鈴蘭では無益な争いを避けるためか同じ中学を卒業した生徒達をできる限り一つのクラスに纏めていた。例えばD組は海老塚中出身の生徒が多い。この高校へ集まる生徒のほとんどが不良と呼ばれる世間のはみ出し者で、常識なんて持ち合わせていない。入学したての新入生がまず行うのはクラスの統一だった。
荒れ狂う教室でD組の頭の座を獲得したのは伊崎であった。彼は海老塚中時代から力と頭脳でトップに立っていた男だ。誰もが頭の座を目指して伊崎に挑むが残念ながら同中出身の生徒は彼の実力を知り慕っている者ばかりで、最初からクラスの勢力は伊崎に傾いていた。結果、誰一人として伊崎に到達することができないまま、入学式当日にD組は統制されたのである。
その様子を同じくD組にいるとある男は他人事のように傍観していた。
伊崎が初めてその存在を認識した時「こいつは同類じゃない」と本能が告げた。薄汚れた教室の中ではあまりにも綺麗すぎたのだ。彼はクラス内で唯一伊崎に挑戦してこなかった男だ。誰もその名前を知らず、実力も知らない。D組のトップに従うわけでも逆らうわけでもない男の存在は興味を引くには充分だった。
「あいつを倒さないと頭とは言えねぇ」
いつだったか誰かがそう言って多人数で喧嘩を仕掛けたことがあった。面白いものが見れそうだと伊崎は止めることはしなかった。校舎裏で始まった争いを観察するように見つめる伊崎の目には、男が自分から攻めていこうとはせず、受け流すように捌いていく姿が映る。やはり同類じゃない。そう確信した。
最後に立っていたのは男だった。喧嘩も知らなそうな綺麗な顔や手には無数の傷が出来上がり血が滲んでいる。地面に伏しているD組の連中の向こうにいる男は、伊崎を視界に入れるがまるで関心を示さないまま踵を返して去ろうとした。
「待てよ」
立ち止まり背を向けたままの男に歩み寄る。伊崎から見て男は喧嘩に関しては素人のようであった。綺麗なのだ。自分やこの鈴蘭にいるような泥臭い奴等とは違う。だからこそ、なぜ男がここへ入学したのか知りたくなった。
「お前なんで鈴蘭に来た」
鈴蘭は未だに全校生徒をまとめ上げた者がいない。だからこそ皆、不可能と言われる鈴蘭制覇を目指してここへ来る。伊崎もその一人だ。逆を言ってしまえば鈴蘭でなければならない理由がそれ以外にはないくらい、他とは掛け離れた特殊な学校なのである。
振り向いた男と視線が交わる。だがそれは僅かな時間だけだった。
「……全部失くした俺には、ここがお似合いなんだよ」
薄暗い曇り空を見上げながら呟くように紡がれた言葉は、声音は、何もかもを諦めているかのようで、伊崎は無意識に眉を寄せた。素人臭い喧嘩でも実力のある男が、その力を示すことなく自棄になるのは勿体ないと思った。それと同時に「こいつはこのままでいい」とも思う。欲望だけが渦巻く鈴蘭の連中に汚されるくらいならいっその事、脆く崩れそうでいて、それでも立ち続けるこの男を汚れないように自分の隣に置いてしまおうという考えが頭を支配した。
「トップ取って、なんか意味あるの」
「あ?」
しかしその考えは男の言葉によって霧散した。黒い瞳がじっと伊崎に向けられる。視線は熱を持たず、感情の色も持っていない。もしかしたら本当は伊崎すら見ていないのかもしれない。
「俺にはきっと……価値も意味もない」
それだけ言うと再び背を向けた男を、今度は呼び止めなかった。どれだけ口説いたところで男が伊崎の勢力には入らないだろうと解ったからだ。力尽くで捩じ伏せても決して下らない者はいる。男もその一人だろう。誰が何度挑もうが無駄に終わるに違いない。惜しい男だな、と伊崎は口元に笑みを浮かべた。
「お前に鈴蘭は似合わねぇ。この先もずっと、それは変わらねぇだろうよ」
「褒め言葉として受け取っておく」
遠ざかる背中から視線を外した伊崎は未だに地面へ伏せっているD組の連中を見渡した後、踵を返して校舎へと戻っていく。ポケットから取り出したタバコを咥え火を付けながら「そういや名前聞いてねぇな」と一人呟いた。
伊崎が男の名前を知ったのはその翌日だった。
苗字名前と名乗った男はD組の頭である伊崎の勢力には属さないままだったが、あれ以降クラスの連中から喧嘩を吹っ掛けられることはなかった。喧嘩で名前が勝ったことも一つの要素だが、一番は「苗字のことはほっとけ」と伊崎が告げたからだ。D組に売られた喧嘩に名前は参加しない。名前に売られた喧嘩にD組は関わらない。それが暗黙のルールとなっていくのに時間はかからなかった。
お互いに深く干渉せず、顔を合わせれば軽く言葉を交わすような関係を名前はD組内で築いていった。
滝谷源治率いるG.P.Sは着実に勢力を拡大していったが、鈴蘭制覇を成し遂げるためにはG.P.Sと同等以上の勢力を誇る芹沢軍団を倒さなければならない。牧瀬にはどうしてもG.P.Sに引き入れたい男がいた。その男は芹沢と何度も小競り合いを起こしていて、勝敗は五分五分である。戦力はあるに越したことはない。滝谷が鈴蘭のテッペンを獲るには全ての生徒に滝谷の力を見せつけなければいけないのだ。その男が大きな戦力になるだろうという確信がある。だが自分では勧誘は無理だろうということも確信していた。
だから少しでも可能性のある人物に頼もうとダーツバーに訪れたのだが、無駄足だったようだ。
「苗字がどこの派閥にも入らねぇのはお前もよく知ってんだろ」
僅かな期待を胸に抱いていたせいか落ち込む牧瀬に対して、ダーツを手にした伊崎が呆れた表情を浮かべる。D組内の暗黙のルールは三年になった今でも変わらない。伊崎が滝谷と組んだからと言って名前が加わるわけがないのだ。名前はこの三年間でどこの派閥にも属することはなく一匹狼を貫いた。それは伊崎が心のどこかで望んだ結果でもある。
「俺はあいつに、綺麗なままでいてほしいんだよ」
「はぁ?」
「お前が想像してるような意味じゃねーからな」
訳が分からないといった顔をする牧瀬を笑い飛ばした伊崎はダーツをボードに向かって投げた。綺麗な弧を描いたそれは見事ダブルブルに突き刺さったのだった。