賑やかな雰囲気に包まれた街はどこもクリスマスの色に染まっていた。
会計を終え商品をお客に手渡した名前は隣に立つ店長の言葉に少々驚きながら横を向き、忙しさの中でも笑顔を忘れないバイト先の店長の顔を見る。
「え、明日出なくていいんですか」
予定では明日25日まで働く予定であったが店長から先ほど明日は大丈夫だよと伝えられたのだ。
「予想していたよりも売れ行きがよくって。実は今店内に出してるのも明日の分なんだ」
「確かに去年より客の数増えてましたね」
「ね、びっくりだよ」
このケーキ屋では去年のクリスマスにもバイトで雇ってもらった経験があり、今年の売れ行きが倍以上あることは体感で分かった。
とくに去年と比べて若い女の子の客が多いし、中にはポアロで見かけたことのある人もいるくらいだ。
きっとどこかの誰かさんが気を利かせてこの店のケーキを宣伝したのだろうと名前は悟り、これで風見が現れでもしたら間違いなく思い浮かべる人物の仕業だというのは確実だ。
「明日はお店を早めに切り上げて数年振りに家族とクリスマスを過ごすよ」
「よかったですね」
「苗字くんが手伝ってくれたおかげ」
「俺は……まぁ暇してたんで」
結局風見からの連絡はないままだった。けどそれを寂しいとは思わない。
仕事が忙しいのは分かりきっていることで松田さんが生きていた時もクリスマスだからといって早く家に帰ってくることはなかったし、仕方がないことだとちゃんと割り切っている。
「バイト代はちゃんと明日の分まで含めて出すから」
「別に今日までのでいいですよ」
「急に手伝いを頼んでしまったお詫びだと思って受け取ってくれると嬉しいなぁ」
「……わかりました」
見た目の優しさとは裏腹に少し押しの強い店長に苦笑しているとお客から注文を受け再び仕事に取り掛かった。
それ以降はお喋りをしている暇がないほど忙しく気づけば外は日が沈み、煌びやかなイルミネーションを街が着飾っている。
「すいません」
「はい」
売り切れになったケーキの値札をケースから取り出していると客から声をかけられた。男性の声だ。
今日は女性客ばかりだから珍しいな、と屈んでいた体を立たせるとケースを挟んだ向こうに立っていたのは年上の恋人だった。
どうしてこんなところに?と思うのと同時にやっぱりあの人が一枚噛んでたのかと思わずにはいられない。
目を瞬かせる名前に小さく笑いを漏らした風見はケースに並んでいるケーキを見下ろした。
「このショコラケーキを二つとこっちのショートケーキを二つ」
「……一人で全部食うの?」
「まさか。君と食べようと思って…誘いに来たんだ」
注文されたケーキを箱に詰めてから袋に入れ、レジに移動する。
「バイトは何時頃終わるんだ?」
「21時には上がれると思う」
風見は腕時計を確認しあと30分程か、と呟いた。
「明日休みを貰えることになったから君の予定さえ合えばこれから一緒に過ごさないか?」
「お客さん、店の中で口説かないでもらえます?」
「えっ、あ……す、すまない」
会計を進めお釣りを手渡しながら揶揄うように言う名前に慌てて店内を見渡した風見は自分の発言が誰にも聞かれなかったことに安堵する。
浮かれていた自分に恥ずかしさを覚え頬を仄かに染める姿に名前は目を細め緩く口端を上げた。
「今日は車?」
「あぁ。近くに停めてあるよ」
「場所だけ教えて。終わったら行くから」
商品を受け取り駐車した場所を名前に伝え「じゃあまた後で」と言って店を後にする風見の後ろ姿を見送ってそっと息を吐く。
このケーキ屋でバイトしていることを風見には言っていないから、やはりあの人が関わっているのは間違いないだろう。
余計なお節介だ、と思いながらも名前は予定外のその出来事を嬉しいと確かに感じていた。
その日は調査であちこちに出向いておりようやく本庁に戻って来ればそこには珍しく上司の姿があった。なにかありましたか?と声をかければ突然今日はもう帰っていいと言われてしまう。
おまけに明日は休めと命令口調で告げられせめて報告書だけでもまとめさせてくださいと頼み込みデスクへと向かう。
「なぜ急に休みなんて……」
「お前ここ最近休みを取っていないだろう?」
だから休め、と再度強く言われてしまい受け入れるしかない。
お言葉に甘えて報告書をまとめたらすぐに帰ろうと決めた風見に「駅前のケーキ屋にでも寄って帰るといい」と言い残して降谷は立ち去っていった。
意図が分からず首を傾げていた風見だったが実際に店の前までやってきて店内で働く年下の恋人の姿を見たことでようやく意味を理解した。
上司に気を遣わしてしまって申し訳なく思いながらも「降谷さんありがとうございます!」と心の中で声を上げさっそく恋人をデートに誘った風見は車の中で名前を待っている。
店を出てから40分程経った時、車の窓が軽く叩かれる音に携帯から視線を上げ助手席の窓を見ると吐く息を白く染めた名前が立っていてすぐに鍵を開けた。
「お待たせ」
助手席に乗り込んだ名前がドアを閉めたのを確認し、エンジンをかける。
「それで、この後どこか行くの?それともあんたの家?」
「そうだな……少しドライブしていくか」
このまますぐに自宅へ向かってもいいのだが、せっかくならクリスマスの雰囲気を味わってからでもいいだろうと思い提案すれば名前はいいねと言ってカーナビに手を伸ばした。
「おすすめの場所があるんだけどさ」
「どこだ?」
「ちょっと遠いかもしれない」
「構わない」
明日は休みだ。帰りが遅くなってしまっても問題ないだろう。
セットされたナビに従って車を走らせると賑やかな街を抜け、静かな住宅街へと入っていく。
ところどころの家にはクリスマスのイルミネーションが飾られており、それを横目に見ながら車は坂道の多い地域に入り到着した場所は高台にある公園だった。
車を降りた名前の後に追うようについていけば眼前に広がるのは煌びやかな夜景。
「すごいな」
「だろ。近くに大きな公園ができてからこっちには全然人が来なくなったんだ」
おかげで最高の穴場スポットだよ、と笑う名前の横顔が街の光に淡く照らされて思わず見惚れてしまう。
無意識にポケットに入っている小さな箱を確かめるように握った。
「名前」
名を呼べばなに? とこちらを見上げる恋人に向き直る。
「メリークリスマス」
ポケットから取り出した包装された小さな箱を差し出せば、名前は目を瞬かせてプレゼントの箱を見つめそれから風見に視線を移した。
その視線に返事をするように小さく頷けばそっと手が伸ばされる。
「あ、りがと……開けていい?」
「ぜひ」
受け取った箱の包装を剥がし蓋を開けた名前が目にしたのはシンプルな薄紫の石がついたシンプルなピアスだった。
「君に似合うと思って選んだんだ」
嬉しそうにそう話す風見に掴んだピアスを街の光の方へと向ければ、半透明の石は光を屈折させキラキラと輝いた。
まさか本物じゃないだろうな。しかし相手は風見だ。夏の浴衣の時だって後で値段を聞いて呆れたのを覚えてる。可能性は充分だ。
でも本物の宝石かどうかなんて聞くだけ野暮というものだろうか。
「その、たまに付けてくれるだけでいいんだ。今付けてるものも思い出深いだろうし」
黙っている名前の反応をどう受け取ったのか少し不安の色を滲ませる風見が面白く笑い声が漏れた。
「別にこれはただの安物だから」
貰ったピアスを片手で握り空箱をポケットにしまってから今耳朶についているピアスを外す。
それは名前が高校に入ってから自腹で買った安いピアスで、穴が塞がらないようにとつけていただけである。
「どう? 似合ってる?」
「あぁ……とても、似合っている」
派手になりすぎないようにと選んだ薄紫の石──店の人がアメジストと呼んでいた──それはとても名前に似合っていた。
なにをプレゼントするかいろいろ悩んだがこれにして正解だったなと、ホッと息を吐き出す。
そんな風見から目を逸らした名前は眉尻を下げて少しだけ俯いた。
「あのさ……俺、なんも用意してない」
「気にするな。僕が君に贈りたかっただけなんだ」
「っ……あんたから貰ってばかりいて、いやだ」
名前は俯けていた顔を上げて目の前に立つ恋人を見上げる。その表情はどこか負けずの子供のようであった。
「あんたが欲しいもん、やるよ」
唐突にそう言われ今度は風見が目を瞬かせる番だ。
「俺がやれるもんならなんでも」
「なんでも?」
風見としては本当にプレゼントを贈りたかっただけで見返りはなにも求めてはいなかった。
彼が隣にいる、今こうして一緒にいる、それだけで充分だからだ。それ以上を求めるのは欲張りだと思ってしまう。
でも彼がそれを望むというのであれば、欲しいものは一つだけ、ある。
「なら……君の言葉をくれないか」
「言葉?」
「普段、お互いに言わないだろう?だから欲しい」
どんな言葉が欲しいかなんてきっと言わなくても名前には伝わっていて、だから少し不満な表情を浮かべた。
物や行為を要求されるのだとばかり考えていたに違いない。
「そんなんでいいの?」
「それが、いいんだ」
風見が望んでいるものは何にも代え難い唯一のもので、普段与えられることのないそれは、きっと彼にとっても自分にとっても特別な言葉。
何度も口にしないのはそれが軽く薄っぺらいものに変化するのを恐れているからなのか、それとも口恥ずかしいからなのか。
多分、どちらもだ。
名前は一歩踏み出して自分よりも少しだけ大きな手を握った。
「あんたの手、暖かいな」
「君のは冷たい」
「寒いの、あんま好きじゃないから」
「そうだったな」
冷え切った手を温めるように握り返す。
口を薄く開き呼吸をするたび白い息が吐き出され、頬や鼻頭が寒さで仄かに赤くなっている。
時折吹く風が少しだけ長い名前の髪を揺らすと真新しいピアスが街の光を反射して僅かに光った。
「愛してるよ、裕也さん」
静かな空間で名前の声だけが甘く鼓膜を震わせた。
寒いはずなのに、繋いだ手からじんわりと熱が広がっていくように暖かい。
「僕も、」
気持ちが満たされていくようだ。
「僕も君を──」
名前の冷たい頬を温めるように撫で、熱い息が吐き出される唇を塞ぐ。
「名前、愛してる」
あぁ恥ずかしい。だが愛おしさが溢れて仕方がない。特別な言葉であり、感情であるこの想いに麻痺したくない。
「なぁ、俺も明日フリーなんだけど」
「じゃあこのまま君を持ち帰っても?」
「聞かなくても分かるだろ」
この先「愛している」という言葉はきっと名前も自分もそう多くは口にしないだろう。
それでいい。
これからもずっと、愛していたいから。このまま変わらず、傍にいたいから。