もし松田と萩原が生きていたら
風見は自分に向けられる視線に気づいて足を止めた。
最近やたらと視線を感じる。
それは決まって本庁にいる時で、視線の元を探そうとすると途端に消えてしまうので困っていた。
現に今も足を止めたことで視線はなくなった。
「いったいなんなんだ……」
溜め息を吐いて再び歩き出す。
釈然としないまま仕事に取り掛かり、デスクに置かれていた報告書をまとめていく。
今朝方に名前から受け取ったタンブラーを口元で傾けるがどうやら空になってしまったようで、かなり時間が経っていることに気付いた。
どうりで肩が凝っているわけだ。
少し休憩をしようと背伸びをして席を立つ。
署内に設置されている自販機まで行き、疲れた脳には甘い物がいいだろうかとココアを購入する。
一口煽れば口に広がる甘さが少しだけ疲れを癒してくれるような気がした。
「どいてもらってもいいか」
「っあぁ、すまない」
誰もいないと思っていたが後ろに人が立っていて、邪魔にならないように移動する。
いや、飲み物も買ったしこのまま戻るか。
「あんた、公安の風見さん?」
再度後ろから声を掛けられ風見は振り向いた。
そこにはサングラスをかけた男が一人、缶コーヒーを片手に立っていた。
公安ではない。どこの部署の人間だろうか。
「なにか?」
「うちのが随分世話になってるみたいなんでな。挨拶しとかねぇと」
「……なんの話だか分からないな」
上から下へじっくりと風見を観察するような視線に眉を顰める。
「へぇ……あんたがねぇ……」
「……用がないなら戻らせてもらうが」
「まぁ待てよ。もうちょいお話しよーや、風見サン?」
「だいたい、君は誰なんだ」
所属と名前を尋ねればサングラスの男は肩をすくめて頭をかいた。
「なんだよあいつ。俺のこと言ってないのか」
頭から手を離すとそのまま風見を指差してくる。
失礼なやつだと文句の一つでも言ってやろうと口を開いた。
「あんた、うちの名前と付き合ってるんだろ?」
が、意図の分からないことを言う相手に高圧的な態度になってきていた風見は、男から発せられた言葉に口を開けたまま固まってしまった。
そして昨日の夜に名前と交わした会話を思い出す。
風呂から上がればソファで寛ぎながら電話をしていた名前が風見に気付いて隣に座るようにソファを軽く叩く。
濡れた髪をタオルで拭きながら名前の隣に腰を下ろす。
「……うん……分かってるよ……明日はちゃんと帰るから……飯ちゃんと食べろよ……ん、おやすみ」
電話を切った名前はソファの上に足を乗せ体を横に倒した。
隣に座った風見の膝に頭を乗せ、風呂上りで火照った頬に触れる。
「お泊まりオーケーだって」
どうやら電話の相手に泊まりの許可を貰っていたようだ。
高校生が休日ならいざ知らずただの平日に外泊するなんて親も心配することだろう。
というか”お泊まり”って、随分可愛い言い方するな。
「ご両親にちゃんと交際していることを報告したほうがいいのだろうか」
無意識に漏らした言葉は常々風見が思っていたことだった。
風見の頬を触っていた手が離れ、名前は呆れたような顔をして額を押さえる。
「……別に結婚するわけじゃねーんだし言わなくていいだろ。真面目かよ」
「自分の子供が一回りも年上の男と付き合ってるんだぞ。親としては知っておいたほうがいいんじゃないか?」
「つーか俺、親いないし。保護者ならいるけど」
「……すまん」
「別に謝らなくていいよ」
思い返せば今まで名前の親に関することはなに一つ聞いていなかった。
風見の腰に腕を回し腹に押し付けるように顔をすり寄せる名前の頭を撫でる。
彼の過去になにがあったのか、聞いたら教えてくれるだろうか。
急ぐ必要はない。ゆっくりと知っていこう。まずは先ほどから気になっていたことだ。
「保護者というのは?」
「いろいろあって、中学ん時から俺の保護者になってくれてる人がいるんだよ」
名前は顔をずらし風見を見る。
「あんたと同じ、警視庁で働いてるんだけど会ったことない?爆発物処理班にいる──」
──松田って人なんだけど
風見は思わず頭を抱えたくなった。
今、目の前にいるサングラスをかけた男が名前の言っていた”松田”なのだろう。
男は缶コーヒーを煽ってゴミ箱へと捨て、改めて風見と向かい合った。
「で? 名前とお付き合いしてる風見サン」
「……け、健全な交際をさせてもらっている」
風見の返答に一瞬間が空いて、男は笑い声を上げた。
「そいつは結構。まぁ、あいつもまだ18だしなぁ?」
「っ……」
言葉に詰まる風見に詰め寄るように男は一歩踏み出した。
「そりゃあ健全な”お付き合い”に決まってるだろうよ」
「うっ……」
また一歩。
「あいつも年頃だし? おイタが過ぎるのは仕方ねぇ」
すぐ傍まで詰め寄ってきた男が風見の首元を見ながら言えば、その視線に気付いた風見は咄嗟に手で覆い隠した。
男が喉を鳴らすように笑う様子に、知らずのうちにかいた冷や汗が額から頬を伝う。
「あんたを選んだのはあいつの意思だ。それを否定はしねぇよ。けど、」
サングラスの奥に見える鋭い目にたじろぐ。
「嫁にはやらねぇからな」
口を開閉させて言葉にならない声を漏らす風見に男はニヤリと口角を上げる。
「松田! お前なにやってんだ!」
そんな風見を助けたのはまたもや名の知らぬ男だ。
詰め寄ってきている男−−松田の腕を引いて距離をとらせた。
これで目の前の男が松田だという確信が得られたが、風見の磨り減った精神は早くこの場を立ち去りたい一心だった。
「よぉ萩原」
「よぉ、じゃねーだろ。いやーすいませんねーこいつちょっと親馬鹿入ってて。あんま気にしないでください」
「あ……あぁ……」
「じゃ、俺たちは失礼しますんで。ほら行くぞ松田」
萩原と呼ばれた男が松田の腕を引いて去っていくのを見送った風見は飲みかけのココアを一口啜る。
「苗字のコーヒーが飲みたい……」
どうやらココアだけでは疲れを癒してくれそうもなくなったみたいだ。
喫煙室で1本目の煙草を吸い終わった頃、萩原は隣に立つ松田を見た。
「あれが名前の? え、つーか男なの?相手」
「あいつどっちでもいけるんだよ」
「へぇー知らなかった」
短くなった煙草の火を灰皿で押し消し、箱から2本目を取り出す。
火をつけて吸い、ゆっくりと吐き出した。
「あんま過保護だと嫌われるぞ」
「なに言ってんだ。名前が俺を嫌うはずねぇーだろ」
「うわすげー自信」
「あいつの初恋知ってるか?」
「知るかよ……あー……お前?」
自信に満ちた顔を向けられ萩原は苦笑するしかない。
初恋相手だから嫌われるわけないだろってか?嫌われる時は嫌われるんだよ、気をつけろ。
先ほど見たメガネをかけた公安刑事を思い出す。
「じゃあ名前は別に真面目なやつが好みってわけじゃないんだな」
「……おい、それどういう意味だ」
「っしゃ、そろそろ仕事戻らねぇーとな!」
「逃げんな萩原!」
喫煙所を出て部署に戻った二人に休憩が長すぎると上司から小言があったのは言うまでもない。
帰宅した松田をリビングで迎えると、なぜか頭を撫でられて目を瞬かせる。
そんな名前を気にせずスーツから部屋着に着替えるためにジャケットを脱ぎながら松田は口を開く。
「お前真面目なやつがタイプだったんだな」
疑問系ではないそれに名前は眉を顰めた。
「……誰から聞いたの?」
「喫茶店で働くベビーフェイスに少しな」
名前は脳裏に浮かんだ人物に対して舌打ちをしたい気持ちをなんとか抑える。
「へぇ……それで? 会ったの?」
「偶然本庁で見かけたから声はかけたさ」
「余計なこと、言ってねぇよな」
「おいおい、余計なことってなんだよ。うちの子をよろしくお願いしますって言っただけだ」
「本当かよ……」
疑いの目を向けてくる名前に笑って再度その頭を、今度は少し荒い手つきで撫でた。
「ちょっと意訳したけどな」
松田のその小さな呟きは、髪が乱れたことへ文句を言う名前の声にかき消されたのだった。
「俺、あんた嫌い」
「え……え、ちょ、苗字くん? どうしたんですか、急に。いつもより声がマジトーンなんですが……」
「安室さん今度はなにしたの?」
「コナンくんちょっといいかな?その言い方だとまるで僕がいつも苗字くんになにかしてるみたいじゃないですか」
「違うの?」
「……君は少々僕のことを誤解しているようだ」