開店準備中のポアロのドアベルが鳴る。
テーブルを拭いていた梓が顔を上げ視線を向ければ、不機嫌を隠さない表情を浮かべている名前がいて苦笑した。
「おはよう名前くん」
「……はよ」
ぶっきらぼうにも挨拶を返すとバックヤードに入っていった。
彼の機嫌を見ればその日のシフトが分かるようになったのはつい最近のことだ。
エプロンをつけて戻って来た名前はカウンターの奥に入り、モーニングセットの下準備に取り掛かる。
「あんまり嫌っちゃ、安室さんが可哀想よ」
カウンター越しに立った梓にチラリと視線を向けすぐに反らした。
「必要以上に絡んでくるんだから自業自得だろ」
「……あー……うん、ちょっと否定できないわね」
シフトが一緒になった時の安室を思い出して納得してしまう。
名前と仲良くなりたいのか、なにかと構っている姿をよく見かけるのだ。
あまりにも相手にされてないので半分意地にでもなっているような気がするが、きっと気のせいだろう。
まぁでも構いたくなってしまう気持ちは梓にも分かる。
やんちゃが過ぎるところもあるが、バイトに対しては真面目だし接客も愛想はよくないがちゃんとこなしている。
ちょっと生意気なところが可愛く思えて、弟がいたらこんな感じなのかなといつも思う。
「安室さんも、名前くんのこと弟のように思ってるのかも」
「はぁ? あんな兄貴いらねぇわ」
「えー。イケメンだし優しいし料理もできて頭もいいお兄さんなんて素敵じゃない?」
「全然」
やっぱり男と女では感じ方が違うのかもしれない。
開店の時間になったのでドアに下がっている「Close」のカードを「Open」にひっくり返す。
カウンター奥に立つ名前の隣に立ち持っていた台拭きを置く。
「ちなみに私は名前くんのこと弟みたいに思ってるわよ」
「……あっそ」
こうして無愛想で素直じゃないところも梓には可愛く見えてしまうのだ。
「最近は怪我もないし、喧嘩はしてないみたいね。偉いぞー」
「やめろって」
子供にするように頭を撫でると眉を寄せて嫌な顔をされるがその手を振り払われることはない。
そこがまた可愛くて構いたくなる。
安室のように構い過ぎると本気で嫌がるので程々に、ではあるが。
「もういいだろ。そろそろ客来る」
「はいはい」
撫でていた手を離すとタイミングよくドアベルが鳴り来客を知らせた。
「いらっしゃいませ」
梓はカウンターから出て笑顔で客を迎え、席に案内する。
モーニングセットの注文を受け、あらかじめお湯で温めていたコーヒーカップにブレンドコーヒーを淹れ梓に渡す。
「あの人、コーヒーは先だったよな」
「うん。ありがとう」
トースターにパンをセットして、フライパンをコンロの上に置き温める。
卵を片手で割り、塩と胡椒、そしてマヨネーズを加えて溶いていく。
熱したフライパンに卵を流し込みかき混ぜながら形を整えていくとできたのが、ふんわりとしたオムレツだ。
皿に乗せケチャップソースをかけ、焼いたハムを添える。
トースターからパンを取り出し半分に切り、オムレツを乗せた皿に盛り付けバターを一切れ乗せた。
別の皿にサラダを盛り付ければモーニングセットの完成だ。
いつもながら名前の手際の良さには感心してしまうなぁとその手元を眺めていた梓の目の前に料理が差し出された。
朝のピークはほとんどがコーヒーかモーニングの注文なのであまり然程ではないが、お昼のピークは大変だ。
あちこちのテーブルを行ったり来たりする梓は来客を知らせるベルの音にドアのほうを向く。
「安室さん!」
「交代には少し早いですが手伝いますよ」
爽やかな笑顔で救いの手を差し伸べる安室は、やはり頼れる男にしか見えなかった。彼の以外な一面を見るまでは。
安室の助けもありお昼のピークを乗り切った梓は一時的に客のいなくなった店内のカウンターに突っ伏した。
「疲れたー」
「お疲れ様です、梓さん」
「安室さんが来てくれて助かりましたよ」
ぐっと背伸びした梓は洗い物をしている安室に笑顔を向ける。
そんな梓の前にオムレツとナポリタンが乗った皿が置かれ、同じ皿を持った名前が梓の隣の空いた席に座る。
「それ、食ったら上がれば。そろそろ時間だし」
「わぁ! 今日の賄いに名前くん特製のオムレツがある!私これ好きなのよー」
ありがとー! と嬉しさのあまり隣に座る名前の頭を撫でた。
「いいからさっさと食えよ」
「はーい」
「……お二人は本当に仲が良いですね」
そんな二人を見ていた安室が羨ましそうな声を出す。
洗い物が終わったのか蛇口をキュッと締めた音がして、名前は一度安室を見て誘導するように視線をずらしていく。
「ついでにあんたの分も作っといたけど」
「えっ! 本当ですか!?」
視線を向けた先には確かに賄いが用意されていた。
予想だにしていなかった出来事に安室は思わず皿を凝視して固まってしまう。
ようやく動いた手がゆっくりと皿を持ち上げる。
「本当に、僕に?」
「よかったですね、安室さん」
「苗字くんが、僕に……まさか、ありえないっ……これは……夢?」
「あ、安室さん?」
未だに現実を受け止められないでいる安室を見る名前の目は冷ややかだ。
「夢だと思うんなら食うなよ」
「っだめです! 苗字くんが僕のために作ってくれたんですよ!」
「”ついで”だって言ってんだろ」
輝かしい笑顔を浮かべて名前の目を見返す。
「隣に座って一緒に食べてもいいですか!?」
「来んな」
二人のあまりの温度差に梓は苦笑するしかなかった。
結局安室は無理やり名前の隣に座りそれはもう嬉しそうにオムレツを食したのだ。
夕方、ポアロを訪れたコナンは首を傾げた。
コナンを迎えた安室はいつも以上にニコニコとしていてかなり上機嫌だということが分かる。
なにかあったのだろうかと疑問に思いつつもカウンター席に座りながら、他のテーブル客の相手をする安室を見ているとアイスコーヒーの入ったグラスが置かれる。
「ありがとう、名前さ……ん……」
頼むつもりでいたものが注文する前に出されるのは名前とコナンの間にはよくあることで、ポアロに入った時から気にしていた安室から初めて名前に視線を向けた。
そこにはいつも以上に不機嫌な顔をしている名前がいて目を瞬かせる。
あぁ、これは安室がなにかやったな。
ここで名前になにかあったのかと問えば、きっと彼はなにも聞くなと言わんばかりにコナンを睨むだろうことは安易に想像できる。
しかし好奇心は抑えられない。
「あ、安室さん、すごく機嫌いいよね! なんでだろう」
「知るか」
「聞いてくれるかい? コナンくん」
「っ!?」
しまった!
いつの間にか背後に立っていた男を振り返った。
カウンターの向かいから舌打ちが聞こえる。
「実は今日、とても素敵なことが起きたんだ」
「素敵なこと?」
「苗字くんがこの僕のために賄いを作ってくれたんですよ!」
「ふーん」
思ったよりどうでもいいことだったな、とコナンの反応は薄い。
名前はこっちに話を振るなとばかりに注文されたであろう品を作っている。
「絶品でした……苗字くんのふわとろオムレツ」
「あー美味しいよね、オムレツ。僕は名前さんの作ったロールキャベツが好きだなぁ」
「ロールキャベツですか? たしかここでは出してなかったはずですが」
「前に博士の家で食べさせてもらって」
「へぇ……」
あ、まずい。と思った時にはもう遅かった。
安室はカウンターから身を乗り出し名前に詰め寄る。
「苗字くん」
「いや作らねぇし」
「コナンくんだけずるいですよ」
「なにガキと張り合ってんだ」
「僕のために料理を作ってください!」
「断る」
その後あまりのしつこさに名前が折れて、シフトが同じになったときは賄いを作ることでなんとか安室を静かにさせた。
まぁそのとき名前が口にした「気が向けば」「時々」「作るかもしれない」の言葉にコナンは乾いた笑いをするしかなかった。
(名前さん、絶対作る気ねぇな)
絶対ですからね! と嬉しそうな笑顔を浮かべる安室に同情するコナンであった。