよ」
はな? 松田は手帳を仕舞いながら立ち上がり頭に疑問符を浮かべた。
しかし初めて会った子供に追求して聞くのも変だろうと、すぐに考えるのをやめる。
両手をポケットに突っ込んで、名前の案内で歩き出す。
小さな少年の歩幅に合わせるようにして歩く松田を、名前は嬉しそうに見上げた。
「ここだよ」
出会った場所から暫く歩いたところで名前は足を止めた。
古い木造アパートの前で松田に向き合う。
「送ってくれてありがとう、お巡りさん」
「もう一人であんなところにいるんじゃねーぞ」
「……うん」
じゃあおやすみなさい、と言って名前はアパートに入っていった。
松田は煙草を取り出し咥え火をつけると深く吸い込んだ。
空に向かって吐き出して踵を返し帰路に着く。
翌日、病院の前の花壇に名前の姿がないことに安堵した。
しかし数ヶ月後。
「おい」
「あ、松田さん」
松田がそこを通りかかったのはたまたまだった。
あの時と同じような遅い時間に、あの日と同じように名前はいた。
たった一度会っただけの大人の言うことを素直に聞くはずがないか、と溜め息を吐いて名前の隣に座り込む。
「まだ入院してんのか?」
「まだっていうか……またっていうか」
なるほど、あれからここに居なかったのは母親が退院したからで、今こうしてここにいるのはまた入院したからというわけか。
「父親はどうした?」
「お父さんは……いるけど、いない」
「なんだそれ」
入院している母親は仕方ないが、父親が我が子を放っておくのはどうなんだ。
そう思って聞いたがなにやら歯切れが悪い。
病室に向けていた顔を俯ける名前にまずいことを聞いてしまったか、と思う。
「……もう、お父さんじゃ、ないから」
「……あー……そういうこと」
だからあの時、苗字を間違えそうになったのか。
まだ言い慣れてないところからすると、苗字が変わってからそんなに経っていないのだろう。
「でもお母さんいるから平気。それに……」
俯けていた顔をあげて松田に笑顔を向けた。
「今は松田さんがいるから一人じゃないし」
向けられた表情に松田は目を瞬かせ、困ったように笑う。
荒い手つきで子供の柔らかい髪を撫でた。
「懐くんじゃねーぞ」
「お巡りさんは良い子の味方でしょ」
「こんな遅くに一人でいるガキが良い子なわけねーだろ」
「松田さんがいるじゃん」
「屁理屈言うな」
楽しそうに笑う名前は乱れた髪を直しながら病室へと目を向ける。
「どこなんだ?」
「あそこだよ。左から5番目」
名前が指しているほうを辿ればちょうど電気が消えた部屋があった。
「あ」
どうやらそこが名前の母親が入院している部屋のようだ。
確かにここからだとよく見える。
「帰るか」
「……うん」
立ち上がった松田に続いて名前も立ち上がり歩き出したその背を小走りで追いかけた。
歩く道が以前と同じで今日も送ってくれると分かり、名前は嬉しさからポケットに突っ込まれる前にその手を握った。
まだ二度しか会っていないのに随分懐かれたもんだ。
松田は嬉しそうな表情を浮かべる名前を見下ろして口元を緩めた。
「懐くなっての」
小さな手を振り払うことなく握り返して、名前をあの日と同じようにアパートまで送り届けた。
こうして松田は仕事帰りに暇を見つけては名前の相手をするようになり、最近付き合いが悪いと同僚に文句を言われるのであった。