持っていたペンをデスクの上に放り、対面に座って新聞を広げている男を見る。
「最近署内でお前に恋人ができたんじゃないかって噂で持ちきりなんだが、そこんところどうなんですかー松田サン?」
「ふざけたこと言ってねーでさっさと報告書書いちまってください萩原サン」
指先で放ったペンを転がした萩原は煙草を吸うジェスチャーをして見せた。
新聞から顔を上げた松田は眉を寄せてサングラスの奥から睨みつける。
「断る」
「いいじゃねーか、一服くらいしよーぜ」
「ふざけるな。だいたいお前が今日飲みたいっつーから待ってんだろーが」
「あぁそうだった」
デスクに頬杖をついて恍けてみせる萩原に呆れて新聞に視線を戻す。
「いやマジな話。お前最近付き合い悪いだろ」
「そうか?」
「こりゃ飲みに行くのもいつ振りか覚えてねーな」
相変わらず報告書の続きを書く気がないのか、ペンを遊ばせている萩原に溜め息を吐く。
さっさと書かないと飲みに行かねーぞ、と文句の一つでも言ってやろうと新聞を畳んでデスクに置くと、ちょうどデスクに置かれた携帯がバイブで震えた。
すぐにバイブが止まったことからメールだと気づく。
携帯を手にとりメールを確認する松田の口元が軽く緩んだ様子に興味をそそられる。
「なになに? 彼女からメール?」
「さて帰るか」
「待てよ!すぐ書き終わっから!」
椅子から腰を浮かせた松田にさすがに焦った萩原はペンを握り報告書を仕上げていく。
ちらりと視線を上げた先では女子高生並みの早打ちでメールを返す松田に「手先が器用ってレベルじゃねーよな」とどうでもいいことを思う。
「よし、終わった!」
勢いよくペンを放った萩原は椅子の背もたれに寄りかかった。
松田は身を乗り出して報告書を指で摘んだ。
「おい日付書き忘れてるぞ」
「やっべ……えーっと今日何日だっけ」
「6日だ。11月6日」
慌てて日付を書き足し、そのまま上司へ提出しに行く背中を見送った。
再び震えた携帯を開いてメールを確認する。
『あんまり遅くならないでね!絶対だよ!』
可愛らしいお願いに小さく笑って返答を送った。
携帯をポケットに仕舞ったところで萩原が戻ってきたので二人で署を後にする。
「んじゃ、何処で飲む?」
「俺ン家でもいいか?」
「あぁ構わないけど……」
てっきり居酒屋かどっかで飲むのかとばかり思っていた萩原は疑問の目を向けた。
「話せよ」と目で訴えてくる萩原から視線を逸らして頭をかいた松田は、仕方ないとばかりに息を吐く。
「去年にな……小学生のガキと知り合って」
「あー……お前ついに……」
「歯ぁ食いしばれ」
「冗談だって」
ニヤニヤする萩原の肩を軽くど突いて、マンションから一番近くにあるコンビニへと入る。
適当に酒やつまみを買い込んで腹癒せとばかりに荷物を萩原に持たせた。
重い重いと文句を言う声を無視してマンションのエレベーターに乗り込む。
「で? さっきの話の続きは?」
「……そのガキ、今日うちに来てんだよ」
「は?」
エレベーターが止まり驚きに固まっている萩原を置いてさっさと歩いていく。
その背中を見つめていた萩原は閉まりそうになった扉にハッとして、慌てて松田を追いかけた。
「おいおいおい連れ込むのはまずいだろ」
「その言い方やめろ。保護って言え」
あと声がでかい。ご近所にいらん誤解を与えるだろ。
玄関のドアを開けて松田は首をかしげた。
後ろからどうした?という声が聞こえるがとりあえず無視だ。
いつもならある出迎えがなぜかない。
疑問に思いながら靴を脱いで家に入り、リビングに顔を出すとテーブルに突っ伏している少年がいた。
「なんだ寝てんのか」
松田は寝ている少年を抱き上げ、自分が使っているベットへと下ろし布団をかけてやる。
まさか松田が子供にこんな対応をするなんて! と遅れてリビングに入った萩原は驚いた。
「うっそ松田クンが優しいっ」
「おう、酒置いてとっとと帰れや萩原」
「俺には冷たーい」
持っていた買い物袋をテーブルに置いてベッドを覗き込む。
「この子がさっき言ってた?」
「あぁ」
「なんでまたお前んとこにいるだ」
「仕方ねぇだろ。夜遅くにガキを外に置いておくわけにはいかねーし」
床に座った松田は袋からビール缶を一つ取り、ベットを背もたれにしてプルタブを開けた。
一口煽ってから少年と出会った去年の出来事を語る。
暫くベッドを覗き込んでいた萩原は、その話を聞きながら松田の向かいに腰を下ろす。
「で、懐かれたわけだ」
「まぁな」
「けど家に連れてくるほどか?ちゃんと送ってるんだろ」
「あー……半年くらい前にな……」
松田は半年前に、病院の見えるあの場所で少年−−名前と交わした会話を思い出す。
その日の名前はいつもより気落ちしていて、松田は尋ねることを躊躇った。
しかしいつまでもそうしているわけにはいかないので、そっと息を吐いて名前の頭を少し乱暴に撫でながら「どうした?」と訪ねた。
「お母さん、入院が長くなるって」
「……」
「いつ帰れるか、分からないって」
「……そうか」
乱暴な手つきを優しいものに変える。
病室の電気が消えても動こうとしない名前は視線を下げて膝を抱えた。
「帰らないのか?」
「帰っても一人だから……」
「まさか、本当に誰もいないのか?じいさんやばあさんも?」
「うん……妹がいたけど、施設に預けられたから今は俺一人」
「……お前は施設に行かなかったのか?」
「俺が行ったら、お母さん一人ぼっちになっちゃう」
松田を見上げたその表情は切なげな笑みで、思わず眉を寄せる。
小学生がする顔じゃねーだろ。
撫でていた頭を軽く小突いて立ち上がった。
「ほら、帰るぞ」
「帰りたくない。一人はいや」
いつまでも立ち上がらない名前の両脇を掴んで持ち上げる。
名前は驚いて目を瞬かせた。
「ばーか。俺ン家に帰るんだよ」
「松田さんの?」
「そうすりゃ一人じゃねーだろ」
「いいの?」
「いいんだよ。ほらさっさと行くぞ」
名前を立たせて、その小さな手を握った。
中身のなくなった缶を潰してテーブルに転がし、新しい缶を手にとる。
「っつーわけで、たまにだけだがこうして俺ン家で預かってるわけよ」
サングラスを外しアルコールの影響で頬を少しだけ染めている松田は、ベッドで寝ている名前の柔らかい髪を指で弄る。
萩原は飲みかけの缶を手に口をぽかんと開けたまま目の前の男を見た。
「松田……お前……」
震えるような声を出した萩原に視線を向け眉を顰めた。
こいつ絶対また変なノリになってやがる。
あまり邪険にしては可哀想だから今回はノってやるか。
「いつからそんな優しいヤツになったんだっ」
「なに言ってんだ俺は元から優しいぜ?」
「お、なんだこれ」
「聞けよ」
萩原は床に放置された名前のものだろうリュックから飛び出ている紙を見つけて摘み上げた。
書かれている内容に懐かしさを感じながら、向かいで不貞腐れている松田に差し出す。
「見ろよ松田」
「なんだよ」
ビールを煽った松田は無愛想にその紙を受け取った。
裏面のまま受け取った紙を引っくり返して目を瞬かせる。
赤いペンで『100』と書かれたそれは算数のテスト用紙だった。きっと病院で母親に見せたのだろう。
「……名前って頭よかったのか」
「え、なに、お前知らなかったの?」
「勉強のことなんて聞かねーし。お前なら聞くか?」
「あー……聞かねーなぁ」
名前のリュックの上にテスト用紙を戻し、つまみに手を伸ばす。
テーブルに頬杖をつきながらビールを口にする萩原は目線だけをテスト用紙へ向けた。
「テストで満点なんて採ったことねーわ」
「俺も」
互いに学生時代を思い出し苦笑いが漏れる。
「起きたら褒めとくか」
「うわぁ松田が親父やってるよ」
「お袋空いてるぜ?」
「遠慮しとくわ」
お前急にノリ悪くなるのなんなの?
ジト目で睨んでくる男に、萩原は思わず声を出して笑ってしまった。