memories06


 前々から松田さんにお礼はできないかとプレゼントを用意していたはいいものの、なかなか渡せる機会がなかった。
 父の日か? と思いはしたがどちらかというと兄のような存在なのでお酒のつまみをいつもより豪勢にするだけに留めておいた。
 そういえば、と松田さんの誕生日を聞いてみればなんと今日だという。なんてタイミングがいいんだろう。

「誕生日おめでとう、松田さん」
「さっき聞いてきたのになんでプレゼントの用意できてんだ」

 小さな紙袋を差し出すと呆れ顔で受け取った。
 目で開けていいか聞かれ頷くと、袋から銀色の塊を取り出し手のひらに転がす。

「ライターか?」
「うん。松田さん、使い捨てライターばっか使ってるからさ。こういうの貰ったら嬉しいかなって…嬉しくなかった?」

 あまりにも手に持ったライターを凝視するものだから不安になって見上げれば、口元を緩めた松田さんに頭を撫でられる。

「んなことねーよ。すっげー嬉しい」

 想像していたよりも喜んでくれているようで、なんだか俺も嬉しくなってきた。
 試しに火を点けてみたりと感触を手に馴染ませている松田さんが、ライターを裏返した時に目を瞬かせたのに気づき思わず口元がニヤついてしまう。

「お、名前入りかよ」

 ライターに控えめに掘られたローマ字表記の名前。
 本当は入れるつもりはなかったけど、店の人がサービスで彫ってくれたのだ。

「気に入った?」
「おう。こりゃいいもん貰っちまったなぁ」

 さっそく煙草を吸うのか、ベランダへと向かう松田さんが顔だけ少し振り向いて持ったライターをアピールするように軽く手を降った。

「ありがとな、名前。大事にする」

 松田さんに誕生日プレゼントをあげたのが中学2年の時だった。
 俺が中学3年になった今でもあの日あげたライターは大事に使われているようだ。


 松田が捜査一課強行犯係に配属されてから数日。
 助手席から聞こえた金属音と僅かな着火音にハンドルを握っている佐藤は眉を潜める。

「ちょっと松田くん。現場に着いたら煙草は消してよね」
「はいはい」

 適当に返されたそれにもう一言くらい言ってやろうかしらと思いながらちらりと隣を見れば、いつも使っているライターを手で遊ばせていた。
 署内でそのライターをよく見た時に刻まれた彼の名前を発見したことを思い出す。

「随分大事にしてるみたいね、そのライター」
「まぁな」
「彼女からの贈り物かしら?」

 からかい混じりに聞けば沈黙が車内を包み込む。
 松田はライターに刻まれた自分の名前をじっと見つめ、ふっと笑った。

「……んな軽いもんじゃねーよ、あいつは」

 その言葉に、ふと頭によぎったのは交通課の友人から聞かされた話だ。
 配属された日から彼のことを見ているが、とてもそんな親切心の厚い男には思えなかったから噂は噂に過ぎないと思っていた。

「もしかして……あなたと一緒に住んでるっていう子?」
「なんだ、あんた知ってたのか」
「噂で聞いたのよ。あなたが他人の子を育ててるって」

 まさか本当だったとは。
 ──人は見かけによらないものね。

「育ててるなんてそんな大層なことはしちゃいねーよ」
「いくつなの?」
「中3だから15だな」
「結構大きい子なのね。もっと低い年齢を想像してたわ」

 松田としては本当に育ててるつもりはない。
 手のかかるような年齢でもないし、家事は完璧にこなしてくれている。あと飯が美味い。これ重要な。
 朝も名前の声で目覚めるようになったしアラームいらずだ。
 ……待てよ。
 これって世話されてるのは俺の方じゃねーか?

「中学3年ってことは受験生ね。大変なんじゃない?」
「……あ」
「あなたまさか……」

 失念していたといったように声を漏らす松田に呆れた視線を送る。

「ま、あいつは頭いいし問題ねーよ……多分」

 誤魔化すように短くなった煙草を車の灰皿に押し付けた。


 数日前に「強行犯係になった……ちげーしそこじゃねーんだよ…」とビール片手に愚痴っていた松田さん。
 その強行犯係とやらに配属になった初日こそ、そんな風に言っていたが今じゃ「口うるさい奴」だの「可愛げがねぇ」などと、どこか楽しそうに話している。
 話を聞いていると、いつも同じ人のことを話していて、しかも女の人だというのが分かった。
 名前は確か、佐藤さん。

「お前、全然勉強してねーけど高校どうすんだ?受験だろ」

 夕飯の片付けも終わり、風呂でも入ろうとした矢先にベッドに座って寛ぎながらテレビを見ている松田さんにそう声をかけられる。
 その手の話題は今まで聞かれなかったから、自分の進路についてもなにも言わなかった。

「高校は……行かない」
「はぁ? なんでだよ」
「だって……いつまでも松田さんに世話になりっぱなしじゃ悪いし……俺、金も持ってないし……」

 母が残してくれた財産は、母の入院費や細やかに行われた葬儀、母のために建てた小さな墓に使ったので僅かしか残されていない。
 担任からは支援金を考えてみてはどうかと言われたが、別に勉強がしたいわけでもなかったから一時保留にしておいた。
 このこともまだ松田さんには話していない。

「んで高校行かずに働くってか?」
「……うん」
「はぁ……なんで俺に気ぃ使ってんの」
「……俺がいたら、松田さん彼女連れてこれないでしょ?」

 俺の言葉に目を瞬かせた松田さんは次第に眉間にシワを寄せ、目つきが悪くなっていく。

「は?」

 思わず口を噤んだ。
 部屋に響くテレビの音が突然切れて、松田さんは持っていたリモコンをベッドの上に放った。

「ちょっとこっち来い」

 重い足取りで松田さんの前に立つと今度は「座れ」と言われ、おとなしく床に膝をついて座る。
 顔は俯かせたままあげられない。

「彼女ってなんだ」
「……最近松田さんからよく女の人の名前が出てくるから」
「それで?」
「……その人の話してるときの松田さん見てると、好き、なのかなって」

 視線を痛いくらい感じる。

「俺が、いたら……邪魔になるかもって……」

 上から聞こえる溜め息に思わず肩を揺らす。
 呆れさせたかもしれない。

「顔上げろ」

 なかなか顔を上げようとしない俺に痺れを切らしたのか、頬を両手で挟まれた。

「俺を見ろ、名前」

 無理矢理に上げさせられた視線の先にあった松田さんの表情に目を見開く。
 まったく仕方ないと言いたげな優しい目で見下ろして、口元は緩やかに口角をあげている。

「お前出てくつもりか」
「っ、だって……」
「それは違ぇーだろ、名前」

 頬を指の腹でゆっくりと撫でられる。

「一人が嫌なくせして、俺から離れようって?」
「……っ」
「バカだろ、お前」

 顔が近づいてきて、コツンと額が合わせられた。
 温かい瞳がすぐ近くにあって、じわりと目頭が熱くなる。

「なんで俺がお前を手放すと思ってるわけよ」
「じゃあ……ずっと、傍にいてくれる?」
「当たり前だ。手放すわけねーだろ」

 分かってる。
 俺がまだ子供だから松田さんはこう言ってくれてるんだ。

「お前を一人にしちゃいけねーんだよ」

 でも。
 それでもいい。
 俺が大人になるまででいい。

「ずっと俺の傍にいればいいんだ。簡単だろ」
「うん」

 我が儘でごめんなさい。
 早く大人になって、松田さんに迷惑かけないようにするから、それまであと少しだけ、我が儘でいさせてほしい。

 くっついていた額が離された。

「なぁ。もし俺に彼女ができたら、俺はお前と彼女のどっちを優先すると思う?」
「え……彼女、かな」

 そう答えると松田さんは不機嫌そうにジト目で俺を見下ろしてくる。

「あれ、違った?」
「お前……俺の話ちゃんと聞いてたか」

 掴まれた頬をぐっと持ち上げられて柔らかいものが唇に当たった。
 すぐ近くにある松田さんの顔に、唇に当たっているものが松田さんのそれだと分かる。
 慌てて身を引き後ずさり、口元に手をあてた。

「はっ? な、なに……っ?」
「おーおーキスは初めてかぁ僕ちゃん」
「な、にすんだよっ松田さん!」
「よかったな。ファーストキスがかっこいい俺で。自慢していいぞ」

 ニヤニヤしながら焦る俺見て楽しんでいる松田さんを一睨みして立ち上がる。
 完全に遊ばれてる。もういい、風呂に入ろう。

「この変態っ!」
「おいおい変態はないだろ」

 リビングを出て行こうとした俺に、後ろから「名前」と静かに名前を呼ばれ振り返った。

「大学まで行けとは言わねーけど、高校は行っとけよ」
「……考えとく」

 俺の返事にまだ不満そうではあったがそれ以上はなにも言われなかった。

 リビングから出て行く名前を見送った松田は、ベランダに出て煙草に火を付ける。
 ゆっくりと夜空に向かって吐き出した煙はすぐに風に流された。

「分かってるよ萩原」

 友を思い出しながら自嘲気味に笑う。

「俺も随分、我が儘になったもんだよな」

 指で挟んでいた煙草を咥え、先ほどの名前の反応を思い出して頭をかいた。

「さすがに手出すには早すぎたか」

 でもやっぱ変態はねぇだろ。