その日、コナンは修理を頼んでいたスケボーを受け取るために阿笠邸へと来ていた。
玄関から阿笠を呼びかけるが返事はなく、いつものように遠慮なく家の中へと入っていく。
リビングでもう一度呼ぶがやはり返事はない。
「博士ならいないわよ」
そこへ阿笠とは別の声が聞こえ振り向けば、カウンターの椅子に座ってPCを弄っている灰原がいた。
さらにそのカウンターの奥のキッチンでは名前がなにやら作業中のようだ。
「んだよ博士のやつ。受け取りに来いって言われて来たってのに」
「しょうがないでしょう。前に博士が作った発明品が壊れたって近所から連絡があって、今修理に出かけてるのよ」
「また壊れたのかよ」
待つしかねぇか、とコナンは呆れたようにカウンターの椅子に座った。
椅子に座ればよく見えるようになったカウンターの向こう側では、名前がコーヒーを淹れており灰原の側に白いコーヒカップを置く。
「ありがとう」
名前の淹れるコーヒーの美味しさを知っているコナンは、自分も飲みたいと声をかけようとした。
だが声をかける前に、灰原が手にしているのと同じ白いコーヒーカップがコナンの前に置かれる。
「ほらよ」
「あ、ありがとう名前さん。よく分かったね」
「飲みたそうな顔してたろ」
そう言いながらマグカップに残りのコーヒーを注ぎ一口だけ口にすると、名前は夕飯の準備に取り掛かった。
夕飯の支度をするには少し時間が早い気がする。
「名前さん、今日もこれからバイト?」
「いや、今日はもうバイト入れてねぇよ。ただ夜には出掛けるから早めに準備してるだけだ」
ふーん、と返しコーヒーを飲むとコクのある旨味が口内に広がる。
コナンが名前と出会ったのは灰原哀を通してのことだった。
組織から抜け出すために自分が飲まされたのと同じ薬を飲み、体を縮めた灰原が雨の中を一人で歩いているところを名前は見ていたようだ。
工藤邸の前で倒れた彼女を抱き上げどうすべきか悩んでいたところに阿笠がやって来て、二人を家に迎え入れた。
雨に濡れた影響か数日風邪で寝込んでいた彼女を看病するために名前も阿笠邸に厄介になっていたらしい。
その後名前と出会ったコナンは早々と正体が小学生ではないということを見破られてしまい、自分が工藤新一であることを明かした。
灰原を守ると決めた名前には組織やそれに関わる情報はできるだけ共有している。
本当なら関わらせるべきではないのだろうが名前は何度かベルモットと接触しており、生まれつきの鋭い嗅覚で彼女の変装を見破ってきた。
コナンにとっても名前は手放すことができない存在だ。
不良のカテゴリーに属する彼だが、事件が起こった際には身を呈して灰原やコナンだけでなく子供達を守る姿に多くの信頼を寄せている。
なにより警戒心の強い灰原が名前に心を許していることが、彼を信用しても問題ない人間だという一番の証拠だ。
住んでいたアパートが火事で燃えてしまい、住む場所のない彼を招き入れたのも彼女である。
あの時の沖矢はなんだか少し可哀想だったな、とコナンは苦笑した。
聞けば時々沖矢がやってきては名前に料理を教わっているようだ。
長い一人暮らしとバイトで得た経験から彼の料理はかなりのもので、今では阿笠邸のキッチンは彼のテリトリーになっている。
沖矢からは「苗字くんをお嫁さんにしたら毎日こんな美味しい料理が食べられるんですね」なんて言われたらしく、それから暫くは完全無視を決め込んだらしい。
そういえば昨日、蘭が言っていたのは本当なのだろうか。
「なぁ名前さん。もしかして夜に入れてる予定って彼女に会いに行くとか?」
「なに急に訳の分からねぇこと言ってんだ」
「蘭から聞いたんだけどよ、最近できたんだろ?」
「彼女はできてねぇよ」
コナンの記憶では、確かに蘭から聞いたのだ。
ポアロで園子と一緒にバイト中の名前を捕まえて彼女はいるのかと尋ねたらしい。
最初は「いない」の一点張りだったが、そこに安室が入ってきて恋人ができたことを暴露したのだ。
そんなことをするから嫌われるのに。
「なんで俺は知らねぇのに安室さんは知ってるんだよ」
「恋人のいるいないなんてわざわざ他人に言うかよ。あの人は偶然知っただけだ」
「やっぱいるんじゃねーか」
頬杖をついて不貞腐れるコナンの隣からクスリと笑う声がする。
「あら工藤くん、嫉妬してるの?」
「……バーロー。そんなんじゃねーよ」
実際、コナンは自分が何に対して不満を抱いているのか分かりかねていた。
自分の知らないところで名前に彼女ができたことに対してなのか。
自分より先に安室が知っていたことに対してなのか。
そもそも名前に彼女ができたこと自体に対してなのか。
「大好きなお兄ちゃんが知らない誰かに取られて駄々をこねるなんてやめてよね」
「だからそんなんじゃねーって言ってるだろ。つーか、おめぇはいいのかよ」
「彼に大切な人ができたのなら、いいことじゃない」
「ふーん」
「……なによ」
灰原はPCから目を離し、隣に座っているコナンをジト目で見る。
「いーや。おめぇは名前さんのこと、好きなんじゃねーのかなって」
「彼のことは大切に思ってるわ。でも……恋愛対象じゃないわね」
コナンから視線を外し、料理に集中している名前をちらりと見てPCに視線を戻す。
「あなたも諦めなさい。彼の好みは年上なのよ」
「へぇー年上……ってだからちげぇって言ってるだろ!」
「いま帰ったぞー。おぉ新一、来ておったのか」
「おせーよ博士」
ようやく帰ってきた阿笠にスケボーを取りに来た旨を伝えると、どうやら地下の部屋に置いてあるらしくコナンは椅子から飛び降りて阿笠とともに地下へと向かった。
静かになったリビングには夕飯を準備する音だけが響く。
「あなたもいろんな人に好かれて大変ね」
「……いらんモテ期だな」
からかうような言葉をかけられ、名前は肩を竦めた。